第12話 メイクアップ

一週間後、皇高校は一学期の終業式を迎えた。しずくといちかは無事に赤点を回避し、気持ちよく夏期休暇に突入する事となった。

「しずく!今日、夏祭りだよ。約束覚えてる?」

いちかはホームルームを終えたばかりのしずくがいる隣の教室に入ってきて、嬉しそうに尋ねる。

「覚えてるよ。忘れるわけないっしょ。」

微笑ましく思いながらしずくが答えると、いちかは子犬だったら激しく尾を振っているだろう様子でその場で一回飛び跳ねた。

「しずくがうちに来るの、初めてだね!」

今日は双方の親に了承を得て、学校から直接夏祭りに行くことを許されている。夏祭りはいちかがいつも登校する際に通る神社で行われるので、しずくに対する措置だった。

「そうだね。メイク道具もきちんと持ってきたぞ。」

そう言うとしずくは、バニティ型の化粧ポーチを机の上に取り出して見せた。

「すごいねー、プロのメイクさんみたい。わざわざ持ってきてもらって、ごめんね?」

いちかは興味津々とばかりに化粧ポーチを眺める。中身を見ればもっと喜ぶだろう。

「いいよいいよ。今日は、約束を果たす日だからね。」

そしてしずくは徐に立ち上がり、いちかと連れだって教室を出るのだった。

バス停をいちかの家の最寄りで降り、楽しみは取っておくといい、今日は遠回りをして神社を避けて家路についた。「ここが、我が家ー。」

尾上、と文字が刻まれた表札が下がる家を前に、いちかが紹介する。尾上家の前には母親のみちの趣味で小さな花が植えられたプランターがおいてあり、健やか且つ華やかな印象を持つ家周りだった。

「うん。お邪魔します。」

「どうぞー!」

玄関の鍵を開けて中に入ると、ふわりと畳や仏壇の線香などの人が生活する香りがした。女性物の靴やサンダルが揃えられ、赤い傘が靴棚にかかっている。男性の物が見当たらないのは、母子家庭だからだろう。

「こっちだよ。」

いちかに階段を上がり二階に案内されて、しずくは彼女の部屋に足を踏み入れた。

「適当に座ってて。今、飲み物持ってくるね。」

「ありがとう。そういえば、おばさんは?挨拶したいんだけど。」

しずくは首を傾げる。この家の中に、二人の他に人の気配はない。

「児童館が出す屋台の手伝いに行ってる。お祭りに行けば嫌でも会えるよ。」

「そっか。」

待っててね、と言い、今度こそいちかは階下の台所に向かっていった。手持ち無沙汰になったしずくは、荷物を置いておずおずと用意されていた座布団の上に腰を下ろす。いちかの部屋は勉強机とベッドが備え付けれて、角にはぬいぐるみやクッションなどが置かれていた。窓辺にはひまわりの絵が描かれた風鈴が釣らされていて、時折風に揺られてチリンと音を発している。壁には写真や可愛らしいポストカードが貼られたコルクボードとカレンダーがあった。よく見るとそのカレンダーの今日の日付に花丸が書き込まれていて、いかにいちかが今日を楽しみにしてくれていたのかを知った。そしてふと目が合ったぬいぐるみの一体に話しかけた。

「いいなー、君たち。ずっといちかと一緒にいられるんだね。」

よしよし、とぬいぐるみの頭を撫でていると、いちかが部屋に近づいてくる気配がしたので扉を開けた。

「ありがとう。よくわかったね?」

飲み物をお盆に乗せて両手が塞がっていたらしく、いちかは丁度良かったと言って笑った。

いちかが用意してくれたのはルビーのように鮮やかな赤色をした炭酸飲料だった。

「シソのジュース。炭酸水で割ってみたんだけど、どうかな。」

いちかの説明を聞きながら、しずくはジュースを口に含んだ。シソの爽やかな風味が鼻腔を抜けて、甘くて少しの酸味が舌を刺激する。シュワシュワと炭酸が弾けて、爽やかな飲み物だと思った。

「美味しい。手作り?」

「うん。お母さんのお手製なの。」

しずくの言葉に嬉しそうに頷いて、いちかも用意した自分のコップに口をつけた。唇が淡く、ピンク色に染まる。

「…。」

無防備にさらされるいちかの白い喉元を見て、しずくはふいと目をそらした。そして僅かに首を横に振って煩悩を振り払って、持参したメイク道具を取り出した。

「さて、じゃあ早速始める?」

「! うん。よろしく、お願いします!」

バニティポーチを開けて、しずくはいちかの前に化粧品を並べていく。

「まずはスキンケアで肌を整えようね。」

しずくは、いちか自身が用意した化粧水をコットンに染み込ませて優しく肌を潤していく。その後に、乳液、夏だからと日焼け止めをムラにならないように丁寧に塗った。前髪をピンで留めたいちかの肌はつるんとして、なめらかな曲線を描く。秀でた額も、丸みを帯びた頬も年相応な愛らしさがあった。

「いちか、肌を白く見せたいって言ってたっけ。下地の色はグリーンにしてみようか。」

「私、いつもホワイト下地しか使ってなかった。」

しずくは小豆一粒ほどの下地を手に取って、体温で柔らかく緩める。

「塗りすぎると白くなりすぎるから、少しだけね。」

中指で下地をすくい取って、いちかの顔の赤みが金あると言っていたところに優しく叩き込んだ。全体にのばし終えると、ティッシュで軽く押さえる。

「次はファンデーションを塗ります。いちかは肌が綺麗だから、パウダータイプで大丈夫かな。」

スポンジにファンデーションを取り、手の甲で余計な粉を落とすとまるで風船を扱うように柔らかく肌の上を滑らせていった。

「チークを差すから、ちょっと笑ってみて。そう…、そのままキープ。」

「なんか照れるね。」

笑顔を作りつついちかは、自分の顔を他人にこんなにも見せた事は無いと呟いた。

「そうだね。メイク中って無防備になるし、余計にそう思うのかも。…じゃ、ベースメイクの最後。フェイスパウダーで仕上げするよ。」

粉は一度つけると後戻りができないので、慎重に乗せていく。そしてベースメイクの行程を終えると、しずくはいちかの顔を確かめるように右、左と横に軽く向けた。

「うん。いいね、可愛い。」

「本当?」

いちかは鏡を所望したが、しずくに遮られる。

「全部終わったら、見せてあげる。」

くくく、といたずらっ子のようにしずくは笑うと、アイメイクやアイブロウに取りかかるのだった。

「…よし、じゃあ一番最後の口紅ね。何色が良い?」

血色ブラウンや、ローズレッド。コーラルピンクなどの口紅がいくつか並ぶ中、いちかは心引かれる色があったのかそっと人差し指で示した。

「ああ、アプリコットオレンジね。私もこの色が大好きで、一番よく使う。」

「うん。そのー…、しずくが使ってて可愛いなあって思って。」

真似してごめん、と謝るが、普段、いちかはそう思ってくれていたのかと思いしずくは嬉しかった。

「はい、こっち見て。」

しずくは口紅を小筆に掬い、そっといちかの唇に乗せていく。センターから左右へ、唇の輪郭をなぞって縁取る。そして塗りおえると、ティッシュで軽く唇を押さえた。

「こうすると色が落ちないから。よーし、鏡見せてあげる。」

しずくから手鏡を受け取って、いちかはようやく自分自身と対面した。

「おおお…。」

メイクが施された自分を見て、いちかは感心したように目を瞬かせる。

「えー、すごい。自然なのに、しっかりお化粧してるように見える。」

「ナチュラルメイクのすごさを思い知ったか。」

ふっふっふ、としずくは自慢気に胸を張った。そして、もう一つ抱えていた紙袋からある物を取り出した。

「あと、せっかくの夏祭りだから浴衣着ちゃおうよ。」

そう言って見せたのは色違いで朝顔の柄があしらわれた浴衣、二着だった。一方は、白地。もう片方は紺色だ。

「かわいい!わざわざ用意してくれたの?」

「用意したって言うか…、一着はお姉ちゃんのものなんだけどね。」

しずくはごめんね?と両手を合わせる。

「謝ることはないよ。むしろ、私が着てもいいの?」

「うん。せっかく二人で仕立てたから、着てあげないともったいない。」

当時を懐かしむようにしずくは浴衣の布地を撫でる。

「いちかに着てほしいな。ね、お姉ちゃん。」

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