第8話 ひまわりと墓参り

しずくはたった一人、短冊が釣らされた笹がたくさん飾られた小さな駅を降り立った。昨夜の願い虚しく、晴天に恵まれていた。

平日に関わらず、高校に行かずにこの場所にいるのは理由があった。

「…暑いなあ。」

しずくは独りごちながら、駅前の花屋で花を束で買い求める。花屋の主人は高齢の男性で、ひまわりを一本おまけしてくれた。礼を言って店を出て、商店街を歩く。色鮮やかな七夕飾りがアーケードからつるされて、とても華やかだった。気温が上がる時間帯は人影がまばらで、まるで陽炎のようにゆらゆらと揺れているように見える。恐らく、しずく自身も他人から見れば陽炎の一部だろう。

商店街を抜けて、お地蔵様の角を曲がり、短い橋を渡る。左右の畑では元気よくとうもろこしの葉が空に手を伸ばしていた。もう直に、収穫を迎えるはずだ。その光景はしずくの死んだ祖母の家庭菜園によく似ている。

途中のお寺の境内で持参した水筒から麦茶を飲んだ。体内にこもった熱が冷めていくのがわかる。溶けかけたキャラメルを一つ口に放り込んで、しずくは再び歩き始めた。

緑が目に鮮やかな木々のトンネルを抜けて、長い坂を上る。登り切った先には今日の目的地。しずくのもう一つの名字、春原家の墓があった。

墓地の狭間を縫うように進み、しずくは春原と刻まれた墓石の前に立つ。しずくは一人、手慣れたように手入れを始める。草をむしり、落ち葉を取り除き、墓石をタオルで拭った。墓の掃除は好きだ。真っ新な気持ちで故人と向き合える気がするから。

途中で購入した花を供え終えて、しずくは膝についた砂埃を払う。空を仰げばソフトクリームのような入道雲が山の向こう、覆うように浮かんでいる。

しずくの双子の姉、しぶきが死んだのも今日のような天気の日だった。

感傷に浸っていると、鞄のポケットからスマートホンの音が聞こえた。会話アプリの通知音だ。画面をタップしてみると、そこにはいちかのアバターがポコンッと言葉を紡いだ。

【今日は休みだと聞きました。体調を崩してしまった?大丈夫?】

休みの理由を勘違いしたいちかからの心配を含んだメッセージだった。しずくは嬉しく思いながら、返信を打ち込む。【超元気。心配させてごめんね、用事があって休んだの。】

既読マークがすぐにつき、可愛らしい猫のスタンプと供に更に言葉が戻ってきた。

【良かった!今、どこにいるの?】

いちかの問いに。隣町の地名を挙げる。この地域では間に山林があり、隣と言っても結構遠い。

【今日、駅まで迎えに行ってもいい?】

健気ないちかの希望に応えて、OKマークのついたスタンプを送る。

【ありがとう。また帰りの電車の時刻、連絡するね】

会話を締めくくり、しずくは手の体温で熱くなったスマートホンをまるで愛しい者のように胸に抱きしめるのだった。

家路につくために駅舎まで戻り、しずくは電車を待っていた。都会と違い電車の本数には限りがあり、下手をすれば一時間待ちのところを今回は30分待ちで済んだ。

プラットホーム、白線の内側のベンチに腰掛けて待つ。水筒に残った麦茶は、氷が溶けて少し風味が薄くなっている。鉄骨の骨組みがむき出しの駅舎は屋根がアーチ型になっており、夏の日差しを遮ってくれるのがありがたかった。しずくは暇潰しがてら、笹に吊された短冊の願い事を眺めた。『お金持ちになりたい』など欲深いものから、『テストで赤点回避できますように』と切実な願いがあった。

興味深く短冊を見ていると、しずくの白いワンピースの裾を引っ張る小さな女の子がいた。

「何?どうしたの。」

しずくがしゃがみ込み視線を合わせると、女の子は真剣な眼差しと口調で言葉を紡ぐ。

「おねえちゃん。この短冊、笹の一番高いところにつけて。」

「短冊を?」

見ると、女の子の小さな手のひらにはぎゅっと握られて皺が寄った短冊があった。

「いいよ。貸して。」

よほど真剣な願いなのだろうと思い、しずくは快諾する。女の子から受け取った短冊を背伸びして、笹の高いところに吊した。

「ありがとう、おねえちゃん!」

女の子は嬉しそうに、そして眩しそうに目を細めながら高々と空に揺れる短冊を見上げた。

「…何をお願いしたの?」

ふとした興味がわき、しずくは女の子に内容を尋ねる。

「内緒。だけど…、おねえちゃんにだけ教えてあげる。」特別だよ、と念を押して女の子はしずくを手招く。再びしゃがみ、女の子の口元に耳を貸した。

「ママの病気が治りますようにって書いたの。たくさん言葉にすると逃げちゃうから、誰にも言っちゃだめだよ。」女の子は、話すと離すをかけた迷信を信じているようだった。

「わかった。誰にも言わないよ。」

しずくは大きく頷いて、教えてくれてありがとうね、と小さな声でささやいた後に女の子と約束をする。

安心したように女の子は手を振って、しずくの元から離れて行った。

「…病気が治りますように、か。」

残ったのはしずくの小さな呟きだった。

やがて待ちわびた電車が線路を辿り、構内のホームにゆっくりと入ってくる。しずくは寒いぐらいに冷房の効いた車内に乗り込んだ。

規則正しい振動に身体を揺らしながら、車窓を見れば雨粒が当たっていた。いつの間にやら雲が厚くなり、耐えきれなくなって泣くように雨が降っていた。

天の川が遮られて、今年は織り姫と彦星が再会できないかもしれない。ざまあみろ。


濁った気持ちを抱えながら最寄り駅に到着し、しずくは電車を降りて改札口へと向かう。切符を駅員に手渡して駅のロータリーに出ると、不意に名前を呼ばれた。

「しずく。」

「!」

はっとしたように顔を上げると、赤い傘を差したいちかが制服姿のまま立っていた。どうやら放課後を迎えて直接、駅まで迎えに来てくれたらしい。

「…いちか。」

「おかえり。」

いちかは柔らかい笑みを浮かべながら、しずくを傘の中にお招きする。小さな折りたたみ傘だったために、二人は片方ずつ肩を濡らしながら歩き出した。

「傘、持ってなかったから助かっちゃった。ありがとう、いちか。」

「ううん。小さい傘でごめんね。家に帰る前にしずくが乗った電車が着きそうだったから、学校からそのまま来ちゃった。」

話を聞いていると、いちかはどうやら今日の放課後は図書当番だったらしい。無理しなくとも、と思う以上に嬉しくてしずくの気持ちは浄化されるようだった。

「よく、すぐに私のことがわかったね。駅から出てくる人、結構いたでしょ。」

「わかるよ。」

何気ないしずくの問いに、いちかは微笑み答える。

「私、お姉ちゃんだから。」

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