第7話

 ヤムは高い高度を飛び、頻繁ひんぱんに望遠鏡やら波動計やら方位磁針を覗いた。バーボアとヤーナミラもよく周囲を観察したが、クウェイラとシューニャは雲の下を確認したり、鳥を追いまわしたりしていた。


 エイナイナは上だけは白い空賊の服に着替え、なすすべなく彼らについていった。

 やがて雲が途切れると、眼下には海が広がり、自分は広大な空の真っ只中ただなかに居た。遠くにはまた別の雲の塊が見えるが、周囲には大陸はおろか島ひとつ見えなかった。それはまったくよりどころのない世界だった。進んでいるのか、流されているか全くわからない。帝国の諸侯国は一部東の方の国を除けばどこも航空技術が未熟だ。エイナイナも海の上を飛ぶのは初めてだった。

 しばらく飛ぶと、遠くに見えていた雲の塊が少しずつ近づいてきて、眼下にはまた一面の雲が広がっていった。


「居たぞ。雲から頭だけだしてやがる」


 そういうのはヤムだ。エイナイナの肉眼では確認できなかった。ヤム以外の仲間はみんな高度を下げて雲と空の境目に潜んだ。向こうから見つからないようにしているのだ。ヤムはというと望遠鏡や波動計を交互に覗いた。


「新入り、しばらく笛は吹けない。はぐれるなよ」


 とバーボア。新入りが自分のことだとエイナイナはすぐには分からなかった。


「雲の下を確認してくる」


 クウェイラはそう言って雲の下に潜っていった。確認というのは雲の下の天候だろうか、それとも艦船の有無だろうか。あるいはすでに帝国の領空に入り込んでいたりすると、空賊にとってはそれも問題だろう。とにかくエイナイナには空賊の勝手が分からない。


「商船が二隻に思えるな」ヤムが言う。「時折ときおり混ざるノイズはディンギーの護衛だろうな。複数いる。――具合がわるいな。このまま行くとじきに雲が切れる」


 するとクウェイラが雲から上がってくる。

「海だ。船もなし。しかし雲が薄い」

「よし」とヤーナミラ。「シューニャ、クウェイラ先行。二隻だがブイを立てろ。どうせ雲が切れる」

 するとシューニャとクウェイラが雲の中に潜っていった。

「エイナイナ、少しずつ近づくぞ。音に気をつけろ。笛はふくな。それからいつでも雲に隠れられるようにすること。あとはまあ臨機応変に身を守れ」

 エイナイナとヤーナミラ、ヤム、バーボアがゆっくりと移動を始めると商船の方角からビッと船の音がなった。

「なんだ!?」とバーボア。「見つかったか?」


 ヤーナミラ一味が使っている笛の音とは違うことはエイナイナにも分かった。この一味の使う笛の音は先ほど聞いている。そしてすぐにびっびっびっと笛の音が続いた。


点呼てんこだな」といって笑うヤーナミラ。「護衛のディンギーは四艘よんそうだ」

「何がおかしいんだ?」とエイナイナ。

「お前にもすぐにわかる。お前たち帝国の人間の空での振る舞いがどれほど滑稽こっけいか。――せっかく雲に隠れているのに笛で点呼するなんて馬鹿げてるとは思わないか?」

 ヤーナミラは馬鹿にするような顔でエイナイナを見た。

「覚えておけ」とバーボア。「空での白兵戦は攻めるも守るも姿を隠すこと、居場所を隠すことが鉄則だ。そして虚をつくこと。やられる前に殺せ」


 ヤーナミラとヤムとバーボアは笑ったが、エイナイナはいっさい笑わなかった。


「おい! ヤーナミラ」とエイナイナ。

「なんだ?」ヤーナミラは急に怖い顔になって応答した。

「降伏勧告もせずに殺すのか? 人としての道に反するだろ!」

「警戒される前にやる。わたしは仲間を危険にさらしたくはない」

「水平帆を破れば十分無力化できる。彼らならできるだろう」

「それで封じることができるのは一人目ひとりめだけだ。そいつに笛を吹かれれば警戒される。言っただろ? わたしは美徳のために仲間を危険に晒す気はない」

「人としての道を誤るくらいなら殺される方がましだ。わたしなら喜んでそうする」

「ふん、エイナイナ。お前は簡単に命を持ち出すんだな。あるじに見せた忠誠心の価値が下がるぞ」

「人として命よりも大切なものがあるだろう」

「お前はいいな。自分の命を自由にできて」

「どういう意味だ!」


 突然つよい風が吹き、ばっと雲が晴れた。そこにシューニャが姿を表す。エイナイナからは少し距離があるが、それでもシューニャのほこからは赤い鮮血が滴っている様子が見えた。そして彼女よりも低い位置に流れていくもう一艘のディンギー。操縦席には軍服を血で染めだ男がぐったりとしていた。

 それを見たエイナイナは我を忘れて叫んだ!


「ヤーナミラァァァァァ!」


 エイナイナはさっとヤーナミラの頭上に移動し、ディンギーの下から抜け出すとヤーナミラのディンギーに飛び乗り、胸ぐらを掴んだ。


いやしい空賊がぁ! こんなことはやめさせろ。わたしは許さないぞ!」


 ヤーナミラは落ち着いていた。エイナイナがある程度激烈に反応することは予想していたようだった。


「エイナイナよ。お前も今日からその卑しい空賊になったのだ。これはお前がお前の主に見せた忠誠心の結果だ。それだけ慕われる伯爵さまはさぞかし立派な伯爵なのだろう。そして今、お前はそのあるじを裏切ろうとしている」


 エイナイナはヤーナミラのディンギーに積んである鉾を一本抜き取り、先端をヤーナミラに突きつけた。


「わたしには主に対する忠誠と同時に、軍人エイナイナとしての誇りがある!」

「ほう、軍人エイナイナは人を殺したことが無いとでもいうのか?」

「わたしは守るために剣を振るった。お前たちのやっていることは掠奪りゃくだつだ!」

「その通りだエイナイナ。主への忠義を果たすために掠奪しろ、殺せ。お前にとって道理は命よりも大事なものなんじゃないのか。お前はお前のお姫様を助けるためにはどんな苦しみをも受け入れる覚悟があったんじゃないのか? あの言葉はうそだったのか?」

卑怯ひきょうだぞ! こんな取引は無効だ」

「卑怯はどっちだ。どんな耐えがたい苦しみにも耐えると言ったのはお前だぞ、エイナイナ」


 その時、エイナイナは頭上に気配を感じ、顔をあげた。視界に飛び込んできたのはディンギーに乗ったシューニャだ。シューニャが奇声とともにエイナイナにつっこんできた。シューニャはディンギーを傾けつつ、エイナイナに向けて鉾を振るう!


「うぉおおおおお!」


 エイナイナはとっさに持っていた鉾で身を守った。しかし不安定なヤーナミラのディンギーの上、バランスを崩したエイナイナは滑り落ち、自分のディンギーから伸びる命綱にぶら下がった。

 すぐさま転回して戻ってくるシューニャを、ヤーナミラが制止した。

「放っておけシューニャ!」

「殺す!」とシューニャ。

「シューニャ、自分の仕事に専念しろ」


 実際、エイナイナの怒りはすでに失われていた。命綱に力なくぶら下がり、揺れていた。


「空賊として生きるんだ、エイナイナ。空賊として生きることは耐えがたい苦しみか?」ヤーナミラが言う。


「くそ! くそぉぉぉぉぉぉ!」

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