第10話

 エイナイナは先にスタチオの食堂を出た。ずいぶんと日は傾いていたが、なにぶん空に浮かんでいるためになかなか太陽は沈まなかった。バーボアにはドックに行けと言われたが、そんな気分にもならなかった。エイナイナは適当に散策した。いま歩いている街――街と言っても飛行船の飛行甲板なのだが――は通路がやたらと狭くてしかも起伏がなくて本当に迷子になりそうだ。


 狭い道で後ろから来た子どもたちがエイナイナを追い越していった。それにしても人が多い。いったい何人がこの船で暮らしているのだろう。畑があるわけでもないし、家畜がいるわけでもないこの船に……。


 こどもたちについていくと広場に出た。祭りができるほどは広くもないし、井戸があるわけでもないが、コミュニティにこういうスペースは必要なのだろう。いまは子どもたちがディンギーを囲んでいるようだった。操作を学んでいるのだろう。


「子どものうちからディンギーに親しむのか。上手いわけだ」


 エイナイナは近くの建物の影に腰を下ろした。


 子どもたちが七人、八人は居た。子どもたちだけでディンギーを触っているのだろうかと一瞬いぶかしんだが、すぐに気が付いた。ディンギーを教えているのはシューニャだった。あの殺気立った空賊の少女だ。技術は一流かもしれないが、シューニャだってまだ子どもだろう。子どもに対する教育というのは、なにも技術を教えることが全てではない。あの殺気だった少女に教育者としての分別ふんべつが備わっているとは思えない


「どうなっているんだ。ここの教育は」


 せっかく腰を落ち着けたエイナイナだったが、立ち上がり、ドックへ向かうことにした。




「エイナイナは今日も見ているだけでいい」とヤーナミラは言った。

 エイナイナは不機嫌な顔でヤーナミラを見る。

「お前の煮え切らなさに配慮したわけじゃない。まだ足手まといになるだけだからな」


 たしかにエイナイナはまだ空賊になる覚悟は出来ていなかった。しかし昨日、ドックではヤムにディンギーの浮力の調整をしてもらった。浮力を抑えることで、少なくとも下方向へはとっさの移動が可能になる。それと引き換えに上昇するためには風を読む力や、場合によっては飛びながらペダルを操作して浮力を高める必要が生まれた。エイナイナは空賊の操船術には敬意を払っていたし、空賊から何かを学び取ろうという前向きな気持ちもあった。

 そしてエイナイナのディンギーは左右にホルダーがつけられていた。右にはほこを、左にはもりを納めることができた。銛の使い方も習った。銛は特殊な構造だが、鉾は感覚的に使える。そして服装。昨日は軍服の上に防寒用の飛行服を羽織っていただけだったが、今日はすっかり空賊の装いであった。


 エイナイナは自分のディンギーに据え付けられた鉾を複雑な思いでじっと見つめていた。

「いずれ、その鉾を振るってもらうぞ」とヤーナミラ。

「私に武器なんか持たせていいのか?」

「身を守る必要はある。それにたぶんお前は闇討ちみたいなマネはしないだろう」

「信用されたものだな」

「逃げなかったじゃないか。逃げるチャンスはあったろう?」

「逃げたらどうするんだ?」

「契約不履行だ。コーノック伯の船を探して沈める」

「コーノック伯はそうそう遠出はしない。ここから領内まで飛ぶのも大変だし、領内で空賊行為を行うのも難しいだろう。なにしろ領内で船を落としてもそこは私たちの世界だ」

「ならなんで逃げないんだ? 逃げきる自信がないか?」

 エイナイナは黙った。

「お前がわたしのいう通りに動かないことこそ、お前の主に対する裏切りではないのか? お前がわたしの手ごまになることを条件に、わたしはお前のお姫様を助けたんだ」


 返す言葉が思いつかないエイナイナはぐっと奥歯をかみしめた。近くで干し肉を噛んでいるシューニャは軽蔑のまなざしでエイナイナの様子を見ていた。

 主人のためにならば、どんな苦しみをも受け入れる。それが臣下の務めである。エイナイナはそういう思いで生きてきたし、今もそう思っている。ただ、その言葉の重さを見縊みくびっていたのかもしれない。


「やるか、やらないかだ」ヤーナミラが言う。「決めてしまえ。煮え切らない選択が仲間の命を奪う。最もむべき態度だ」

 そしてクウェイラがいう。

「あの時一度死んだと思えよ。その覚悟はあったんだろ?」

「いっそ、殺してくれればよかったんだ」


 結局エイナイナの口からはこんな憎まれ口しか出てこないのだった。




 ひんやりと風が冷たい早朝。良い陽気だった。ケンデデスを出てからしばらくはゆったりと風に流された。しばらくはなんだかみんな暇そうに話していたり、干し肉を噛んだりしていた。つまり、ヤムが獲物となる船を探しているところだったのだ。


「居たぞ。レカナチュ籍の二十メートルだ」

「よし」

 そういうと、仲間たちはヤムの指さす方に向かった。

「なんで船籍までわかるんだ?」

 とエイナイナが尋ねる。

「何回か見た波形だ。それだけだ」


 移動中、ヤーナミラとバーボアがいろいろと約束事を教えてくれた。空ではぐれないための連携、笛でのコミュニケーションの仕方などだ。状況に応じてとるべき行動もかわるため、一朝一夕で覚えられるものではなかった。


 しばらく飛んでいると、ヤムがお目当ての船を見つけた。その船は雲に隠れる様子はなく、武装した護衛を従えるでもなく、悠々と飛んでいた。ガブーストと同じタイプの軟式飛行船だった。


 先行していたクウェイラとシューニャがその飛行船の周囲をぐるっと回ると、飛行船は甲板かんぱんから気球を一つ空に浮かべた。クウェイラがその気球を引っ張って来ると同時に、飛行船は去っていった。


「何を受け取ったんだ?」エイナイナはバーボアに尋ねた。

「石炭だろう。通行料みたいなもんだ」

「通行料? 昨日クウェイラもそんなことを言っていた」

「わたしらはその気になればあの飛行艇を簡単に落とせる」とヤーナミラ。「これはそう危険はない。だが戦利品を得るためには船の中に乗り込まなければいけない。これはかなり危険を伴う。敵もそれを知っているので通行料を払えば空賊がわざわざ落としたり乗り込んできたりしないと分かっているのさ。特にあの船は何回か見ている。なんどもこのルートを通るということは向こうもこっちを信頼しているんだ」

「信頼? 空賊を?」

「ここはわたしらの縄張りだ。わたしら以外の空人そらびとは居ない。他を通るよりもここを通ってわたしらに通行料を払うことに価値を見出しているのさ」

あきれたな……」


 エイナイナの価値観からすれば、この取引にはどちらの側にも正義がなかった。 世界に道徳的退廃をもたらす醜悪しゅうあくな共犯関係であった。


「毎回これで済めば楽な仕事だ」とヤーナミラ。「しかし好戦的な商船もいる。たまにだが、軍艦に囲まれた船団も現れる」

「船団と遭遇したらどうするんだ?」

「状況次第だ。敵戦力も考慮に入るし、天候にもよる。雲が多ければやる。やるというのは船に穴を開けたり、帆を破って、あとは逃げる」

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