第19話

 エイナイナは会計を済ませて、少しゆっくりしていた。本当にうまい昼食だった。キッドニアの街を一回り見学して仕事に戻ろうと考えていた矢先、女性の大声が聞こえた。


「泥棒!」


 エイナイナの方に走ってくる少年、先ほどの薄汚れた物乞いだ。黄緑きみどり色の果物を持っている。その少年がエイナイナの横を走り去るその刹那せつなに、エイナイナは座ったまま少年の襟首えりくびをつかまえた。少年の勢いに引きずられたが、エイナイナは立ち上がって踏みとどまった。椅子は転がり、少年の持っていた果物も地面に転がった。


「少年、盗みはよくない」


 果物売りの女性、小太りの女性がわめきながらやってきて少年を怒鳴りつけた「このコソ泥が、こんどやったら承知しないからね」。そのまま果物を拾うと女性はエイナイナに向けて笑顔をつくり、少し首を傾けた。「こんなことばっかりだ」というような仕草に思えた。そしてそのまま帰っていく。


 少年はエイナイナの手から逃げよう逃げようともがいていた。エイナイナは自分のふところに持っていたぱさぱさのパンを取り出し、少年に与えようとしたが、その瞬間にパシンッと音がなる。


「困りますね。泥棒に褒美ほうびを与えてもらっては」


 それは軍人の三人組……、港で会ったやせぎすの馬鞭ばべんの軍人だった。彼は相変わらず馬鞭をもてあそんでいた。

 コーノックで軍人をやっていたエイナイナにとって馬鞭はなじみのある道具だった。しかし、この地には似つかわしくない。ここに馬などいないからだ。この地は起伏が激しく騎馬向きではないうえに、ディンギーにうってつけの良い風が吹いている。この地に馬の出番はない。


 そのやせぎすの軍人が馬鞭を自分のブーツに打ち付けると、バシンッという威圧的な音がなった。その鞭を軍人はエイナイナの方に向け、しっしっと二回はらった。離れろという意味だろうことは明白だが、そのしぐさは余りに無礼だ。


 その馬鞭の軍人はひきつれている男のひとりに顎で命令すると、男は腰にぶら下げたこん棒を手に取り、少年を殴ろうとした。エイナイナはとっさにそのこん棒を掴んだ……が、すぐに放した。そして敵意はないことを示すために両手を上げた。


 そう。おそらく、飛行服を着ている今のエイナイナは、帝国の軍服を着ていた以前のような立場ではなかった。馬鞭の軍人は険しい表情になり、エイナイナにむけて鞭を突きつけ、言った。


「どういうつもりだ?」


 この男の仕草がいちいち気に入らなかった。なにかこう、軍人ぶっている偽物のように思えたのだ。


「すまない。いくら泥棒とはいえ、子どもが殴られるのを黙ってみているのは忍びない。勘弁してやってはもらえないだろうか」

「治安維持のために必要な措置そちだ。お前だって先ほどはここの治安を気にしていたではないか」

「子どもを殴っても社会は良くならない。泥棒をしなければならない境遇におかれていることは、この子の責任ではない」

「じゃあ誰をなぐったら世界から泥棒が居なくなるんだ?」


 エイナイナは黙った。この質問はわなだろう。一介いっかいの運び屋がこの地の為政者を批判すれば何をされても文句は言えない。


「私が……、殴られればこの子を見逃してもらえるか?」


 馬鞭の軍人はにやりとして鞭を軽く自分の手のひらに叩きつけた。


「よかろう」


 エイナイナは帽子を外した。するとこめかみの辺りにある傷があらわになった。シューニャに殴られたときの傷である。


「なんだその傷は。おまえ、行く先々で官憲に殴られているのか?」

「正しいことを言うと、いつも殴られるんだ」


 エイナイナがそういい終わらないうちに、軍人は鞭でエイナイナのこめかみを強く打ち付けた。目を閉じてうずくまるエイナイナ。軍人の三人は去って言った。子どももまた、何も言わずに去っていった。

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