第10話 ゆびきり

私たちの関係でたった一つ暗黙の了解があった。それは名前を聞かないこと。それさえ破らなければ、私たちは何でも言い合える親友となった。

【私には妹がいるのだけど、すっごい怖がりなんだ。かわいそうなぐらい怪談に怯えるの。】

小説の間に挟んだ往復書簡で何気なく妹の話をする。

【妹さん、感受性が豊かなんだね。かわいい。守ってあげなきゃだめだよ?】

彼女の文字は角が取れ丸みを帯びて、その朗らかで優しい性格がにじみ出るようだった。彼女が我が妹を案じてくれているというのに、私の返事は素っ気ないものだった。

【幽霊なんかより、生きてる人間の方がよっぽど怖いのにね。】

私はその頃、クラスメイトたちとうまく歯車を合わせることができなくて孤立していた。保健室登校を繰り返し、その合間に図書室に訪れていた。すさんだ私の心を癒やしてくれるのは彼女とのやりとりだ。彼女は決して否定をしなかった。

【そうだね。本当に、そう。幽霊になったところで、呪い殺すだなんて芸当はできないと思う。だからかな、私、怖い話ってイマイチ共感できないんだよね。】

彼女は冷静な考えを持つ人物だと思った。それから幾度となく、私たちは死生観について話す機会が増えた。


季節は巡り、冬期休暇を挟んで年明けを迎えた。



国語教師の不在により、今日の授業は自習となった。期末テストを前にしたこの時間を有効活用する者や、友人同士おしゃべりに花を咲かせる者など他者多様の教室でいちかは読書をしていた。

すると隣の席の竹久が話しかけてきた。

「うわ。尾上、こんな時も読書?」

「自習なんだから時間の使い道としては有効だと思うけど。」

熱中するあまり本のページから顔を上げずに答えると、竹久は感心するように頷いた。

「さすが万年図書委員だなあ。一年生の時も図書委員だったろ、確か。」

「よく知ってるね。」

いちかが本を閉じて机に置くと、竹久は慌てたように手を振った。

「図書委員にダチがいたから、たまたまな!」

「竹久、図書委員になる友達なんていたんだ。え、誰?」

追求するいちかの視線から逃れるように、竹久は国語の教科書を引っ張り出す。

「誰でもいいだろ。それより、この文法の使い方教えてくんね?そんだけ本読んでれば、国語得意だろ。」

「? いいけど…どこよ。」

いちかが耳に髪の毛をかけながら何気なく彼の手元を覗こうと身を乗り出すと、竹久はぱたんっと教科書を勢いよく閉じてしまう。

「や、やっぱいいわ。俺、小林のところに行ってくる。」

そう言うと、竹久は席を立って行ってしまった。

「…何なの?」

いちかが首を傾げていると、一連の流れを見ていた女子がクスクス笑っていた。

「好かれてるねー、尾上さん。」


「…ってことがあったんだけど、どう思う。しずく。」

放課後。いちかとしずく以外、誰も居ない教室で二人は机を付き合わせてテスト勉強をしていた。苦手な数学の問題から逃げるように、いちかはしずくに問う。

「…。」

しずくは手を止めて、英語のノートから顔を上げた。

「あのやろう…。」

うなるように呟き、しずくの手に力が込められてシャープペンの芯が小気味良い音を立て折れた。

「いい?いちか、竹久くんと二人きりになっちゃだめだよ。」

「? その予定はないけど。」

いちかが小首を傾げると、しずくは何故か納得したように頷いた。

「なるほど…。今まで無事だったのは、その鈍感ゆえだったか。」

「聞き捨てならない!」

いちかが抗議を声を上げると、しずくは笑いながら頬杖をついた。そしていちかの額をつんと人差し指で突く。

「いちかの武器だって言ってるの。」

いちかは額を片手で押さえながら、頬を膨らませる。

「なによぅ、もう。」

はは、としずくは笑った。

「まあ、罪作りでもあるけど。そのままでいいよ、いちかは。」

再び、二人はそれぞれノートと教科書に向かう。カリ、とページの紙に筆記用具が文字を刻む音が響く。

「いちか、ここの公式を使うといいよ。」

「あ…、なるほど。ありがとう。」

しずくがいちかのノートに書かれた計算式を見て、アドバイスをする。しずくは理数系に強かった。

グラウンドでは野球部が金属バットでボールを甲高い音が響き、隣の校舎から吹奏楽部が練習する音色が聞こえてきた。高校の前の道を、夏休みを目前とした小学生たちが笑い声を上げながら駆けていく。

「…あいつ、いちかのこと好きなんだ。」

しずくはふと手を止めて、いちかに聞こえないほど小さな声で呟いた。その目は窓の外、夕方の気配が色濃い空に向けられていた。

「しずく?」

しずくの挙動に気が付いたいちかが、彼女の視線を追う。

「…何でもない。蝉がよく鳴いているね。」

確かに、蝉が命の限りを尽くして鳴いていた。

不意にコンコンコンと教室の扉が叩かれる。二人同時にその音の方向を見やると、見回りの教師が教室を覗いていた。

「そろそろ帰りなさい。もうすぐ夕焼けチャイムが鳴るよ。」

夏は太陽が出ている時間が長いので気付きづらいが、どうやらもう町が決めたチャイムが流れるような時刻だったらしい。

「はーい。」

どちらかともなく返事をして、二人は教科書等の勉強道具を片付け始める。そして教師に見送られて、教室を出た。

二人分の靴音を響かせながら、階段を下り昇降口へと向かう。いちかは並んで歩くしずくの横顔をチラリと、盗み見た。

「ねえ、しずくってお化粧してる?」

「え?」

いちかの声と注がれた視線に気が付いて、しずくは首を傾げた。

「少しね。ばれた?」

しずくは舌先を少し出して、いたずらっ子のような表情をした。いちかは首を横に振って答える。

「よく見なければわからないよ。」

「ふーん。」

にっとしずくは口角を上げた。

「よく見てたんだ?やだ、恥ずかしいー。」

「え?あ、ごめ…っ。その、綺麗だなあって思って。」

いちかは恥ずかしさのあまり、更にとどめを刺す発言を口にしてしまう。しずくは、くく、と笑う。

「ありがと。今度、メイクしてあげよっか?」

「いいの?」

頬を赤く染めながら、いちかの表情はぱっと花が咲いたかのように華やいだ。

「いいよ。じゃあ…、期末テストが終わったあと。そうだな、夏祭りの日にとびっきり可愛くしてあげる。」

それは高校の終業式、夏休みに入る日のことだった。

「嬉しい!約束だよ。」

いちかは思わず、自身の小指をしずくに突き出してしまう。そして自分の子どもっぽい仕草に気が付いて、あ、と声を上げた。だが、いちかが小指を引っ込める前にいち早くしずくが小指を絡めてきた。

「うん、約束ね。」

「う…、うん。」

お約束の歌をしずくが楽しそうに口ずさむのだった。

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