第18話 告白

「じゃあ、私、夕食の買い出しに行ってきますね。」

そう言って、いちかは部員全員から徴収した食費を預かって、軽音部の部室を出た。昇降口で靴を履き替えていると、野球部の練習を終えた竹久と鉢合わせる。

「あれ?尾上じゃん。何してんの。」

暑そうに制服のワイシャツの胸元をぱたぱたと扇ぎながら、竹久は問う。

「軽音部の手伝い。今、合宿中なの。」

「はーん。」

流れる汗を拭いながら、竹久は頷く。その距離は何故か遠い。

「歌、うたえたっけ?」

「…正式に部員じゃないから。」

いちかは苦笑した。校門までの道のりを二人、ささやかな会話をしつつ辿っていく。

「買い出しの荷物持ち、してやるよ。」

校門での分かれ道。じゃあ、と言いかけたいちかに竹久が申し出た。

「え?でも、練習終わりで疲れてるでしょ。」

「野球部なめんな。このぐらいで疲労はたまんねえよ!」

そう言って、竹久は半袖から覗く二の腕に力こぶを作ってみせる。日に焼けて、小麦色した肌がたくましい。

「…じゃ、お願いしちゃおっかな。」

「おう!任せとけ。」

竹久は張り切って、いちかを高校の駐輪場へと誘った。そこに止められていたのは、赤いフレームの古い自転車だった。

「これ、野球部の先輩から代々受け継がれてんだ。」

どうやら置きっぱなしの自転車らしい。

「一台あると便利だよなー。この辺、コンビニも遠いし。」

自転車を道に引っ張り出してまたがると、当たり前のようにいちかに後ろに乗るように竹久は言う。

「? どした?早く乗れよ。」

と、言われても、いちかは二人乗りをしたことがないので戸惑うばかりだった。

「何、二人乗りしたことない?」

図星を突かれていちかが頷くと、竹久は笑った。

「じゃあ、立ち乗りは難易度高いか。荷台に座ってくれたら、それでいいから。」

「う、うん。」

制服のワンピースの裾を気にしてまたがることはせずに、いちかは身体の向きを横座りにして荷台に腰を下ろす。そしてそろそろと竹久のワイシャツを握った。

「おしっ!じゃ、行くぞー。」

竹久がぐっとペダルを踏み、自転車のタイヤが動き出す。ふらふらと危なっかしかった軌道も早さに乗る度に、スムーズになり揺れも収まった。少し怖いぐらいのスピードにいちかは思わず、竹久のシャツを握る手に力がこもる。

「尾上ー、一番近いスーパーで良いんだろ?」

風に声をさらわれそうになりながらも聞き取った竹久の問いに、いちかは頷く。

「うん、そう!」

「OK!」

すれ違う人から微笑ましい眼差しを向けられながらぐんぐんと力強く自転車は進み、景色はあっという間に過ぎていった。

やがて到着した町のスーパーで夕食の食材を買い込み、その荷物が詰まった袋を自転車のかごに置く。

「…お前、これ、本当に一人で運ぶ気だったん?」

竹久がうーんと唸りながら、その袋の重量に戦いていた。カレーを予定していたので、野菜類が結構の重みになっていた。

「竹久に自転車出してもらって、助かっちゃった。」

ありがとね、と隣を見ようとすると、竹久は先ほどから謎の距離感を保っていることにようやくいちかは気が付いた。「? 何で、微妙に遠くにいるのよ。」

「え? あー、別に?」

そう言いながら頬を人差し指で掻き、それでもいちかに近づこうとはしない竹久ににじり寄ってみる。

「あ、バカ!」

竹久は慌てて後ずさった。

「何なの?気になるんですけど。」

いちかの追求に、竹久が根負けして肩を落とした。

「だからー、その。…俺、汗臭いだろ?」

「え?」

思いもよらなかった答えに、いちかは目を丸くする。

「そんなこと気にしてたの。」

「制汗スプレー使ってるとはいえ、はずいじゃん。」

竹久の自らの体臭を気にするというデリケートな部分を垣間見て、いちかは苦笑してしまう。

「そんなこと言ったって、自転車の二人乗りってすごく距離が近いよ?」

事実、目の前に竹久の背中があった。何なら、彼のシャツも握っていた。

「そ、そんなん不可抗力だろーが!」

顔を真っ赤にする竹久は口をとがらせる。いよいよいちかは笑いを濃くした。その笑い声に、竹久も釣られたのか頭を掻きながら笑い出す。

「あーあ、かっこ悪。」

ひとしきり笑い、ため息を吐くように竹久が呟いた。

「意外だった。竹久ってそういうとこ、気にするんだね。」

いちかが言うと、竹久の口からほろりと言葉が零れた。

「だって好きなヤツには良く見られてーじゃん。」

一瞬、耳を疑っていちかは沈黙する。竹久は気にした様子すら見せず、自転車にまたがろうとする。

「ちょ、ちょっと待って、何?今の。」

「え?何が。」

首を傾げる竹久にいよいよ自分の聞き間違いをいちかが疑いだした頃、「あ。」と声が聞こえてきた。竹久を見ると、口元を手で覆い彼は先ほどよりも赤くなっていた。

「…俺、なんて言った?」

「言っていいの?」

いちかが息を吸って言葉を紡ぐ前に、竹久は両手を前に大きく振った。

「やっぱ、いい!言うな!」

竹久はあちゃーと呟きながら、手を額に当て空を仰ぐ。そしてギクシャクとぎこちなく自転車にまたがった。今度は引き留めようともせずに、いちかも大人しく荷台に腰掛けた。

行きのスピード感薄く、のろのろと自転車は動き出す。

「…忘れた方が良い?」

真昼の暑さの名残を含んだ生温い夕方の風が、頬を撫でる。いちかは竹久のシャツを握りながら問う。

「あー…、うん。いや…、」

「どっちよ。」

困ったように首を傾げるその耳の先は未だ紅い。

「忘れなくて、いいから。」

「ふーん…。」

しばらくの沈黙を笑うように、山に帰るカラスが鳴いている。

「何かさ…、ごめん。」

唐突に、ぽとんとインクを垂らすように竹久が言う。

「本当はもっと格好良く、告白するつもりだった。んだけど…、笑う尾上を見たら自然に言葉が口から出てた。」

二人を乗せた自転車は皇高校の校門前を過ぎ、駐輪場で止まる。いちかが何かを言う前に、竹久はさっさと自転車を降りてかごに入った荷物を手に取った。

「あ…、ここで大丈夫だよ。」

いちかが竹久の持つ荷物に手を伸ばすが、それは遮られてしまう。

「最後まで手伝わせてよ。」

そういう竹久は、随分とすっきりしたような顔をしていた。調理室まで荷物と、いちかを送り届ける。その間、まるで何もなかったかのように竹久は何気ない会話を続けてくれた。

「…今日は、ありがとう。」

調理室に到着して、いちかはやっと竹久に礼を言えた。

「尾上。」

柔らかい声音にいちかは顔を上げて竹久を見る。

「俺の彼女に、なってくれないかな。」

「…、」

とっさのことに言葉が出ず、だがそれを咎めることを竹久はしない。

「返事は、また今度でいーから。俺のこと、少しでも考えてくれたら嬉しい。」

それだけ伝えると、踵を返して竹久は去って行った。


私には、人に好きになってもらう資格がない。

私が彼女にしたことを知れば、誰もが軽蔑するだろう。

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