第3話

 突然現れた男がケテサを助けてくれたのだ。エイナイナは……、呆気あっけにとられ口を開けていた。


 ケテサを助けてくれた男はエイナイナを一瞥いちべつし、ゆっくりと、旋回せんかいしながら上昇していく……。見慣れない白い飛行服を身にまとっている。化外の民だった。その男は大きく、長い鉾を肩に乗せ、悠々と片手でディンギーを操作していた。


 本当ならば感謝を述べるべき場面だっただろう。しかしエイナイナは戸惑っていた。突然の出来事であったし、化外の民を見たのは初めてだった。それに加えてあの男、とても同じタイプの水平翼ディンギーに乗っているとは思えない動きだった。あの太い触手をいともたやすく……。こちらはすでに二人もやられているのに……。全てが驚きだったのだ。


「化外の民……。どこから現れたんだ」


 自分よりも高い位置で旋回するディンギーの男……。そこでエイナイナは気が付く。はるか上空には、その大男の仲間たちがじっとエイナイナたちを見下ろしていた。一人、二人、三人、……五人だ。ケテサを助けてくれた男は何も言わずに集団の方へと戻っていった。


――こんなところに化外の民が五人も?

――いや、すでにそれだけ流されているんだ。いつから見ていたんだろう。全く気が付かなかった。


 化外の民は皆白い衣服を身に着け、帽子を被っている。ゴーグルをしている者もいれば、外している者もいる。二人は女性だ。特に一人は小柄な少女であった。そしてみんな鉾のような、槍のような長い武器を携えているか、そうでないものもディンギーの横に武器を備え付けていた。言葉は交わしていないが――いや、だからこそだろうか、凄味すごみのようなものをエイナイナは感じていた。


「ニカーノ! ニカーノ!」。エイナイナはニカーノを呼びつけた。「ニカーノ。浮かんでいるケテサを飛行船に戻してやってくれ。わたしは彼らに助けを請うてみようと思う」


 そう、今も飛行船はクラゲにしがみつかれているのだ。しかも徐々に高度を下げている。一刻の猶予ゆうよもなかった。

 エイナイナはすっとその集団に向かってディンギーを駆る。そして接近しながら叫んだ。


「仲間を助けていただき感謝する」


 すると集団は散って上昇した。


――警戒されている?


「銃をもって近づくな」と、叫んだのはリーダー格の女性だった。


 リーダー……、かどうかは分からないが、そんな風格があったのだ。落ち着いていて自信に満ちた大きな声だ。女性にしてはやや大柄だろうか。ディンギーの操縦席にどっしりと体を預けている。


「敵意はない」エイナイナはそう言って両手をひろげた。「わたしたちはあれほど大きなクラゲに対処する術を知らない。どうか力を貸しては頂けないだろうか」


 リーダー格の女性はゴーグルを額にずらし、鋭い目つきでエイナイナを観察した。


「赤い軍服……。初めて見るな。あれも帝国の兵隊なのか?」

 リーダー格の女はそう呟くと、隣にいた男に目をやった。ひげを生やしたやや年配の男性だった。

「あの手の制服は貴族直属の衛兵隊だろう」その男が言った。

「ほう、貴族が乗っているのか?」とリーダー格の女性は独り言のように呟いた。


 化外の民に素性を明かすことには抵抗がある。しかし素性のわからない我々に、向こうが警戒する理由もまた理解できた。


「なぜケテサを……、わたしの部下を助けてくれたんだ?」エイナイナが尋ねた。

無様ぶざまなお前たちを見るに見かねたんだろ。クウェイラが」

 リーダー格の女はそう言うとクウェイラと呼ばれた男をあごで指し示す。ケテサを助けてくれた大男だ。

「部下を助けてくれたこと、心より感謝する。しかし我々の船はまだ……」

「お前たち、ケルメス帝国か? キオーニ王国か?」とリーダー格の女。


 この質問には少し違和感を感じたが、エイナイナは正直に素性を明かすことを決心した。


「わたしはコーノック伯爵家の近衛兵隊長だ。あの船はコーノック家の船だ。大クラゲと接触しあのような事態になってしまった。あなた方はクラゲの扱いに長けていると見込んで、お願いしたい。あの船からクラゲを排除してはもらえないだろうか」

「コーノック? コーノック家……。バーボア、知っているか?」

「コーノック伯……。帝国北部の領主だ」と、バーボアと呼ばれた髭もじゃの男。「先代はやり手だったようだが、最近当主が代わったな。十三歳の娘が継いだんじゃなかったか?」

「その十三歳の女伯爵がわたしの主人です」

「帝国か……」とリーダー格の女性。「報酬はあるのか?」

「もちろん善処する。後日十分な謝礼を届けることができるだろう」

「それは無理な相談だな」バーボアと呼ばれたひげ面の男が笑う。「ケンデデスに謝礼を届ける前に身ぐるみ剝がされるだろうよ」

「身ぐるみ……?」不穏ふおんな物言いにエイナイナは眉をひそめる。

「後日届けるよりも、その飛行船を現物で支払ってもらうのが確実だ」と男。エイナイナにはこの発言が冗談のつもりなのかよくわからなかった。

「飛行船を明け渡せというのか……。それは無理だ。結構な乗員が居る」

「一人ひとり救命気球で浮かばせて、お前が引っ張っていけばいい」

「お前たち……、空賊か?」と、エイナイナ。すると今度はリーダー格の女が答えてくれた。

「だったらなんだ? 私たちが何者であろうと、落ちたやつはうちのクウェイラが助けたぞ。あれは無償でいい」


 化外の民、空賊……。エイナイナにとっては初めての遭遇だった。しかし彼らはエイナイナの想像していた化外の民ぞうとは違う印象があった。化外の民と言えば全くの蛮族であり、取引など成り立たないと考えていた。化外の民はけものと一緒だとエイナイナは考えていたし、そう聞いていたし、おそらく帝国に暮らす大半の人々はそう考えていた。


「まったくその通りだ。あなたたちが空賊だろうとなんだろうと、ケテサのことは助かった。ありがとう。本当に感謝する。恥を忍んで、もう一つお願いしたい。どうかあの飛行船を助けてくれ! こうしている間にもどんどん高度が下がっているんだ!」


 それに飛行船ガブーストは大きく傾いていた。あれだけ傾くと船体のたわみや、重量の集中によって破損するということも考えられる危険な状態だった。


「だから、報酬はあるのか?」

「もちろん報酬は出す。しかしそれは後で交渉してもらいたいと……」

「惜しかったな。あれはダイオウハリクラゲだ。大きさも手ごろなので、あれなら我々が引き取ってやる価値もあった。しかしガスが抜けていては我々にはあれを持ち帰る術がない。お前たちが穴をあけちまったんだな。あのガラクタを獲るために、わたしの大切な仲間たちを危険にさらす価値があるようには思えない」


 もっともな話だった。いくら技術があるからと言って私たちのために危険を犯してくれる義理はない。口約束の取引を交わす信用もない。


「そもそも……」リーダー格の女が続ける。「穴を開けられて浮いていられないものだから飛空船にしがみついているんだ。失敗だったな」

「どうすればクラゲを排除できる? それだけでも教えてくれ。たのむ」

「目の間に刃を入れて神経を切断する」

「目? クラゲに目なんてあるのか? 第一、あの触手をかいくぐって刃を入れることなど……」

「私たちならできる。報酬としてあの船をくれるなら請け負う」

「わたしにそんな権限はないんだ。わかってくれ。だから交渉はあとで」

「権限があるやつを連れて来いよ」

「連れてくることは出来ない。わたしたちは誰でもディンギーに乗れるというわけではない。そんな時間があるとも思えない。だから交渉は後で……」

「私たち空人そらびとがケルメス帝国の人間にそこまでする義理があると思うのか? お前たちを見つけたのが私たちじゃなければお前たちは皆殺しにされているぞ。実際あいつなんか今にもお前を殺そうとしているぞ」


 そう言ってリーダー格の女は上を指さした。そこには旋回するディンギーが居た。小柄な少女が乗っているディンギーだった。まるで死肉を見つけたハゲタカのように旋回していた。


――やはり空賊。しかし……、それでも……。


「わたしは殺されても構わない。そのかわりコーノック伯をどうか助けてれ!」


 エイナイナがそう言うとリーダー格の女はにやっと笑います。


「ほう……。面白いことを言うじゃないか。お前は主人のために命を投げ捨てられるのか?」

「それが主人のためならなんでもできる。それがコーノック家の臣下としての誇りだ!」


 エイナイナが啖呵たんかを切ると、今度はバーボアと呼ばれる髭もじゃの男が笑った。


「騎士道というやつだな」

「そうだ。騎士として嘘は言わない。鞭に打たれ業火ごうかに焼かれようと文句は言わない。どうか、我が主を助けてほしい」

「青臭いことを言う。育ちがいいから苦難にあこがれるんだ」とバーボアと呼ばれる男。


 バーボアの口調にはさげすみを感じたが、しかしリーダーの女の考えは変わったようだった。


「いいじゃないか。お前、名前は何といったか?」

「エイナイナだ」

「わたしはヤーナミラだ。エイナイナ、武器を捨てて人質になれ」

「そうすれば伯を助けてくれるのか?」

「その伯爵とやら、まともに交渉できるのか?」

「コーノック伯は恩をあだで返すような方ではない。決断力があり、貴族としての責任感と分別を持っていらっしゃる。信頼に足る人物であると約束しよう」

「でも十三歳なんだろ?」

「年齢は感じさせない。先ほども混乱する船内を実に果断に取り仕切っていらっしゃった」

「よし、決まりだ」とリーダー格の女。「お前は人質だ。あとで交渉が決裂した場合にはお前の命を自由にさせてもらう。どうだ?」

「伯を助けられるならばわたしはどうなってもいい。そのためにはわたしはどんな苦しみにも耐えて見せる!」


 エイナイナがそういうと、


「いーーーー!」


 っという声が頭上で聞こえた。それは殺気立ってエイナイナを見下ろしていた少女だった。明らかに不満げであった。しかし女リーダー、ヤーナミラはその少女の不満を無視した。


「エイナイナ、その銃を投げ捨てろ」

「何度も言うが敵意は無い。それに弾も入っていない」

「私たちは銃が嫌いだ。雷を呼ぶ。お前は人質らしく銃を捨てて、ディンギーの帆も畳んでその辺に浮かんでいろ」

「伯を助けてくれるんだな?」

「クラゲは除去する。お前以外の乗員に手は出さない。しかしあの船が目的地まで帰れるかどうかは知らん」

「それでいい。よろしく頼む」


 そう言ってエイナイナは銃を投げ捨てた。ヤーナミラは何度か頷いた。


「よし。クウェイラ! シューニャ!」とヤーナミラが叫ぶ。


 さっきの少女が「いー!」っといいながらクラゲの絡みつく飛行船に向かっていった。


「あのいーっていうのはなんだ?」

「わたしの決断が気に入らんのだ。お前が大嫌いだという意思表示だ。しかしあいつはわたしの要求には応える。安心しろ」


 シューニャと呼ばれる子は飛空船の上に移動し、旋回を始める。品定めをするかのようだった。飛行船ガブーストに貼り付いているクラゲはというと、やはりガスの抜けた傘の部分が重いのか、頭を下にして何本もの触手を飛行船にわせてぶら下がっているという状態だった。自然な体勢でないことは確かだ。どういう風にしとめるのだろうか……。飛行船も邪魔になるかもしれないな……と、エイナイナが興味深く眺めていると、シューニャと呼ばれる少女はビビビッと笛を吹いた。何か合図が決めてあるのだろう。しかし、あの少女以外は動いていない。


「あの子ひとりなのか?」

「よく見ろ、クウェイラも向かっている」と、ヤーナミラ。

 クウェイラ、さっきケテサを助けたおとこだ。その男もまた飛行船の真上へと上がっていった。

「でもたった二人で……」

 と思った瞬間、シューニャとよばれる少女が降下を開始した。右手に鉾を携え、ゆっくりと。さっきのクウェイラと呼ばれるおとこが急降下したのとはだいぶ様子が違う。狙いを定めた降下というよりは自然落下だ。突然糸が切れたように。


「ディンギーにあんな降下は出来ないはずだ。まるでガスが抜けたみたいだ……」エイナイナは呟く。


 いや、まさにそうなのだ! さっきの男の急降下速度と言いそうだ。エイナイナたち帝国の常識ではディンギーは人が乗った状態で上昇も降下もしないように浮力が調整される。しかし彼らは極限までガスを抜いて、ガスを圧縮して、浮力を小さくしているのだ。洋上は風が安定しているし、地上から飛び上がる必要がないならば風から得られる浮力で十分なのだろう。だから先ほど、あのシューニャとよばれる少女はエイナイナの頭上を旋回していたのだ。そうしていないと落ちてしまうのだ。


 そのシューニャと呼ばれる少女はひらひらと飛空船、それにしがみつく大クラゲに向かって落下していった。水平帆を広げたままなので落ちる木の葉のような軌道になる。それを見た大クラゲがその木の葉に向けて触手を伸ばす。先ほどエイナイナがクラゲの周囲を飛び回っていた時とは違う動きだ。タライモがはじかれた時とは違う動きだった。これは肉食クラゲの本能なのだろうか、ゆっくりと近づく少女のディンギーを弾き飛ばすのではなく、間合いに入った獲物を抱え込むように、太く長い触手を伸ばすかのようだった。シューニャと呼ばれる少女は不規則な動きのままに、ひらりひらりとそのクラゲの触手を二本、三本、四本と鉾で斬り飛ばした。


「すごい! あんなにあっさりと!」


 四本の触手を失い、残りの触手でかろうじて飛行船にしがみついている大クラゲ、重い頭部に引っ張られ胴と傘のつなぎ目が大きくひろがった。そこにクウェイラと呼ばれる男が急降下してきてクラゲの傘と胴の連結部分を鉾槍で切り裂き、そのまま下に飛び去って行った。半透明だったクラゲの触手は一瞬にして白濁し、麻痺したかのように力を失い、飛行船からこぼれ落ちて行った。傾いていた飛行船は跳ねあがるようにして平行を取り戻した。飛行船内部は相当な衝撃があったに違いなかった。


「ケーヒニナ様!」と叫び、畳んでいた帆をひろげたエイナイナ。それを空賊のリーダー、ヤーナミラが引き留めた。

「おい、どこへ行く。戻ることはゆるさんぞ。お前は人質なんだ」

「……分かってる」と、エイナイナ。

「わたしが状況確認してきてやるよ。そこで大人しく人質をしているんだな」

「……。伯を無事に帰してやってくれ。わたしの望みはそれだけだ」


 エイナイナがそう言うと、ヤーナミラはなんだが不敵な笑みを浮かべた。何かを企んでいそうだと思ったが、しかし同時に彼女は道理のわかる人間だともエイナイナは感じていた。ある程度の信頼が芽生えていたのだ。


 こうしてヤーナミラは髭もじゃのバーボアを従え、二人で伯爵家の飛行船へと向かっていった。

 空に漂いながら、空賊に囲まれ、話し相手もいなくなったエイナイナは、急に孤独と不安を感じた。交渉はどうなるのだろうか。自分はここで殺されるのだろうか……。

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