第15話

 ケンデデスのハンモックで目覚めるエイナイナ。夕方、日が沈みかけていた。シューニャに殴られたところが腫れていることが分かるが、薄暗いし、鏡がないのでどんな顔をしているのかは分からなかった。


 いつものようにもそもそとハンモックから降り、通路に出て梯子のある少し開けた空間に出た。子どもがひとり、赤ん坊をあやしていた。弟のお守りだろうか。


 いつものようにスタチオの食堂に行き夕食をとった。いつものように大人ぶった少年がパンと干し肉を出してくれた。パンはいつもよりも味気なく感じた。干し肉は相変わらずしょっぱかった。


「魚が食べたいな……」


 エイナイナは思わずつぶやいた。漠然とした思いを口に出した瞬間、自分がなんだか弱気になっていることに気が付いた。少年が気を悪くするだろうかと気がとがめ、少年の顔を見たが全く意に介していなかった。魚を見たことがないということもありそうな話だった。


 そこに飛行服を着た少年が疲れた顔でやってきた。シューニャと同じくらいのよわいに見える。今まさに仕事から帰ってきたのだろうということが予想できる。その飛行服の少年に大人ぶった少年は包みを渡した。ほとんど言葉もかわさないまま、飛行服の少年は去って行った。


「あの子は?」エイナイナは少年に尋ねた。

「ジャマサだ」と少年。

「空賊か?」

「クラゲ漁。空賊はこんな時間まで飛ばない」


 確かにその通りだ。理由はよくしらないが、空賊は遅い時間まで飛ぶことはなかった。

 少しほっとした気がする。自分でも無意識だったが、なぜあの少年について尋ねたのかといえばシューニャと重なったからだろう。あの子も鉾を血で滴らせるのだろうかという疑問が湧いたのだった。漠然と。

 あまり思い出したくない光景だった。エイナイナはずきずきと痛む頭のたんこぶを押さえ、ため息をひとつ付いた。そして、もう一つ漠然とした疑問が有ったことに気が付いた。


「なんだか子どもが多いんだな。ここは」

「そうか? 俺はここしか知らないけど」と、少年。


 エイナイナが食事を終え、もう出ようかという段になってシューニャがやってきた。なんか気まずいが、むこうも目を合わせようとしなかった。シューニャは少年にパンと干し肉を注文した。十人分だった。少年が用意している間にシューニャがエイナイナに声をかけた。


「おい」

 と、シューニャはきまり悪そうにいうと、奥行きのないカウンターの上にお金を置いた。

「お前の分け前だ。さっきのクラゲの分だ」

 実のところ、エイナイナは「クラゲの分」と言われてもピンとこなかった。そうだ、シューニャと殴り合いをする前に、クラゲ獲りをしたのだった。あれは、少し楽しかった。あのコウクラゲを売ってお金にしたと、そういうことなのだろう。

「渡したからな」とシューニャ。


 エイナイナとしては、シューニャが自分を気にかけたことにも戸惑ったが、恐らくヤーナミラに言われたのだろうという気がした。それに、どうも雰囲気が違って見える。空にいるときほど殺気だっておらず、控えめに見える。

 この印象の違いには、シューニャがいつもの飛行服ではなく、半袖のシャツを着ていたというのもあるだろう、シューニャは普段にも増して小柄で華奢きゃしゃに見えたのだ。あの細い腕で、どうやってあれほど巧みにディンギーを操るのだろうか。そしてエイナイナはシューニャの右の手首に刺青いれずみがあることにも気がついた。シューニャの銛の柄にあったあの刻印だ。ホーの文字と三叉の銛先を組み合わせたマーク。その下には、謎の四桁の数字。数字とマークは刺青いれずみの質が違うように思える。


 クラゲの報酬を受け取って店を出たが、結局エイナイナはシューニャと言葉を交わさなかった。そのことにすこし罪悪感があった。シューニャは年下なのだ。だからこそ意地になったのか、或いは――だからこそ大人げない自分に腹を立てているのか。


 エイナイナは街の広場の隅に座った。そこでは相変わらず子どもたちがディンギーの扱いを学んでいた。


「くそっ! くそっ!」

 

 再び怒りがこみあげてきた。悪態をつくと少し気持ちがすっきりした。


「戦争にだってルールがある! 無抵抗の兵士を殺していい道理などない」


 小さな声で道徳を説く。しかしなぜか、しっくりこなかった。何かをはぐらかしているような気分になった。


 飛行船ケンデデスに来てすでに一週間。少しずつだが、空賊に対して道理を説くことに意味を感じなくなって来ていた。結局のところエイナイナはよそ者なのだ。昨日今日やってきたよそ者がこの共同体の価値観をどうにかしようなどと傲慢ごうまんが過ぎる。そう考えるようになったのはやはり、ここに暮らす人々の顔を見たからだろう。みんなエイナイナと同じ人間だったのだ。


 エイナイナが広場の隅にへたり込んでいると、袋を抱えたシューニャがやってきた。するとシューニャの周りには子どもたちが集まった。

 あまり顔を会わせたい相手ではないが、この日の広場はにぎわっていたのでエイナイナもそれほど意識しなかった。シューニャ達は地べたに座りこんでパンと干し肉を食べ始める。さっきスタチオの食堂で買ったパンだろう。


「パンと干し肉しかないのに何が食堂だ……」


 エイナイナはまた悪態をついた。明らかな八つ当たりだった。


 そんな味気ないパンと干し肉をシューニャと子どもたちは楽しそうに食べていた。みすぼらしい格好の子どもたちはみんなシューニャより年下に見える。よちよち歩きの男の子だか女の子だかを連れている子もいて、十二、三人はいた。


 こういう光景はエイナイナの暮らした街でも見ることができた。街の外れの市場に行けば、市場で働いている女性の子どもたちがみすぼらしい格好で集まって遊んでいた。


「子どもに好かれてるんだな……」


 子どもに囲まれているシューニャは、殺戮さつりくをしていたシューニャとはまるで別人のように思えた。子どもに囲まれている時だけではない。先ほど食堂であった時にエイナイナと接するときでさえ、敵意や殺意をまとっていなかった。しかしエイナイナはというと、シューニャを見ると心がざわついた。そう、怒りの正体だった。


「単純な話だ。わたしはあいつに負けたのが悔しいのだ……。くそっ!」


 この悪態は、とてもしっくりきた。

 エイナイナはため息をつき、子どもたちがパンを食べる様子を眺めていた。見ているだけでぱさぱさの触感と、雑穀ざっこくの嫌な酸味と苦味が口いっぱいに広がる。


 この子らに比べれば、地上の市場にたむろしている子どもたちはずっとおいしいものを食べていた。

 地上の市場は品揃えが豊富だ。各種果物から野菜から、肉だって干し肉ではなく生の肉が売られていた。市場の一角には食堂がいくつもならび、地元の魚の煮込み料理から南方の肉料理やら様々な料理を堪能できた。


「魚が食べたい……」


 エイナイナはまた呟いた。

 この飛行船生活において干物ならまだしも魚の煮込みは望むべくもなかった。第一、この飛行船の人口密度を体験すると、パンと干し肉が人数分あること自体まるで奇跡だ。掠奪はそれほど危険で重労働だ。


「危険な重労働の対価がこの食事では割に合わない。何が空賊だ」

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