第20話 罪の証拠
【一緒に死のうか。】
私がそう提案をすると、いつもはすぐに書かれる返事が一週間も待たされた。即答をすることができないほど、彼女は本気なのだ。
一週間後、水喰みの100ページ目に彼女からの返事の紙片が挟まった。
【いいの?】
私たちは二人で行う自殺の計画を立てていくことにした。
【寒いのは嫌い。清々しい、夏の日がいい。】
【真っ暗で誰の顔もわからない夜よりも、早朝に朝日を浴びてから死にたいな。】
それはまるでどこか遠くへ遊びに行くかのような気軽さで、とても楽しく、心が安らぐような計画だった。
いちかは合宿とナイトプールの疲れで眠りに落ちた瑞穂としずくの寝息を確認すると、そっと起き上がった。そして二人を起こさぬように身支度をすると、茶道部の和室を抜け出した。
たった一人、真夜中の校舎の廊下を歩いて行く。空は風が強いのだろう、月に分厚い雲が幾重にも塗り固められて行き光が遮られてしまう。迷路を辿るように、いちかは壁に手を添えていた。
目的地はプールだった。
まずは念入りにプールサイドを見て回る。鍵が落ちて入れば、それでいい。だがその希望虚しく、見つかることはなかった。
いちかはたった一人、水気は絞ったもののまだ湿っている水着に着替えて、プールの水中に潜る。とぷん、と小さく水飛沫が上がった。何度も、何度も酸素を求めて顔を水面に出すことが、面倒だ。水中で呼吸ができれば捜し物もはかどるのに、と無茶な事を考えつついちかは幾度目かの潜水に至る。水底を撫でるように手のひらを動かした刹那、足がつった。
「!?」
突然の引きつった痛みに驚いて、いちかは水を大量に飲んでしまう。僅かでも気管支に水が入ってしまい、水中でむせた。パニックに陥って、足が着くはずのプールが底なしのようだった。死ぬ、と酸素が行き渡らない脳が直感を感じ取る。
これはきっと、天罰だ。私が、親友との約束を破ったからだ。
ごめんなさい。
ごめんなさい、
本当に、ごめんなさいー…!
目の前に暗い帳が落ちて、真っ暗になっていこうとした瞬間に、誰かがいちかの腕をぐいと引っ張った。
腕の力は強く、いちかを光の方へと導いていく。遠く思えた水面に顔が出て、酸素の供給が叶った。腕はいちかの脇の下に添えられて、静かに立たせてくれた。
「いちか!」
大きく咳き込んで、肩を上下にさせているとその背中を優しくさすってくれる。
「し、ず…く。」
そこにはしずくが居てくれた。私はどうやら、彼女に水中から引っ張り上げられて助かったようだった。
「大丈夫?無茶するなあ、もう!」
憤るしずくの顔を見て、いちかは涙が零れる。
「え? あ、いや、そんなに泣かんでも…っ!」
ほろほろと零れる涙を見て、おろおろとうろたえるしずくにいちかは抱きついた。
「しずく…っ、」
子どものように声を上げて泣くいちかの背中を、しずくはそっと抱いた。
「よしよし。どうしたの?」
いちかの頭を優しく撫でながら、しずくは問う。
「あの、あのね…え、私、プールの中で鍵を無くしちゃったの…。」
「鍵?」
こくん、といちかは頷いた。
「家の鍵?」
「ううん…。でも、とても大切な場所の鍵。」
しずくの首に回した腕に力がこもる。いちかは、苦しいだろう、と思いつつも力を弱めることができなかった。
「いちか。大丈夫、一緒に探そう。」
「…。」
すん、と鼻をすすりながら、いちかは顔を上げる。しずくは微笑んでくれていた。
「二人なら、すぐに見つかるよ。だから、もう泣くなー。」
しずくがいちかの頬を両手で包んで、おどけるようにきゅっと力を込めた。
「…ありがとう。」
いちかが泣き止んだのを確認すると、しずくは肩を回して気合いを入れる。
「よーし!どこまで、探した?」
そう言うと、しずくはいちかが探していた場所の反対方向へと泳いでいった。いちかもまた頬を軽く両手で叩き、泣くのをやめた。そして、二人の捜索が始まったのだ。
反対側から徐々に捜索範囲を狭めていく。何度も水に潜り、水底を掠う。一人だとあんなに心細かった真夜中のプールも、しずくも一緒だとなんて頼もしいことか。
一時間ほどが過ぎた頃、しずくの「あ」と言う声が聞こえた。いちかがしずくを見ると、彼女は自分の目の前にある物をぶら下げてしげしげと見詰めていた。
それは、いちかが探していた机の鍵がぶら下がった銀色のチェーンだった。
「これ?」
しずくはいちかの視線に気が付いて、にっと笑いながら言う。
「そ、それ!」
いちかが叫ぶように答えると、しずくはまるで人魚のようなしなやかさで泳いできてくれた。そしていちかの前に着くと、立って鍵をチェーンごと手のひらに握らせてくれた。ようやく戻ってきた鍵の感触に、いちかはまた熱い涙がこみ上げてくるのを感じた。
「あったぁ…!」
ぎゅっと安堵を胸に握り締めて、いちかは泣いた。
「よかった。排水溝の網に引っかかってたよ。」
もしかしたら、鍵はそのまま流されていたかもしれないという恐怖がいちかを襲うが、それも一瞬だった。もう手の中に、たしかにあるのだから。
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