第28話

 窓の外には向かいの二階建てのアパートが見えている。こちらとあちらの間はそれなりに幅がある通りになっている。その通りの右のほうから荷物を積んだ複座のディンギーがこちらに向かっていた。複座だが、乗り手は一人だった。


「あのディンギーが窓の下に来た時、わたしが飛び移って奪う。荷を捨てれば二人乗れるだろう」

 さっきまで弱気だったシューニャは真剣な目になり、しっかりと頷いた。

「やる」

「ケンデデスに帰るぞ」


エイナイナは上も警戒しつつ機を待った。複座のディンギーは窓の下に来るどころか、上昇してエイナイナの待ち構えている窓の方に向かってきた。

「ここに配達か?」

エイナイナは少しぎょっとしたが、むしろ都合が良かった。

「シューニャは慌てなくていいぞ。私がまず奪う」

運送屋の複座のディンギーが前に来た瞬間、エイナイナは勢いよくとびかかり男の首筋にナイフを突きつけた。

「降りろ。死にたくなければ飛び降りろ」

「分かった。分かった。降りるから!」

「すまないな。荷物は返す」


 運送屋は妙に物分かりが良かった。逃げ回っている空賊が居ると噂になっているのかもしれなかった。

 エイナイナは男の命綱をナイフで切り、ディンギーの下の穴から降りるようにと足で小突き回した。アパートの二階の高さなのでそんなに高さがあるわけではない。

 男を落とすと、エイナイナは後の座席に積んである荷を放り投げた。麻袋はずっしりと重かった。穀物であろう。

 すると上からシューニャが飛び乗ってきた。

「ディンギー兵に見つかった」とシューニャ。「早くうしろに座れ!」

 エイナイナはうしろに座り、頭上を見た。ディンギー兵の何人かがこちらを指さしている。一人でつっこんでくるほど腕に覚えがないのだろう。

「風がないぞ?」

「思いっきり地面を蹴ってくれ」とシューニャ。

 複座のディンギーは前方に向けて降下を始めた。少しずつ勢いがつく。そして地面に足が届くところでエイナイナは渾身こんしんの力で三歩走った。ディンギーは跳ねあがり、そしてまた降下を始める。

「次の角を左に曲がる。用水路に出ると思う。水路は風が拾える」

 とシューニャ。さっきまで街を飛び回っていただけあって詳しい。エイナイナはその角でまた足をついて地面を蹴った。曲がった先には、確かに用水路があった。

「用水路を右だ。シノニッタ峰を目指す」

 路地を抜けると良い風が吹いてきた。その風に流されるようにして、用水路の上すれすれを飛んだ。上を見るとディンギーが集まってきているが、しかし急降下してくるような機体はない。

「へたくそばかりで助かる」

 そう。空賊ならばそれくらいのことは簡単にこなしてしまうが、ルッパジャのディンギー兵の中には地面に向かって急降下出来る者はめったにいないのだ。とはいえ、シューニャもいつものディンギーではない。二人乗っているのだ。

「シューニャ、どう動けばいい?」

「とにかくわたしの重心移動に合わせて」


 用水路を吹き抜ける風を拾った複座のディンギーは勢いを増したが、やはりルッパジャのディンギー兵も集まり始めていた。用水路の前方に二機のディンギーが立ちふさがっている。

「右」とシューニャ。また建物の間を抜けようというのだ。

 大きな複座のディンギーは小回りが利かない。それにシューニャだけの思い通りで動かせるわけではない。行けるだろうかとエイナイナは少し不安になるが、やるしかなかった。シューニャに合わせて、エイナイナは体を右に傾ける。

 建物の角が近づいてくる。少し遅かったか……、しかしなんとか、壁に足をつきながら曲がり切った。

「今のでいいのか?」

「遅い」

 エイナイナにも分かっていた。

 狭い路地、下には魚をかごに入れた女が歩いていた。その女の頭をかすめる。

「また右」とシューニャ。次の道はそれなりに大きそうだ。曲がり切れないということはないいだろう

 大き目の道を曲がると、前方にシノニッタ峰が見えた。そうだ、レースの時のあの道、谷に飛び出すルートだった。

「谷に出て一気に上昇する」

 通りにはそれなりの人出ひとでがあって、人々は二人のディンギーを目で追っていた。途中民間のディンギーを一機かわした。その直後に今度はルッパジャ軍のディンギー兵を一機避けて、そのまま谷に飛び出す。すると谷を駆け上がる上昇気流をつかまえ、複座のディンギーはぐんぐん上昇していく

 エイナイナがあたりを見渡すと、ディンギー兵がうようよしていた。なんと軍艦まで離陸している。

「うしろでごそごそ動くな」とシューニャ。

 エイナイナが右を見たり左を見たりすれば重心がずれるのだ。

「思ったより多いぞ」

 エイナイナがそう言うや、シューニャが重心を左に移動した感触を得て、それに合わせた。ヴォッと風を切る音がして、ディンギー兵を一機かわした。するとすぐに右へ曲がろうとするシューニャ。今度は余裕を持ってかわした。

「鉾を持ってやがる」

 その通りだった。今まではルッパジャのディンギー兵はマスケット銃を持っていたり、サーベルを持っていたりしたものだが、鉾を持っている例はそれほど多くなかった。鉾というのは地上の兵士にとってそれほど馴染みのある武器ではなかったのだ。しかしディンギーの上では鉾は最も扱いやすい武器だろう。いまやルッパジャのディンギー兵は銃と鉾の混成部隊になっていた。

「面倒だな」

 ルッパジャのディンギー兵は片手で鉾をふるいながら自在に飛び回るほど上手くはない。しかしこちらには武器がないので、敵は恐れずに鉾を振り回してくる。大きな複座のディンギーの帆をひっかけられたらそれでおしまいだ。


 ディンギー兵に囲まれているうちはまだいい。右へいくか左へいくか分からない敵を待ち構えるのは意外と難しい。しかしシューニャたちが十分上昇し、北へ進路を取り始めるとディンギー兵が列をなして追いかけてくる。そして彼らは追いつくのだ。


「追いつかれる」

「くそぉ、なんだよこのディンギー! 遅い!」

「左後方!」

 シューニャはまるでうしろに目があるみたいだった。ディンギー兵に追いつかれそうになれば急旋回し、急降下し、一回転して敵を翻弄する。しかしひらりひらりとかわすばかりでは一向に前にすすめない。

「雲に潜るしかない」

 シューニャは急降下をはじめ。眼下の雲海へと飛び込んだ。あたりは白い雲に包まれ、何も見えなくなった

「ひとまず安全か……」

派手はでな色のものは隠して。あと静かにして」

 安全なはずはなかった。無数のディンギーに上から狙われているし、雲の中では動ける高度が限られてスピードも出せない。スピードが出せないながらも、西へ西へと向かっていた。ケンデデス方面ではない。それが裏をかくためか、或いは雲を選んだ結果なのかは分からないが、エイナイナはシューニャに一任することにした。

「雲の下にもいる」とシューニャ。

 なぜわかるのだろう。目視だろうか、音だろうか。エイナイナには全くわからなかったが、シューニャを集中させるために黙っていた。

「クウェイラ達来てないの?」とシューニャ。

「少なくとも午前中はヤムとクウェイラが控えていたはずだ。もしこの大騒ぎに気がつけば来てくれるかもしれないが……、しかしレースに参加していたなんて知らないだろうし……」


 しずかに雲の中を進む複座のディンギー。ほとんど進めていない気がするが、ものすごく時間が長く感じる。

 敵は上と下から雲のちょっとした揺らぎを見逃さないようにを凝視しているのだろう。あるいは、こちらに武器が無いことを知っているのだから遠慮なく……。


「来てる」とシューニャ。

 体をねじりながら急降下を始めた。するとぼっと風きり音が聞こえ、降下して来たディンギーが横をかすめていった。そのディンギー兵はエイナイナと目が合い、笛を吹いてそのまま降下していった

「あいつが……、もし武器を構えていたら届く距離だった」

「しかし場所がばれた。上からくるぞ」

 頭上で何回か笛がなった。笛の意味はわからない。しかし味方同士の接触を避けるために雲の中では一方向の移動に限るはずだ。すると上から上から下へ追い込み、雲の下に追い出すという形になるだろう。

「左!」

 とシューニャ。シューニャの重心移動に合わせてエイナイナも重心を傾ける。すると右のほうで風を切る音が聞こえる。

 また左へ、そして右へ。なるべく高度を下げないように、攻撃をかわす。どうやっているのかは分からない。しかしシューニャには見えているようだ。思えば、エイナイナもシューニャと雲の中で殴り合ったことがある。シューニャはまるでエイナイナの位置を把握しているようだった。あの時は、エイナイナは殴られると同時にシューニャの武器をうばったのだった。

 

 ピーっと笛の音が聞こえる。それに続いて下の方からも笛が鳴る。

 シューニャがゆっくりと左に重心を移動させる。またゆっくりと左に。次は右に。

「着かれた」とシューニャ。

 同時に背後でピッピッと笛の音。誰かがうしろにぴったりとついている。

 急に機体をひねるように降下するシューニャ。急降下してきた敵機を右にかわした。背後からはまたぴっぴっという笛の音。

「まずい」

 完全に居場所がばれていた。背後の敵機が居場所を知らせ続けているし、そしてうしろがふさがれたためにこちらの選択肢が減った。徐々に高度を下げていくことになりかねなかった。

 未熟な乗り手ばかりのルッパジャのディンギー兵としてはトップクラスの技術の持ち主だった。背後にピッタリついていて笛を吹いているのは何者だろうか。

「後発の精鋭せいえいが合流したか……」とエイナイナ。

「ちょっと顔を拝んでやろう」とシューニャ。

「え?」

「虚をつくなら今しかない。できるなら武器を奪って」

「無茶を言う……」


 しかし今しかないというのはそうだろう。精鋭が集まってくればどんどん選択肢がなくなっていくはずだ。やはり空にいるときにシューニャには度胸と決断力がある。


 シューニャはぐっと機首をもち上げ、そのまま複座のディンギーを宙返りさせようとする。この小回りの利かない機体でそんなことができるのかと、エイナイナは焦ったがすんなりひっくり返ったのだ。つまり、シューニャはそれが出来るタイミングと風をちゃんと読んでいるのだ。

 ひっくり返ったときにうしろにぴったりついているディンギーの乗り手の顔を見ることができた。

「ムムゥサ!」とエイナイナ。

「15番!」とシューニャ。

 ムムゥサはとっさに体を起こし、右手にもった鉾をふり上げ、複座のディンギーの帆を狙ったが、シューニャはとっさに機体を縦にしてかわした。そのまま複座のディンギーはムムゥサのうしろにつけるが、ムムゥサはすぐに雲の中に消え、またシューニャらの背後に付いた気配があった。

「なんとか武器を奪えないか?」

「……難しい。まっすぐ私を切りつけてくれればナイフで受けることもできるかもしれない。しかしあいつはそんなことはしないだろう」

 敵だってディンギーの帆をひっかければそれで勝ちだと分かっているのだ。敵には安全策をとれるだけの数的優位がある。

「ただ……、そうだな。まったく今の位置関係を再現できるのなら……。武器を奪ってみせる」

「なに? どういうこと?」

「シューニャ。また宙返りしてくれるか?」

「どうする気なの?」

「飛び移る」

「正気? 同じことやっても向こうがどう動くかは分からないよ。救命気球もない!」

「他に手がない。このままじゃ……」

「待って、なんかいる」

「なに?」

「でかい!」

 と叫ぶと同時に、シューニャは思いっきり機体を傾けた。ぼっという風を切る音とともに太い触手が飛んで来たのだ。ほとんどバランスを崩して無理やり避け、距離をとった。距離をとると視界は雲に覆われてクラゲは見えなくなったが、その気配は圧倒的な圧迫感として感じられた。

「でかい! でかかった。ダイオウクラゲだ!」興奮気味のシューニャ。「こんなでかいの久しぶりにみた。軍艦級だよ」

「私には触手しかみえなかった」

 すぐ近くでピッピーと笛の音。ムムゥサだろう。すると雲の上でも、下でもピッピッピという笛の音が何度も響いた。

「敵も大クラゲに気が付いた」

「ルッパジャのディンギー兵はクラゲに対応出来ないだろう」

「そうみたいだけど……、何人かずっと近くにいる……。――くる!」

 そういうとシューニャは機体を傾けつつ降下する。背後からばっと機影が現れるが、鉾のとどく距離ではない。

「ムムゥサではなかった……。他にも手練れがいるのか」とエイナイナ。

「まだいる」とシューニャ。

 確かに背後でまだ笛が聞こえる。一機ではない。二、三機気配があった。ムムゥサほどではないにせよ、腕に覚えのある連中だろう。

「このままクラゲの下に回る」

「どういうことだ?」

「ついてこれるか試してみる。うまくクラゲの呼吸に合わせて下をくぐれば足は飛んでこない」

「言ってる意味がわからない」

 シューニャはそれ以上何も言わなかった。二人を乗せた複座のディンギーはそのまま雲の中を大きな気配へと近づいていく。目の前にぬっと白い壁が現れる。

「でかい……」

 エイナイナは鼓動が早くなるのを感じる。恐怖のためか、それとも大きなクラゲに興奮しているのか、それはわからなかったが。

 シューニャは突然重心移動をはじめ、エイナイナもそれに合わせる。またぼっという風を切る音とともに大きな触手が二人の横をかすめた。

「いまだ!」とシューニャ。

 二人はそのままクラゲの下に潜り込み、何本も垂れ下がるクラゲの触手を縫うように避け、そのまま反対側に出ると、クラゲの大きな傘の側面を這うように飛んだ。不思議と触手は飛んでこなかった。そのままクラゲの背をめがけて駆け上がっていく。

 背後からはピピッと笛が聞こえた。

「一人だけついてきている」とシューニャ。

 何人かは撒くことができたが、敵も然る者である。一人でもついてこられると居場所を知らされてしまう。

 しかしエイナイナはというと、近くで見る巨大なクラゲに圧倒されていた。かいくぐってきた太い触手は美しかった。脈打つ帯状のヒレもまた、美しい。

「美しい……」と呟くエイナイナ。


 そのまま巨大なクラゲの傘の上まで上ると、雲がやや薄くなっていた。

「雲が薄い。目視でばれるかも」とシューニャ。

 シューニャは上空を見上げ、目を凝らしている。そこで巨大なクラゲの背中に見惚みとれていたエイナイナが声を上げる。

「あ! あった!」

 しかし同時にシューニャが急激な重心移動を始めたため、エイナイナは舌を噛みそうになった。

 急降下してきたディンギーをかわすが、そのまま後に着かれた。クラゲの傘を乗り越え、反対側に出て、また高度を下げていくと再び雲が濃くなる。一機か二機、エイナイナは背後に気配を感じていた。ゆっくりとついてきているようだった。

「もう一回触手をくぐる」とシューニャ。

 集中を要するタイミングだ。二人は黙った。

 前回と同様に一本目の触手をかわし、クラゲの下へと潜り込み、そして垂れ下がる何本もの触手をかいくぐり、反対側に出る。

「だめ。また一人ついてきている」

 とシューニャ。

「鉾だ。鉾があった!」とここでエイナイナ。「クラゲの背に鉾が刺さっていたんだ」

「本当に?」

「うしろの方だ。さっきとは反対だ。回収しよう」

 二人はまたクラゲの背を目指して駆け上がっていくが、その途中でまたしても背後からピピッと笛の音が聞こえた。

「くそー」とシューニャ。

 手練れが三人くらいはいるらしく、なんどやっても誰かしらついてきてしまうのだ。

 そして再び、クラゲの傘の丸みにそって上昇していく複座のディンギー。


「あった! 鉾だ!」とシューニャ。

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