通りすがりの鳥懺悔(8 鶺鴒)
夕暮れの薄赤い日が滲むカーテンの向こうで鳥が鳴いている。
「何の鳥だろ」
何の気なしに口をついて出た疑問に、生首の兄がベッドの端に乗ったまま、窓の方を向いた。
しばらく黙って鳥の声を聞いてから、ぐらりと勢いをつけて振り返った。
「カラスじゃないのは分かる。それ以上は俺にも分からん」
「それは俺にも分かるよ。雀とかかね」
ぎゃあぎゃあという鳴き声から祖父の住んでいた家を思い出す。裏庭に畑と果樹があったせいか、色んな鳥が飛んできていた。とんちきな節回しで鳴くウグイスにやたら張りのある声のカラスや正体は知らないが絞殺される寸前の喚声のような代物も聞こえてきた。
「普通の人、カラスとニワトリにスズメぐらいしか分かんないんじゃない? あとウグイス。兄さんもそんなもんでしょ」
「最低限文化的な鳥の鳴き声セットみたいなやつだな。確かにその辺は満遍なく通じる気がする」
兄はけえこうと対象の分からない鳥の鳴き真似をしてから、機嫌の良さそうな声で続けた。
「親死ね、子死ねだったっけ。お前んちの鍋も茶碗もばりんばりんみたいな」
「何それ。陰湿なのにアホの悪口じゃん」
「あー……鳥の鳴き声がそう聞こえる、みたいな言い伝え。セキレイだったかな」
初耳だった。どうして生首がそんなことを知っているのだろう。五体満足の現役大学生が教養で生首に負けるというのはとても決まりが悪いことのような気がする。
兄はこちらの疑問に気づく様子もなく、眉間に僅か皺を寄せて続けた。
「そういうの結構あるぞ。ブッポウソウが仏・法・僧とか、親の死に目を身支度にこだわったせいで逃したツバメは『土食って虫食って渋い』って鳴くみたいな」
「冬休みの宿題でなんか読んだ覚えあるな……怠け者の兄が弟を妬んで殺して、でもそしたら弟は兄のためにごちそうを作ってくれてたから後悔して鳥になったみたいなやつ。おとっと恋しって鳴く」
「あ、それ俺知らないな。何の鳥だろ。というか、そんなワイドショー事件簿みたいな話を宿題で読まされる意図が分かんないけど」
「鳥はね、ホトトギス──ちょっと待って、話すから」
ある貧しい村で暮らす、二人きりの兄弟の話だ。
両親もなく、二人で助け合って暮らせと教えられた兄弟だった。だが兄は怠け者で、具合が悪い足が痛む気分じゃないと勝手な理由を並べ立てては、弟にばかり働かせていた。
弟は何の不満も言わず、変わらず兄を気遣い敬い続けた。
それがかえって兄の疑心を招き、誤解から弟を殺してしまう。直後に弟の遺した一人分の豪華な食事──兄の膳だとすぐに分かった──を台所で見つけ、自分への愛情に気づき、ひどく後悔し詫びて泣き続けるうちに鳥になった。
そうして鳥の身に成り果ててなお、自分の罪と弟への悔恨を込めて鳴くのだという。
陰惨な話だ。
こんな話を宿題で読ませる理由が見えないというのは全くの正論だろう。教訓というには悲惨すぎる。
何もかも兄のせいなのもやりきれない。怠け者の癖に疑心を抱く程度には常識と知恵があって、なのにろくでなしらしく判断力に欠けて、自制心もなく衝動に任せて取り返しのつかないことをして、それでいてめそめそと後悔するだけの善心がある。
骨の髄までクズだった方がよかったのかもしれない。弟を何の疑問もなくいたぶり続けていられれば、不幸な終わり方は避けられなかったかもしれないが、少なくとも鳥になるほどの後悔はせずに済んだのだろう。
中途半端な善意のせいで、弟も兄も何もかも手遅れになってしまった。
話を聞いた兄は眉間に深々とした皺を寄せていた。
「思ったより悲惨だった。何だよこの話。子供に聞かせて何を教えたいんだ」
「何だろうね。兄弟仲良く、とかじゃないの」
「もうちょっと前向きなの出すべきだろ。『仲良くしないで不幸になりました』の例より『仲良くしたので幸せになりました』の方がさ、後味がいい」
思いの外納得できる主張が返ってきた。確かに倫理的にはそちらの方がいいだろう。ルール違反の刑罰の痛みを教え込むよりは、ルールを守ることによって得られる利益を理解させた方が建設的だ。
首だけでも物をきちんと考えられるのだなと口に出したら噛まれそうなことを考えながら、兄へと視線を向ける。
兄は幾度か瞬きをしてから、
「そもそもさ、なくほど後悔すんならやらなきゃいいんだよ。弟殺したっていいことないよ、本当」
そう呟いて、兄はベッドの上にばたりと倒れて転がった。
俺からは黒髪に覆われた後頭部が見えるだけだ。表情も顔色も何一つ分からない。
ただの独り言なのかもしれないので、聞き返すのは止しておいた。どう繋げても何だか嫌な話に転がりそうな予感がしたからだ。
窓の外で鳥が鳴いた。叫ぶような哭くような、劈くような声だ。
カラスが鳴くと人が死ぬと俺に教えたのは誰だったか。親だろうか、親戚だろうか、それともそれ以外の誰かだったのか。
この
夕日が滲んで暗くなり始めた室内を見て、俺は照明を点けに立ち上がる。
ベッドの上の生首は薄赤い影に覆われていて、返り血でも浴びたようだった。
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