第21話

 太古の昔からキッドニアに空を飛ぶ人々が暮らしていることは知られており、地上の人々とも交流を持っていた。キッドニアへは陸路でたどり着くことが難しかったために、空を飛ぶ人々は独自の文化を発展させ、そして侵略から守られていた。


 ダーシテが生まれる少し前のこと、そのキッドニアの安寧あんねいおびやかされる事件が起きた。ルッパジャの探検家が陸路でキッドニアにたどり着いたのだ。貪欲に領土の拡張を目指してきたルッパジャとキッドニアの関係はすぐに険悪になった。そして今から五年前、ついに戦争へと発展した。


 当時ルッパジャを含め各地で飛行船が使われていたが、扱いの難しいディンギーは帝国にはほとんど存在しなかった。当然ルッパジャの軍隊は険しい陸路を進んだ。


 キッドニアの強みは航空技術だが彼らには全く戦争の経験が無かった。武器も原始的で組織だった軍隊すらなかったが、クラゲ漁師たちが中心となり、険しい山道を行軍するルッパジャの軍隊を空から攻撃した。条件が整えば精鋭部隊が空から鉾を振るったし、子どもでさえ空からの投石攻撃に従事した。


 その戦いで中心的な役割を果たしたのがシノニッタの、つまりこの地域のクラゲ漁師たちだった。クラゲ漁師はよく戦ったが、ひとたびルッパジャ軍が街に侵入すると、然しものクラゲ漁師たちも市街戦に長けた近代的な軍隊相手になすすべがなかった。


 そしてこの戦いで険しい山道を行くルッパジャ軍を案内したのがムムゥサらテーサイの連中だったと、ダーシテ青年は語ってくれた。


 直接戦いに参加した多くの漁師が殺され、捕虜にされた。生き残った者もみんな巨大飛行船ケンデデスとジャンパンドに乗り込み、北の方の空に逃げた。


 ダーシテの一家はキッドニアの街に残ったのだという。当時はルッパジャとしてもキッドニアの航空技術とクラゲ産業を手に入れるという目的があったので、キッドニアの市民に対して寛容だったという。自治を約束し、空人そらびとが今まで通りの生活が送れるよう取り計らった。しかし前述の巨大飛行船ケンデデスとジャンパンドに逃げた空人達は大規模に空賊化し、帝国の船に襲撃を仕掛けるようになった。キッドニアに残った空人達が彼らを支援しているのは明白だった。何しろクラゲ漁師たちがひとたび空に出ればルッパジャの軍隊は彼らを監視できなかった。


 結局ルッパジャはキッドニア人による空賊への支援を取り締まるため、空人の中でも従順なムムゥサらに権力を与えたということのようだ。


 ダーシテの話は、エイナイナが体験したケンデデスの状況をよく説明していた。あの船に子どもが多いのはつまり彼らは戦争孤児なのだ。そして物資が無いのは地上からの補給が絶たれているため。あれだけ大量のクラゲを水揚げしていながら販路に困り、二束三文で買いたたかれているのもここに原因があるのだろう。


 ダーシテはいろいろなことを話しにくそうに話してくれた。官憲の耳に入れば厄介なことになるような話なのだろう。傷の手当は終わり、ダーシテは黙っていた。聞かれれば話すけど自分からはそんなに話すつもりはないというような態度に見えた。


「先ほどの話だが」ダーシテは続けた「軍が駐屯するようになって物価が上がった。以前のように自由にクラゲをとることもできなくなった。たしかに軍の持ち込んだ仕事もあるが、そういった役職はテーサイの連中に独占されている。私たちは以前より貧しくなった」

「いずれ良くなる」と、エイナイナ。

「?」

「いずれ良くなると、私は思う。あなたたちの技術には価値がある。だからこそルッパジャは空人同士を反目させ、ムムゥサらに空人を管理させているんだ」

「それはそうかもしれないが、だからこそ言ったんだ。テーサイの連中は裏切者だ」

「ここに暮らしてるだけでは気が付かないだろうが、帝国は一枚岩ではない。西方や北方の諸侯は航空技術を手に入れたルッパジャを警戒し、あなたたちの技術を欲しがっている。状況さえ整えば、あなたたちはあなたたちの技術をもっと高く売れるはずなんだ」

「だったらどうすれば……、いやあんたに言ってもしょうがないことだな」

「いずれ帝国内部からルッパジャと事を構えようという勢力がでてくる。機会を逃さないよう状況をよく見ておくんだ。ルッパジャと距離のある諸侯と交流を持っておくのもいいかもしれない」

「――そんな話をするべきではない。おれも話すぎた」


 エイナイナも話をかえるべきだと感じた。

 エイナイナはずっと壁に飾られた銛が気になっていた。かなり年季の入った銛に見えた。そしてなにより、柄にはどこかで見たような刻印が入っていたのだ。


「ところで、あの銛は? ずいぶん年季が入っているようだが」

「あれか。漁師の使う銛や鉾は、クラゲに刺さったまま失われることがよくある。あれは父の知人の銛だ。去年、父が回収した」

「何年も空をさまよっていた銛というわけか。持ち主に返さないのか?」

「父の知人、デニスメは戦争で命を落とした。遺族も追放されている」

「そうか……。変なことを聞いてしまったね。すまない」


 ダーシテは"知人"というが、壁に飾られていることを思うと"知人"よりも近い関係だったのだろう。追放された一家と深い交流が有ったことを触れ回る者はいない。


 しかしエイナイナが壁に飾られた銛を気にした一番の理由は柄に刻まれた刻印だった。遠目に見ているあの銛、つまりデニスメという漁師が使っていたという銛の刻印は、シューニャの使っていた銛についていたものとそっくりだったのだ。聞いてみたくもあったが、しかし自分が空賊と接点があることをダーシテに教えるメリットは感じられなかった。むしろダーシテに迷惑がかかるということも考えられた。


「デニスメは――」ダーシテは続けた。「最も優れたクラゲ漁師であり、ディンギー乗りだった。史上最大級ともいわれるダイオウハリクラゲを仕留めたのもデニスメのチームだった。そのクラゲが今は飛行船ケンデデスとなっている」

「史上最大級のクラゲ……、史上最大級の飛行船か……。一度お目にかかってみたいものだな」

 エイナイナは飛行船ケンデデスを見たことがないふりをした。ダーシテはエイナイナが興味を持ってくれたことに喜んだようだった。すこし顔が明るくなった。

「あのダイオウを捕るときは、おれもその場に居たんだ。まだ子どもだったけどね。母船に乗り合わせていたんだよ」

「やはり難しいのか?」

「そもそも奴らは極北の分厚い雲の中にしかいない。だから漁師は何日も母船に寝泊まりするんだよ。母船にはぱさぱさのパンと干し肉しかないんだ。見つけるまでが大変だが、見つけてからもまた大変なんだ。吐き出す空気の量が尋常ではなく、飛んでいるだけでもみくちゃだ。銛だってそのままでは刺さらない。まず鉾で表皮を割いて、そのすきまに銛を打ち込むんだ。そうやって苦労して目印のブイをいくつ打ち込んでも意に介さず飛んで行ってしまうんだ」

 青年は楽しそうに話した。やはりクラゲをとることが彼らの喜びなのだ。

「今は……、クラゲ漁はやってないのか?」

「やってはいる。しかし大クラゲ漁は許可制になっていて、そもそもルッパジャの空域では四人以上集まって飛ぶことが禁じられている」

「四人以上で集まっていたらどうなるんだ?」

「軍は常に波動計で監視していて機影が集まっていれば軍艦で臨検にやってくる」

「なるほど。自由にクラゲ漁も出来ないというわけだな」


 どうもきな臭い話になってしまう。少し沈黙していると、またダーシテが話しはじめた。


「ここシノニッタでは三年に一度ディンギーレースを開催していてね、デニスメが三連覇をしていたんだよ。戦争の影響があって前回は開催されていないんだが、今年は6年ぶりに開催されるんだよ。三日後なんだ」

「あー、空港で職員が言っていた。それこそ、ムムゥサが言っていたな。それで厳戒態勢なんだと」

「久しぶりの開催を盛り上げたいんだ。出てみないか?」

「そうだな。仲間にも知らせておこう」

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