第26話

 レースが始まる音が響いた。街の中心から歓声が聞こえる。その歓声は少しずつ、少しずつ、エイナイナのいる風車の方へと近づいてくる。街を抜ける通りから最初に飛び出してきたのはシューニャだった。追うようにしていくつものディンギーが飛び出してくる。

「おお!」

 幾度いくども直角に曲がることを要求される市街のコース、そして橋をくぐる場面など小さいシューニャ機が有利なことは予想できた。

「問題はここからだ」

 谷へと飛び出しだディンギーたちは、谷を駆け上る上昇気流をつかって上手く速度を乗せていく。ここでは帆が大きいほど有利だ。

「やはりシューニャ機は弱いか」

 先頭を行くシューニャの軌道はエイナイナが予測していた軌道と重なった。かなり低い位置まで降下し、大きな弧を描きながらシノニッタ波動台を目指す。しかし途中まで先頭を飛んでいたシューニャは波動台にたどりつく前に後続に抜かされてしまった。


 シューニャを追い抜いた後続。それはあの馬鞭の軍人ムムゥサだった。エイナイナは険しい顔になり、こめかみをひきつらせた。


 波動台を折り返して戻ってきたとき、シューニャは三番手まで落ちていた。


「ふむ……。しかし上手く二番手の後に入れた」と、ダーシテの父。

「はい」


 先頭集団はすぐにエイナイナからは見えない区間に入っていった。そのころにようやく、ダーシテが姿を現す。うしろから数えた方が速いくらいだった。エイナイナは思わず応援しそうになったが、気持ちを抑えた。ダーシテとは接点のないコーノック人を演じなければならない。


 参加選手たちの一群が去ると、静かだった風車周りにも人が集まり始めていた。エイナイナはダーシテの父とは離れ、そこらの誰かにところかまわず話かけた。

 「25番機、妹なんですよ。応援してやってください」

 ダーシテの父と特段親しくしていたようには見られるべきではない。 


 この場所からゴールは見えないが、一週目、シューニャはおそらく三着を守っただろう。しかし二週目に得意な市街で挽回したとしてもまた波動台のターンで台無しにされるだろう。少しずつ順位を下げるということもあり得そうに思えた。


 ところが、二週目、三週目と終わっても25番機のシューニャは常に先頭集団二位か三位に付けていた。苦手なはずの峰をターンするところでさえ、常にだれかの後にぴったりと食らいついている。


「25番機、上手いな」と、ダーシテの父。

「一週目よりスピードが乗っている」

「人の後ろの方が飛びやすいものだ」

「なるほど。人の後ろならばこの苦手な区間も食らいついていける。しかし……、この区間が終わったらすぐにゴールだ」

「そうだな。ゴール前に市街区間があれば一位を奪取するチャンスがあるが、今年のコースはそれを許してくれない。相手のミスを待つか、運よく風をつかまえるかしないと……」

「それも、その運が最終周に訪れてくれないと意味がない……」

「そうだな。しかし……、おそらくあの25番機ならば市街でトップに出ることも出来るはずだ。それなのにしっかりと二番手三番手を維持している。冷静に機を見ているようにも思えるのだ」

 

 6周もするとトップの三人ははっきりしてきた。15番機のムムゥサと誰か知らない23番機の男、それから25番機のシューニャだ。一位は15番と23番でころころと入れ替わった。シューニャはずっと二番手、三番手に甘んじている。


――何か考えがあるのだろうか……。


 シューニャが動いたのは九周目だった。いつものように谷へ飛び出した先頭集団三人。15番のムムゥサと誰か知らない23番の男はいつものように大回りに峰を回る軌道を描いたのだが、シューニャだけは最短距離で最高速度でまっすぐ波動台へ向かっていった。シューニャは波動台のすれすれ、いや、波動台のドームから地面に向かって張られているロープ、小さな旗をたくさんはためかせているロープすれすれを飛び、ロープに向かって手を伸ばし、それを掴んだ。シューニャ機は急激に失速したが、そのままロープは根元から引きちぎれ、シューニャもバランスを崩す。しかしすぐに体勢を立て直し、波動台をぐるりと回った。速度を落とし過ぎたシューニャは降下しながら速度を取りもどそうともがくが、その間に15番のムムゥサと23番の男は勢いよくシューニャを追い越し、そして飛び去って行った。



「シューニャ……。ロープを……」

「うむ。ロープを掴んで速度を殺したのだろう。速度の乗らない街中でのターンでは有効だが、ここでは失敗だったな……」


 先頭集団三人の後はずいぶんと差がついている。シューニャの遅れは致命的ではない。しかし残り一周、一位でゴールを切るための策は見当たらなかった。


 最終周の十周目。街中で響く歓声が少しずつ近づいてきて、再び先頭集団三人が谷に飛び出してきたとき、シューニャは二番手に着けていた。そしてそのままシューニャだけが、またしても波動台へと最短距離で最高速度で向かっていった。


「まだやるのか、シューニャ……」


 それは悪あがきにしか見えなかった。エイナイナは少し落胆した。自分を打ち負かしたシューニャには、やはりすごいディンギー乗りで居て欲しかった。


 エイナイナが波動台に目をやると、先ほどシューニャが引きちぎったロープ、色とりどりの小さい旗をたくさん並べているロープが谷を駆け上がる上昇気流に煽られて棚引たなびいていた。エイナイナは何かに気が付き、背筋をぞわぞわと駆け上がる興奮に震えた。


「そうか……。これを狙っていたのか!」


 シューニャは速度を緩めることなく、ほとんど水平に棚引いているロープに向かって飛んでいき、そのロープの端を掴んで、そのままディンギーを縦に傾けた! 猛スピードでロープを掴んだシューニャはそのままの勢いで波動台から伸びるロープにぐるりと振り回される!


「いけぇ! シューニャ!」


 本来ならばシューニャではなくピネリと呼ばなければならなかった。


 信じられない速度で波動台を半周したシューニャはロープを放し、速度に乗ったまま戻ってくる。こうしてシューニャは15番のムムゥサと誰か知らない23番の男を置き去りにした。


「よし、一位だ! しかも速度もある! 勝ったぞ、これは勝ったぞ!!」


 エイナイナはそのままゴール地点の大通りまで走っていった。

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