ありふれた悪い夢(9 つぎはぎ)

 ようやく一人前の手足と胴が揃ったので、組み立てにかかろうと思った。


 落とした枝のように束ねられた左右の腕。廃屋から引き出された柱に似た両脚。素直な骨組みの上に標準的な肉が付いた、平凡な胴体。

 テーブルをどかして作られた空間、見慣れたフローリングの床の上に、人体の各部が置かれている。


 胴体の前に陣取って、作業を始める。

 丹念に選んだせいか、そうあるべきという自然の摂理じみたものが働いているのか、脚も腕も胴体の正しい位置に置いて押し付けるだけで接着されていく。準備した工具の類──固定用のテープや裁縫道具──の出番はなさそうなので、少しばかりの落胆と共に安堵する。手間がかからないのが一番とはいえ、用意したからには使ってみたかった。


 そうして四肢を馴染ませ備えた胴体は、まだ物体として床に転がっている。

 何せ要の首がないのだから、当然といえばその通りだ。五体満足という言葉があるように、人の体は基本的には五つの要素が揃っている。

 腕はある。足もある。胸も腹もここにある。この人間の胴体に、首だけがどうしようもなく欠けている。


 俺は立ち上がり、いつものように本棚の二段目に陣取って目を閉じている生首の兄を手に取る。生首はいつものように目を開くことも口を聞くこともなく、薄い唇を引き結んだまま硬直している。


 俺の手の中に兄の首がある。割られる直前の卵のように、放り出される寸前のボールのように、ただ無防備に抱えられている。


 首だけということは、胴体がないということだ。だから生首なのだ。

 床に転がる胴体を見る。全くお誂え向きだ、と思った。

 首のない胴と胴のない首。不足の箇所がちょうどよく噛み合っているこの二つを接着すれば、首なし胴体と首だけの兄は兄になるのではないだろうか。


 首を置く。

 ずれないように慎重に、この一手で五体の全てが台無しになってしまうかもしれないことに怯えながら、肩の中ほどの位置に見当をつけた。

 恐る恐る近づけた両者の肉と皮膚は融けるように癒着して、四肢五体の揃った人体が──真っ当に兄となるべき人間が、そこにいた。


 ばかりという感じで唐突に目が明いた。


「お前、誰だ」


 その一言だけで俺は自分の過ちに気づいてしまった。

 聞き慣れている声の在り得ない調子、俺を知らない、何の感情もない相手へ向ける誰何すいかの言葉の冷たさと棘から何もかもが分かった。

 この首を得た胴体は、胴体に接いだ首は、最早俺の兄でも何でもなく、ただ別の誰かになってしまったのだ。


 泣くのも怒鳴るのも資格がないような気がして、俺はただ絶叫した。


***


 額の痛みに起き上がる。勢いをつけたせいで首が妙な音を立てた。

 部屋はまだ薄暗い。明け方の冷気の中、べっとりと掻いた汗で張りついた髪の感触が酷く不快だった。


「どうしたんだお前。まだ朝の四時だぞ」


 枕元に陣取って、こちらを覗き込む塊が物を言った。

 徐々に焦点が合い始める。首だ──兄さんだ。この数日で随分見慣れた顔。黒い目も生白い肌も口元のほくろも、きちんと記憶にある。


「寝てたとは思ったけど、うるさかったから起こした……大丈夫か」


 額の痛みから起こした方法が予測できた。恐らくは頭突きだ。

 手も足もない兄の首が俺を起こすにはその手段しかないのは理解ができる。同時に温厚な兄が暴力──頭突きはそれなりの暴力的手段だ──を行使するに至ったのだから、余程俺の魘され方が凄まじかったのだろう。


 酷い夢を見て、魘されて、起こされた。それだけのことだが、何だかひどく後ろめたかった。

 兄を作ろうとしていたことを、欠けた胴を繋ごうとしていたことをこのにだけは知られたくなかったし、言うべきではないと思った。


「なあ、その──」

「どうした。兄さんならここにいるぞ」


 その一言に力が抜ける。


「兄さん」

「そうだよ、俺はお前の兄だ。安心したか」


 俺には兄は存在しない。目の前には生首がある。生首は口を聞いている。

 だからこの兄を名乗る生首が言っていることはでたらめだし、そもそも生首が寝起きの俺を気にかけているというのはあり得ない状況だというのは分かっている。状況を構成する要素のすべてが、およそ真っ当なものではない。


 それでも生首の兄が掛けた言葉は今の俺にとって一等必要なものだった。


 スマホの時計を見る。兄の言った通り、まだ四時を少し回ったばかりだ。今日の講義は二限目からだから、早起きをする必要もない。とりあえずはシャワーでも浴びてから、寝直すかどうかを決めようと、俺はベッドから降りる。


 足裏に触れたフローリングの床はひどく冷たい。夢の中の感触を思い出して、一瞬だけ背筋が粟立ったような気がした。

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