第25話

 十時になるとエイナイナとシューニャはレースの受付に行った。ダーシテもレースに参加するのだが別々に行動した。シューニャ、エイナイナとダーシテ一家とは関わりがないように振舞った。シューニャのディンギーはダーシテが持ち出し、人目につかないところでエイナイナの手に渡した。


 それからシューニャはレースコースの下見をした。コースはまずシノニッタの大通りから始まり、市街地を飛び、それから街の外れの谷から空に飛び出して、波動台のあるシノニッタ峰へ向かい、峰をぐるっと回って帰ってくるというものだ。


 市街には目印となるポールがいくつも立てられており、参加ディンギーはポールの間を抜けなければならない。障害物が多く、風も弱くて不規則な区間だ。この区間は軽くて小回りの効くシューニャの得意とする区間だろう。しかし街を飛び出すと今度は谷を駆け上がってくる強い上昇気流を味方に付ける必要がある。ここは体力的に大きな帆を扱えないシューニャの苦手とする区間になるだろう。



 用水路を渡す橋の上からエイナイナは予選の様子を見ていた。ダーシテはそれほど上手くはなかった。そんなに空に出る機会がないのかもしれない。シューニャはもちろん危なげなく飛ぶのだが、なにより飛び方がもっとも華麗であった。ディンギーたちは市街の建物の横を飛び、右へ左へと路地へ入っていくのだが、しかし実のところ巧みな操船でコーナーを曲がる者は少ない。ほとんどの者は鼻から壁に向かって飛び、壁に足をついて曲がる。またはパン屋の看板を掴んで曲がるなど無粋ぶすいな工夫がみられた。用水路に出ると、そのまま用水路をエイナイナの立つ橋の方に向かって来て橋の下をくぐった。


 予選はコースを何週でもしてよかった。コースを覚えさせる目的もあるのだろう。予選ではタイムを競うわけではなく、各所に審査員がいてちゃんと飛べている者に合格を与えていた。しかし本選は十週でタイムを競う。予選を見ていると、シューニャとダーシテのほかにもうひとりエイナイナの知った顔があった。ムムゥサである。エイナイナを馬鞭ばべんで殴ったあの軍人だ。飛ぶところは初めて見たが、たしかに上手かった。優勝候補だろう。

 ムムゥサを見たエイナイナの顔は険しくなった。


 予選が終わると、エイナイナはシューニャと市場にいって食事をとった。


「勝てそうか?」

 シューニャはエイナイナを無視した。

「痩せた軍服を着た男がいただろ。あいつにだけは優勝させるな」

 エイナイナがそういうと、シューニャは意外そうな顔をした。

「全員に勝つ」

 と頼もしく答えるシューニャ。

 

 予選を見る限りシューニャの技術がムムゥサに劣っているとは思わないが、やはり最後の空に飛び出す区間。あそこは技術でどうこうできる区間ではないように思えるのだ。エイナイナはあの馬鞭の軍人、ムムゥサに一泡ひとあわ吹かせてやりたかった。


 午後。レースの本戦。エイナイナは今度は街のはずれの見晴らしの良い、風車の横に位置どった。風車の奥はすぐ谷になっており、その向こう二百メートル先には雄大なシノニッタほう。その頂には大きな波動台はどうだいがあった。波動台はドーム型の屋根を十本ほどの石の柱で支えていて、まるで神殿のようだった。実際このシノニッタ波動台は飛行船の道しるべたる波動台であると同時に宗教的意味を持っている。ドームの頂から地面に向かって何本も綱が張られていて、そこには様々な色の旗がはためいている。航空の安全を祈願するのだそうだ。


 やはり勝負が決まるのはここだと思った。この付近に観客はそれほど多くなかった。それも当然だ。街中での観戦の方が迫力があるし、ゴールの瞬間を見るならば大通りだろう。


 この区間では参加者は街を飛び出して谷に出る。そしてそのままシノニッタ峰をぐるっと回って戻ってくる。風が強く、もっとも速度の出る区間だ。峰の頂の波動台の周りにはディンギーに乗った職員が配置されていて参加者がちゃんとみねをターンしたかどうかを見ている。。


 ここの折り返しはどうしても速度を殺すことになる。最短距離は波動台の周囲のぎりぎりをくるっと回ることだが、速度が落ちすぎる。風のむらがある場所では常に風を選べるくらいの速度を保っていなければならない。


 なるべく速度を殺さずにもっとも効率よく峰をターンするには、峰の低い位置に向けて降下し速度を稼ぎ、最後は上昇しながら速度を落として大回りにターンすることだろう。とくに先頭ならそういう安全な飛び方をするはずだ。


 エイナイナが波動台のターン攻略をイメージしていると、ダーシテの父もそこへやってきた。本当は一緒にいない方が良いが、たまたま一緒になってしまった。二人は初めて会ったかのように振る舞い、そして月並みなレースの話をした。

 しかしエイナイナはやはり、気になっていたことを聞きたいという衝動を抑えられなかった。


「ヤーナミラたちと、一緒にクラゲ漁をやっていたんですか?」

「そうだ。ルッパジャと戦争になるまではな」

「戦争には参加しなかった?」

「おれは後方支援、整備が主な任務だった。つまり、みんながみんな戦争犯罪を問われたわけではないんだ。ルッパジャも空人そらびとの協力が必要だったのだ。デニスメやサキートなど中心的な役割を果たしたものは戦犯とされた。シューニャの父デニスメは処刑された。デニスメはキッドニアの英雄、精神的支柱だったからな」

「英雄……」

「ここキッドニアに帝国軍が攻め込んできたときに最前線で戦ったのがクラゲ漁師たちだった。帝国軍がもっとも恐れたのがシューニャの父、デニスメだったんだよ」

「それは想像できる。そもそも帝国は空の戦いに慣れていない。空ではクラゲ漁師たちにかなわないだろう。特にあのシューニャの父となれば……」

「しかし漁師がいくら強くてもどうにもならなかった。街は地上にあるんだ。最終的にキッドニアの街はひとつ残らず制圧され、デニスメ、ドーニャ夫妻はつかまり、焼かれ、灰は空にかれた」

「シューニャは?」

「幼いシューニャは捕まり投獄されていた。しかしヤーナミラ達はルッパジャの捕虜を連れてケンデデスで脱出していた。シノニッタが占領されて数か月が過ぎた頃、空に逃げた連中とルッパジャとの間で捕虜ほりょ交換が行われた。その時解放された二十名の中にシューニャが含まれていた」

「シューニャは帝国を憎んでいるんだな?」

「それは……シューニャだけではない。三年に一度開かれるレース、シューニャの父デニスメは三連覇していたんだ。シューニャがさっき自分で言っていた通り、デニスメを処刑した帝国の連中に勝たせるなんて許せないという気持ちもあるだろう。しかし……、もしかするとシューニャがレースにこだわったのは……」

 ダーシテの父は少しを置いて続ける。

「そうだ。予選のシューニャを見て思ったんだ。あいつは単純に飛ぶのが好きなんだろうな。楽しそうじゃないか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る