第20話
こめかみが焼けるように熱かった。血が出ていることが分かったが、そのままうずくまっていた。近くで香辛料を売っていた女性が寄ってきてよくわからない草をくれた。止血の効果があるからこれで押さえておけとのことだった。エイナイナは近くのテーブルに席をとり、じっとこめかみを押さえていた。別の女性がやってきて水をくれた。彼女は呆れたように「馬鹿なことするもんだね」と言った。また別の女性は「つまらない意地なんか張るもんじゃないよ。軍人じゃあるまいし」と言った。
軍人じゃあるまいし……。そうだ。意地を張ってしまった理由のひとつはやはりエイナイナが軍人だったからだ。エイナイナは少なくとも数週間前まではコーノック伯領の軍人、それも高位の軍人だった。あの馬鞭の男とは格が違うはずだった。ルッパジャ軍人のあの男とは
軍服を着ている時と、飛行服を着ているときとでは貫ける正義が違った。
顔をあげると、がたいの良い青年が立っていた。やはり紺色の民族衣装に身をつつみ。そしてその青年の背後には、先ほどのコソ泥少年が顔をのぞかせていた。
「弟をかばってくれたそうだな。弟のために申し訳ない」そういって男性は頭を下げた。彼は少年にも頭を下げさせた。
エイナイナは何も言わずに首をふった。
「傷を見せてくれ」
と青年。
「大した傷ではない。目の周りは出血しやすいものだ」
エイナイナはそういうが、自分ではよくわかっていなかった。
「冷水で洗って油を塗れば血が止まる。うちで手当させてもらえないか?」
エイナイナは必要ないと思ったが、
▣
青年はダーシテと名乗った。ダーシテとエイナイナは石畳を歩き、ダーシテの家に向かった。
「ダーシテ、先ほど私を殴った軍人はどういう立場なんだ?」
「後で話そう」
とダーシテ。その態度からルッパジャ軍人と、この民族衣装を着たキッドニア人とはあまり良い関係ではないらしいことがわかる。
市場を出て、大通りに突き当たった。先ほど空から見た通り、右に行けば現代的な建物が並ぶ入植者の居住区だ。エイナイナの故郷とは多少違うとはいえ、帝国風の衣装を着た人々が行きかう帝国の街だった。しかし青い民族衣装の青年、ダーシテは大通りを反対の左に曲がった。いわゆる旧市街だろう。もちろんエイナイナは詳しいことは知らないが、キッドニアの歴史を考えればこの街が出来上がった背景を想像することは難しくない。
旧市街の特徴は石積みの家々が低く作ってあることだ。その分床を掘り下げてある様子だった。床を掘り下げてもここだとあまり雨の心配もないのだろう。それに天候が荒れると相当強い風が吹くことが予想できる。建物は低い方が安定する。
招かれた青年の家はやはり石造りの住まいだった。中は意外と広い。壁には様々な道具がぶら下げられている。へら状のナイフ、
青年は簡素な机と椅子を用意し、「座ってくれ」と言った。
青年は別の部屋へと向かった。治療のための油でも取りに行ったのだろう。エイナイナは用意してもらった席にすわり、壁に並んでいる道具を眺めた。家族にディンギー乗りがいるのだろうか、それとも修理を請け負っているのだろうか。
ダーシテは桶と小瓶を持って戻ってきた。
「
手当してくれるダーシテは慣れた様子だった。
「先ほどの軍人だけどね」ダーシテがいう。「あいつはムムゥサだ。ルッパジャ空軍のディンギー隊の教官を務ている。同時にキッドニア人居住区の治安維持の責任者でもある」
「ディンギー乗りなのか、馬鞭を持っているのに?」
「あいつはキッドニア人だ。帝国人のふりをして取り入っているいるのさ」
「ふーん」
当然だがダーシテの口ぶりはムムゥサが気に入らないという感じだ。大方ルッパジャがキッドニアに攻め入ったときにルッパジャに味方することで今の地位を手に入れたのだろう。文化が衝突する場所ではこういう立ち回りをする者はどこにでもいるものだ。
「ルッパジャはつまり、今はキッドニア人の協力のもとで航空技術を磨いているというところか」
ダーシテは黙り込んで、傷の手当をしてくれた。
「気に入らないか? 帝国の軍が
これはダーシテの本音を聞き出そうという質問だった。実のところエイナイナは支配層のルッパジャと被支配層のダーシテらの関係がよくないことに気が付いていた。
「いま
そういうとダーシテは弟を追い出した。エイナイナはその前に懐に入れておいたパンをその弟にやった。
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