第11話

 実のところエイナイナが行動を共にするようになって最初の三日間はこんなことを続ける毎日だった。空賊は思ったほど血なまぐさい稼業ではなかったのだ。


 気楽な稼業かというとそうでもない。空人の生活水準は著しく低かった。街は人口密度が高く、非衛生的だった。その人口を養うだけの物がない。「通行料」でなんとか食いつないでいるという共同体だ。


 無法者、荒くれ者、ごろつきが集まって空賊稼業を営んでいるのかと、当初は思っていたがそういう様子でもない。むしろ女性や子どもたちが随分と活躍していて、相互扶助が行き届いている。みんなが他人の子どもの面倒を見る共同体なのだ。


 ドックのすぐ隣にはクラゲを解体する施設があった。クラゲのガスを抜いたり、クラゲの革をなめしたり、クラゲの軟骨や甲を加工して銛や鉾の柄を作ったりしている。ここでは子どもたちが多く手伝っていた。これらの工業製品は主にケンデデス船内で消費されるらしい。空人も販路を広げようとはしているものの、取引先を見つけるのにとても苦労しているということだった。もちろんそれは帝国から見ればケンデデスで暮らす連中はみんな空賊だからである。


 ここにある産業はそれだけだ。しかし服も住居もクラゲから出来ているので回るには回っている。とはいえ、いびつだ。ここ飛行船ケンデデスの経済には無理がある。それを象徴するのが貧相な食べ物だろう。食べられるものは酸味の強い雑穀パンと干し肉ばかり。空賊などという危険が伴い技術も必要な職業にこれでは魅力を感じられない。


 ある日ケンデデスに戻った時、エイナイナは巨大なクラゲが飛行船に横づけされているのを見た。青白く、透明な、美しい、ゆるやかな三角形の巨大なクラゲだった。三角形の巨大なクラゲの周りには多くのディンギーが群がっていた。その様子はまるで熟れた果物に群がるハエのようだった。


 それを見たシューニャはうれしそうにすっ飛んでいった。


「いやー、あれは見事なエボシだな」とバーボア。やはりうれしそうだった。

「あれは?」とエイナイナはヤーナミラに尋ねた。

「エボシクラゲだ。あれはでかい。おそらくモートモのチームが獲ったんだろう」

「高く売れるのか?」

「売れない。大きすぎるクラゲはやはり特定の販路が見つかっていない。しかし喉から手が出るほど欲しい国はたくさんあるはずなんだ。エボシクラゲはあのままゴンドラをぶら下げることができる。先日のダイオウハリクラゲとはちがって、エボシクラゲの傘の内部は隔壁で複数の部屋に分かれている。一か所に穴が開いても落ちることがない。コーノック家は買わないか?」

「貴族だろうが商人だろうがあんなものを買ったら必ず足が付く。空賊と取引したと言えばとがめられる」

 と、エイナイナ。ヤーナミラの言う「販路が見つからない」というのはつまりこういうことなのだ。

「しかし――、」とエイナイナは続ける。「そのわりにみんなうれしそうじゃないか」

「まあね。空人の血がたぎるんだよ。大きなクラゲと格闘し、打ち負かすこと。空人にとって命よりも大切な目標だ」

 ヤーナミラもやはり嬉しそうだった。




「西に移動しよう。近くには居ない」ヤムが言う。


 風が安定していた。雲の上で暮らしたことのないエイナイナは普通の空の状態を知らなかったが心地よかった。

 警戒のためか、探索のためか、空賊たちはあまり固まらずに飛び、クウェイラやシューニャなどは時折雲の下も確認していた。

 ヤムは高い位置で獲物を探し、ヤーナミラはエイナイナに笛を使った合図を教えていた。


 笛の音が響いたのはちょうどそんなときだった。


――ビービビッビービッ!


「あれは?」

「コウクラゲだ。クウェイラがコウクラゲを発見した」

「コウクラゲ?」

「甲を持った種のクラゲがいる。先日お前の乗っていた船が襲われたダイオウハリクラゲもそうだ。しかしコウクラゲはもっと小さい。コウクラゲの甲は私たちの乗っているディンギーの外殻がいかくになる」

 そう言ってヤーナミラは自分のディンギーを叩いた。

「クラゲをとるのか?」

「クラゲによる。コウクラゲは獲る価値がある」


 雲の中からは小刻みに笛の音が聞こえている。クウェイラとシューニャだ。雲の上に構えるのはヤムとバーボア。ヤムとバーボアは銛を手にして雲の中から聞こえる笛の音を聞きながら場所を変えている。だんだん雲の中から聞こえる笛の音が一か所に集まってきて、雲が盛り上がる。そして雲の中からぬっと出てきたのは半透明に輝くクラゲだった。それはまるで水面に跳ねた魚のように、太陽をキラキラと虹色に反射させて、すぐにまた雲に潜っていった。


 「しまった」と口にしたのはヤムだ。雲の中から聞こえる笛の音はビーっという連続音になった。その音と共に雲から上がってきたのはシューニャとクウェイラだ。クラゲと間違えられて銛で突かれないように笛を吹きながら浮上するのだろう。


 シューニャは「いー」っと言いながらまた雲に沈んでいった。クウェイラはすこし首をかしげ、それからエイナイナの方を少し気にしたようだがそのまま雲に沈んでいった。


「何をしているんだ?」

「コウクラゲは基本的にヒレで泳いでいるが危険を察知した時には勢いよく空気を吐き出すことで素早く動くことができる。クラゲを追っている者が銛で突くことは難しい。だから勢子せこが雲の中で追っかけまわし、雲から勢いよく飛び出したところを銛で突くんだ」

 こうしている間にも雲の中では笛の音があっちにいったりこっちにいったりしている。上で待つヤムとバーボアはその笛を聞きながら、雲の表面を見ながら位置取りを調整した。

「甲があるので、まっすぐ突いてもはじかれる。斜めに突いて、甲と甲を覆う薄皮の隙間に銛を差し込むようにする。銛が刺さったら柄につながった気球を開く。あとはその気球を足がかりにして仕留める」


 そうこうしていると、またクラゲが雲から跳ねあがった。太陽光を反射してキラキラと。たしかにディンギーと同じ、細長いパンのような形のクラゲだ。その気嚢きのうの周囲にはうねうねと波打つ膜のようなヒレ。あれを耳と呼ぶのだろう。そして無数の触手。触手の中でも二本だけが突出して長く、雲の中に潜る際にもきれいに尾をひいた。


「あー、すまない」とバーボア。

「おい、今のは突けただろ」と雲の中から上がってきたクウェイラ。怒っているわけではない。むしろ笑っていた。

「すまんすまん」とバーボア。それを見たシューニャもカラカラと笑いながらまた雲に潜っていった。


 エイナイナがその様子を見て思いだしたのは故郷の川遊びだった。バシャバシャはしりまわって、岩の影に隠れる魚を追い立てて、そして銛でついたものだ。幼少期の楽しかった思い出だった。


 クラゲ獲りは、なんかみんな生き生きとしていて、楽しそうだった。


 またしても雲海からわっと飛び跳ねたクラゲ。ヤムとバーボアの間だったが、どちらも反応しなかった。

「おいおい、どうなってるんだ」と、不満げに雲から上がってきたクウェイラ。

「ヤムの方が近かったからな」とバーボアの言い訳。

「あの位置だとぼくのディンギーでは届かないよ」とヤムの言い分。


 ヤムは荷物が多いし、高い位置でじっと計器類を眺めることが多い立場だ。実際そうなのだろう。シューニャもカラカラと笑っている。大きな銛を肩に乗せて、やはり彼女も楽しそうだった。


 ふと思い出して、エイナイナはディンギー側面のホルダーに収められている銛に目をやった。エイナイナにも銛が渡されているのだ。この銛はエイナイナが川遊びで使っていた物とは少し違う。救命気球が仕込まれていて、紐を引けば銛の柄から気球が飛び出す仕組みだ。使い方は一通り教わった。


 クウェイラたちが追い立てたクラゲ、雲の揺らぎから場所を推測し、素早く急降下。クラゲが跳ねたところを銛で突き、素早く紐を引く。できるだろうか。


――できるかどうか、試してみたい。


「斜めに刺すんだ」とヤーナミラが言った。彼女にはエイナイナが考えていることが分かっていたようだった。

「縦に突くと甲にはじかれる。甲を覆う皮に刺すんだ」

 エイナイナは銛を手に取った。

「絶対に雲には入るな。雲に入るのは勢子、つまり追い立て役だけだ」


 エイナイナはディンギーを走らせ、バーボアとヤムに加わった。三人は雲の上で大きな三角形をつくり、雲をじっと見つめた。雲の下ではクウェイラとシューニャが時折笛を吹いた。その笛の音を追うように三人は移動した。


 それなりに風があってディンギーを動かしやすいが、その風で雲が揺れる。雲の下の様子を伺い知ることは難しかった。それでもいくつかの気配を感じることができた。そのうちのひとつはクラゲで、のこりのふたつはシューニャとクウェイラだろう。


 突如、前方からエイナイナの方へ、何かが向かってくる気配を感じる。それを追い立てるように、少し離れた場所から笛の音が響いた。つまり追われている何かがエイナイナの方に向かっていた。


 突如、眼下の雲のその下からピッと短い笛の音。雲がもこっと盛り上がり、何かが飛び出してくる。クラゲに違いなかった。


 雲から勢いよく飛び出してくるクラゲの丸い背中!

「見えた!」

 エイナイナはディンギーを傾け、身を乗り出して、勢いよく銛で突いた。

「よし!」

 銛の柄を放すと同時に、紐を引き、気球を開いた。ポンッという音とともに赤褐色の気球が開く。クラゲはそのまままた雲の下へと潜っていった。エイナイナの刺した赤いブイはクラゲに引きずられて雲の上を走り回っていた。今や雲の上からでもクラゲの居場所が一目瞭然だった。


 上から見ていたヤーナミラが、ピーッピッピと特徴的な笛の吹き方をする。するとクウェイラとシューニャも笛を吹きながら上がってきた。そして赤いブイを確認し、二人は雲の上からそれを追いかけた。


 言われた通りに銛をついたエイナイナだったが、この後の手順は聞いていない。


「あとは任せておけばいい」と、バーボアが言った。「お手柄じゃないか、エイナイナ」


 クウェイラはクラゲのひきずるブイの綱を掴んで、その綱に沿って雲を潜っていった。すぐにもう一個ブイが上がってきた。クウェイラが二本目の銛を刺したのだ。

 すると、こんどはヤムがブイの綱を手繰り、クラゲを引っ張った。浮力が強いヤムのディンギーは雲の下のクラゲと引き合っても安定感があった。クウェイラとヤムに抑え込まれ、クラゲはもはや逃げ回ることが出来ない。

 次はシューニャだった。彼女は銛を鉾に持ち替え、雲に潜っていくと、すぐにビビっと笛がなった。それを聞いてヤムもクウェイラも力を抜いた。


「シューニャが締めたんだ」と、バーボア。

「難しいのか?」

「慣れればどうということはない。小柄なシューニャにとっては綱を引っ張ることの方が難しい」


 ヤムが引っ張り上げたクラゲは楕円形で本当にディンギーの艇体の形をしていた。今エイナイナが乗っているディンギーよりも少し大き目だろうか。その楕円の側面にはびろびろとした帯状のヒレ。下にはもじゃもじゃと触手が力なく垂れ下がった。


 そのコウクラゲはヤムのディンギーにくくりつけられ、今日の収穫となった。そしてヤムはそのまま波動計を覗いて次の獲物を探していた。


 やはりみんな嬉しそうだった。クウェイラもお手柄だと褒めてくれた。シューニャでさえ――たしかにエイナイナが手柄をたてたことに対してはこれ見よがしにおもしろくなさそう顔をして見せたものの――楽しそうだった。


 先日ヤーナミラが言っていた空人の血が滾るというやつだろう。空人ではないエイナイナにとってもクラゲ獲りは楽しかった。先日のケンデデスに横づけされていた巨大なエボシクラゲ。あれもやはりどこかの一団が同じようにして、雲の中の格闘の末に仕留めたのだろう。


 クラゲを見つける者、作戦指揮を担当する者、ディンギーの操縦に長けた者、格闘に長けた者と力自慢と、あれを獲るために仲間が一丸となって動くのだ。血が滾らないわけがない。

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