生首に尋ねてみた、何の話だと(27 物語)

 起き上がった途端に肌がざらつくような感覚があった。その時点で嫌な予感はしていた。講義中も背筋に張りつく寒気ややけに乾く目の違和感などに気づいてはいたが、どうにかノートは取れた。

 そうしてふらつきよろめきながら帰宅し玄関を開けたあたりで盛大なくしゃみが出たのが決定打だった。


 体温計は37.8℃の計測結果を表示している。微熱としては高めだが、高熱とするには微妙に足りない。あと一歩悪化すると面倒なことになる体温だろう。


「熱出てんだろ。目が変だ……早めに寝な」

「そうする」


 生首の問いに頷く。珍しく本棚に置物のように収まった兄は、自分の身が痛むわけでもあるまいにやけに不安そうな眼差しを向けてくる。

 朝から炊飯器に保温してあった米を適当に腹に入れ、帰り際にドラッグストアで買ってきた風邪薬を喉に流し込む。熱が上がってきたのか、手先の感覚が遠くなっていて薬包を裂くのに手間取った。

 就寝前の支度を一通り済ませてから追加の掛け布団を出そうかと迷い、ベッドに目を向ける。

 枕元にはいつの間にか未開封のペットボトル──ラベルはお馴染みの病人用の清涼飲料水──が置かれていた。

 本棚の方を見上げると、兄は本に凭れたまま微かに手前に傾いた。


「お前朝から具合悪そうだったからな。脱水、怖いから」


 生首がどうやって調達したのだろう。薬局やスーパーに出入りする生首というのも、気をつけていれば意外と見る光景だったりするのだろうか。あるいは兄が頼めば買い出しを済ませてくれるような相手がいるのかもしれない。


 時刻は九時を少し過ぎたばかりで、いつもなら寝るどころか下手をすれば一日で一等元気な時間帯だ。それなのにどうしようもない四肢のだるさと肌に張りつく悪寒が、これ以上起きてはいられないと警告を発している。


 部屋の照明もそのままに布団に入って目を閉じた途端、


「眩しいだろ。照明のリモコンどこだ。消すから貸せ」

「いいよ。兄さんまだ起きてるだろ」

「何言ってんだ消しなさい。寝らんないだろ」

「だって兄さんまだ寝ないだろ」

「いいよ。風邪引きは自分の体調だけ心配してなさい」


 ごとごとと物音がしてから、ベッドが一度軋んだ。

 首を向けると真横に兄の顔があった。


「消せ」


 言われるがままに照明を落とす。暗い部屋の中、目の前に陣取る兄の顔だけがぼんやりと見えた。


「あの、兄さん」

「お前が寝るまで傍にいるよ。……ついでだからあれだ、寝物語とかしてやろうか。寝る前のお話」

「え」


 いらない。

 二十を超えた大学生男子が生首に寝かしつけられるような状況が果たして存在するのか──想像して目眩がしたのは上がってきた熱のせいだけではないだろう。

 とりあえずは必要ない、そう答えようと決めて枕元の兄の目を見る。

 暗がりでも分かるほどに伏せられた目元と下がった眉からはこちらに対しての真っ当な情の気配が見えて、さすがに無下にするのが躊躇われた。


「いいから目閉じろ。寝ないと治るものも治らないぞ」


 いつもより優し気な声が耳元で聞こえた。すっかり枕元に陣取って、兄は動く気配がない。

 仕方がない。気が済むまで喋らせておこう。どうせこの体調なら布団を被って横になっていればすぐに眠気がくるだろう。幸い俺は普段から寝つきはいいほうだ。

 横になったまま目を瞑れば、兄が一度区切りのように長く息を吸った。


***


 昔々、生首にまだ胴体があり、夜にはまだ今より多くの獣や化け物の類が潜んでいた頃の話です。


 ある村に兄弟が住んでいました。

 二人は血の繋がった兄弟ではありませんでしたが、それでも互いに仲良く生活していました。兄が成人してすぐに両親が亡くなってからもその関係は変わらず。実の兄弟のように或いは親子のように、二人は日々を暮らしていました。


 そんな普通の兄弟でしたが、年月が経ち歳を重ねるうちに、その平凡な兄弟関係は軋み始めました。


 理由は全く簡単でつまらないものでした。

 兄は真面目でよく働き頑健な体と穏やかな気性で誰からも頼られ好かれる人間だったのに対して、弟は全く人間が上手くなかったのです。目先の楽しそうなことに気が逸れる、月に二度はびっくりするほどの高熱を出して伏せるほどに虚弱で、その癖性根が偏屈で人見知りな人嫌いときたら好かれる方が珍しいというものです。


 どうして兄ばかり大事に扱われるのか、慕われるのか、楽しそうに日々を生きられるのか──弟の一方的な嫉妬です。そんなことは弟にも分かっていますが、だからといって妬むのを止められるほど人間ができていないことも理解しています。

 弟は段々兄を疎み辛く当たるようになりましたが、兄はそんな弟のことを責めるでもなく以前と変わらずに接していました。弟はそれがなおのこと憎くて悔しくて仕方がありませんでした。


 よく晴れた、ムツラボシも七つ見えるような星月夜のことでした。

 弟は玄関に掛けてあった鉈で、寝ている兄の首を切り落としました。


「どうして話をしてくれなかったんだ」


 枕元にごろりと転がった首が血を噴き出しながら心底驚いたような顔で口を開いたので、弟は心臓が止まるかと思いました。

 兄は弟が呆然としている間も忙しく瞬きをしながら「こんなことをさせてしまう前に俺はどうして気づけなかったんだ」「お前がそんな風に思っているなんて思わなかった、俺にも落ち度があった」と更に腹が立つことを言うので、弟は一層狂乱しぶつぶつと何事かを語り続ける兄の首を奥の部屋に放り込んでしまいました。

 また兄を慕って家を訪れるものや兄弟の様子を怪しんで訪れた人間などの首を片っ端から切り落としては兄と同じく奥の部屋に放り込んでいたのですが、鉈のせいか部屋のせいか兄のせいか、どういう訳かそれらの首は腐らずにひそひそと話を続けるし兄は生前と同じく弟のことを気遣うようなことばかり口にするので、何もかも嫌になった弟は、


 家に火をかけて遠くへと逃げ出しました。


 月の綺麗な夜でした。

 燃え上がる炎の中で、生首たちはいつまでも笑い続け、兄の首だけはずっと弟の名前を呼んでいました。


***


 言いたいことはたくさんある。

 九時台のサスペンスドラマに昔話の皮をかぶせたものを病人の寝物語に語るなということがとりあえず一点あげられる。

 兄を殺したのはまだいい。嫉妬したなら仕方がない。まだ心の動きが分かる。動機の説明がちゃんとある。

 その後が完全に錯乱している。兄だけに飽き足らず他の村人にも手を出して、どうしてそこまでのことを続けて司直の手が及ばなかったのか。昔々といっても諸々に限度がある。

 そもそもこんな陰惨な話を寝物語にするなと考えてから、ホトトギスの話に思い至った。あれを基準にしたのかもしれない。そうだとすれば手本を示してしまった俺にも非があるのかもしれないが、あの雑談からこんな生首まみれの残酷譚が派生することを予測できる人間が果たしているのだろうか。


 抗議の声を上げようとして、意識が一瞬沈む。

 信じがたいことだが、眠たくなってきたのだ。


 こんな話が寝かしつけに効果的だということを証明してしまうのは何か取り返しのつかない大罪を犯しているような気がしたが、それを語り手に伝える気力は既に眠気に溶けていた。


 話の内容は寝物語としては零点の代物なのに、悔しいことに眠気で目が明かない。


「ちゃんと寝ろよな。苦しかったら言いな、兄ちゃん、傍にいるからな……」

 

 穏やかな声と誰かが居るという安心感──だと思うのは癪だったので、飲んだ風邪薬の副作用だと思うことにした。

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