第24話

 エイナイナは再びシノニッタに向かうこととなった。


 ヤーナミラらもレースに関する具体的な内容は分かっていなかった。シューニャだってそうだろう。具体的にいつ始まるのか、飛び入りで参加できるのか。そして参加資格、手続きは? コースは? 使用ディンギーに関する規定などは?


 レースとなれば、コースに合わせて帆や浮力を調整するべきだろう。しかしこれはコースが分からなければ調整のしようがない。シューニャはどうするだろうか。おそらく、現地で調整する必要があるはずだが、シューニャにはキッドニアに連れていける仲間がいない。そもそも、本人でさえ本来その場に居られないはずなんだ。と、なると……。


 キッドニアのシノニッタ峰が見えてくると、遠目からでも数日前とは様子が違うことに気が付く。ずいぶんと多くのディンギーが周囲を飛び回っているのだ。エイナイナはちゃんと空港に降りた。官憲はたくさんいるようだが声をかけられることはなかった。来訪者が多すぎるのだ。この状況ならばお尋ね者であってもそうそうばれないだろう。エイナイナはディンギーを預けたが、いて歩いている者もいれば、街中を飛んでいる者もいるのだ。シューニャが紛れ込むくらいわけないだろう。


 エイナイナはまっすぐにダーシテの家に向かった。彼はエイナイナの唯一の知り合いであるし、レースに関しても良く知っているはずだ。レースがいつ始まるのか、どのようにエントリーするのかなど、シューニャを探すために必要な情報が得られるだろう。――しかしエイナイナは漠然と予感していた。今回の任務は簡単に解決するのではないかというような予感が。


 エイナイナがダーシテの家を尋ねると、木の観音かんのん開きの戸は片側があけ放たれていた。中には一機のディンギーがあり、ダーシテ青年とおそらく彼の父であろうと思われる男性が工具を片手に何やら話し合っていた。


 エイナイナが開け放たれている戸をノックすると、ダーシテはエイナイナに気が付いた。


「やあ、エイナイナじゃないか。レースを見に来てくれたのか?」

「いや、ちょっと用事があってね……」

 エイナイナはゆっくりとダーシテの家に上がり込み、父親と思しき男性に会釈えしゃくをした。ダーシテの父親と会うのは初めてだったが、ダーシテと同様にがたいがよく、そして貫禄があった。ダーシテの話によれば、この父はシノニッタ杯にも優勝したことがある伝説のクラゲ漁師、デニスメと親交があったという話だ。

 それからエイナイナはダーシテらがまさにいじっているディンギーを観察した。見覚えのある機体だ。間違いなかった。

「これはレース向けに調整してるんだよ。依頼されたものだ」とダーシテ。

「今日はこのディンギーの持ち主に、会いに来たんだ。どこにいるかな?」


 ダーシテは神妙な顔でダーシテの父の顔をうかがう。父はゆっくりとエイナイナの後にまわって戸を閉めた。エイナイナも少し緊張した。


「このディンギーの持ち主を知っているのか?」と父。低い声だった

「今は……、一応同じチームで仕事をしている。連れ戻すように言われて迎えに来たんだ」

「同じチーム? なにか勘違いしてるんじゃ……」

「本当だよ」と部屋の奥から声が聞こえ、現れたのはシューニャだった。

「知り合いだったのか……。エイナイナ、ケンデデスの人間だったのか……」とダーシテ。

「コーノックの出身だというのは本当だ。事情があって今はケンデデスに厄介やっかいになっている。だましたみたいですまないね」

「なんでここが分かったんだ」とシューニャ。

「たまたまだよ。数日前にたまたまダーシテと知り合ったし、その時にシューニャの使っている道具と同じ刻印の入った銛をここで見た。シューニャの父と、ダーシテの父は良く知った関係だったのではないかと推測した。その伝説的なクラゲ漁師デニスメこそが、シューニャの父親なのではないかと」

「何しに来たんだよ」

「連れ戻しに来たんだ。当然だろ? 帰るぞ」

「嫌だ。わたしはレースにでる。お前には関係ない」

「そうだな。私は言われたから連れ戻しに来ただけで、お前がレースにこだわる理由も知らなければ、なんならお前が捕まっても私には関係ない。しかしお前が捕まったら協力してくれたこの家にも迷惑がかかるぞ」

 するとダーシテが口を挟んだ。

「ディンギーは別に運び込んだしシューニャの顔はみられないようにしている。うちが協力したことはばれないと思う」

 ダーシテの顔に迷いは無かった。彼は危険を承知でシューニャを手伝っているのだ。

「ダーシテまで……。みんななんでこんなレースに本気になってるんだ」

 エイナイナがそういうと、ダーシテが言う。

「シノニッタ人の誇りなんだよ。もう、これしか残っていないんだ。それに、シューニャにとっては……」

「父が優勝するはずだったレースなんだ」とシューニャ。「父を処刑した帝国の連中に勝たせるなんて、死んでも許せない」シューニャの唇は震えていた。怒りに、或いは悲しみに? そして続ける。「お前も言っただろ? 人には命よりも大事なものがあるんだろ? 私にとってはこれなんだよ!」

「シューニャ……」

 エイナイナはダーシテとその父の顔を見た。この三人は同じ気持ちなのだ。いや……、もしかするとルッパジャの支配を甘受かんじゅしているシノニッタ人のほとんどが彼らと同じ気持ちなのかもしれなかった。

「私はレースに出る!」と、シューニャ。「お前やヤーナミラが何と言おうと出るったら出る!」


 ダーシテがしーっと言って指を口に当てた。この家から少女の声が聞こえると後々都合が悪くなるかもしれないということだろう。

 エイナイナはというと、シューニャの覚悟を甘く見ていたことに気が付いた。言われたから連れ戻しに来ただけ、なんなら魚でも食べて帰るかくらいに思っていたエイナイナの心に、シューニャの心意気が響いた。


「ダーシテ、レースのスケジュールはどうなっているんだ? 出るとしてどんな手続きがある?」

「十時に中央広場で受付開始。午前中はコースの下見と予選。本選は午後からだ」

「身元確認とかは無いのか?」

「素性がばれる可能性があるとすれば登録時。シューニャは帝国から来たことにする。名前はピネリ」

「私が付きおう」

「はあ? なんでエイナイナが!」と、シューニャ。

「お前、帝国のどこから来たんだ? お前の故郷はどんなところだ?」

「……帝国ったら帝国だよ。モ、モーネダリとか」

「わたしが登録の手助けをしよう。わたしならば帝国の出身者として振る舞える。コーノックから来たことにしろ。山岳地帯なのでキッドニアと雰囲気は似ている」

「下手くそがでかい顔するな」

「シューニャのような粗野そやな子どもが一人でやってきたというよりは、怪しまれる危険性がずっと少なくなると思う」

「それは、そうかもしれないな」とダーシテの父。「エイナイナはシューニャに比べるとずっと分別ふんべつがありそうに見える」

「保護者面するな! そんなにとし変らないだろ」

「そうなのか? わたしはずっとお前のことをクソガキだとだと思っていた」

「馬鹿にするな!」

 そう言ってシューニャはエイナイナにグローブを投げつけた。

「シューニャ、お前の目的のために最善の策だ。我慢しろ」

「お前たち仲わるいのか?」とダーシテ。

「いーーっ」

 と、シューニャ。

「仲間だとは言ったが、仲が良いと言った覚えはない」

 と、エイナイナ。

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