永遠に続くものなんてないから(14 月)

 窓の向こうからは微かな雨音が聞こえる。夕方から空模様が怪しかったが、とうとう降り出したようだ。夏の頃のような凶暴な降り方ではない、ざらざらと世界を覆うような音が夜に滲んでいる。


「十一月って何て言ったっけ」


 いつものように机に乗ってテレビを見ていた生首が突然に発した問いの意図が掴めず、俺はしばらくその生白い横顔を眺めていた。


「十一月ったら十一月じゃないの」

「あー……そういうんじゃなくてさ、ほら如月師走神無月みたいなやつ」

「順番がめちゃくちゃじゃん」


 要は月の異称が知りたいのだろう。手元のスマホから検索エンジンに単語を入力すれば、探していた情報はあっさりと表示された。


「十一月、霜月だって。冬と秋の境目で、霜が降るから霜月」


 提示された答えをそのまま朗読すれば、兄はゆらゆらと左右に揺れてみせた。


「英語だと何だっけな。フェブラリーが二月なのは分かるんだよ、フェブラリーステークスがあるから」

「ノベンバーじゃなかったっけ。セプト、オクト、ノベンバって覚えてた」

「何でそれで覚えられるんだお前。省略し過ぎて違う単語になってないか」

「勢い」


 語呂合わせってそういうものだろうと感覚以外の根拠に欠ける主張を口にすれば、兄はしばらく視線を天井に向けた。


「じゃああれだな、ノベンバー・レインって十一月の雨なんだな」

「何それ」

「ん、古い歌。暗くて湿気ってるけど、俺は好きだよ」


 生首にも好きな曲があるのだなと思ってから、耳と頭があるのだから成程聞く分には支障はないのだなと納得する。その辺りは突き詰めればどうして生首が単独で移動したり口を利いたりしているのかという根源的かつどうにもならないところに接続しそうなので、俺は思考の焦点をずらす。

 兄は聞き覚えのないフレーズをしばらく口ずさんでからこちらを見た。


「何月の雨って曲、結構ありそうだよな。九月の雨、五月の雨、六月の雨は俺でも知ってる。全部歌詞が暗い。九月の雨は歩き出すけど過程が真っ暗」

「俺全部知らないし、その十一月の雨ノベンバー・レインも知らないんだけど」

「まあ、古い曲だから。俺の世代でもレトロ扱いなんだから、お前ぐらいのやつにしてみたら古典だよな」


 兄は知らない一節を今度は口笛で吹いた。穏やかなのに哀切を帯びて聞こえるのは、元の曲調のせいだけかどうかが俺には分からなかった。


「冷たい雨も悲しみも何もかもがいつか終わる止む、いつまでも続くものなんてない、みたいな歌詞だっけ」

「前向きじゃん」

「大まかにはそうだな。でも兄ちゃん、その辺は微妙に異議があるから……」


 ふと兄が目を伏せる。部屋の照明の白っぽい光が、その無機質な強さで目元にやけに濃い影を落とした。


「いつまでも続いて欲しいかどうかなんて人それぞれだろうにな」


 その言葉に、その表情に、俺は息苦しくなるような不安を抱いた。

 そもそもこの生首は兄でも何でもない。ただこの十一月の初めの朝に、兄を名乗って住み着いただけの首だ。

 どうしてここに来たのか、どうして生首なのか、どうして俺の兄だと主張したのか──俺はその疑問をきちんと問いかけてさえいないのだ。ためらったまま、はぐらかされたまま、互いにうやむやで曖昧なままに日常にうずめている。


 きつく問い詰めれば、無理矢理にでも暴いてしまえば、答えてはくれるだろう。ただそんなことをしてしまえば、この生首の兄は容易くどこかへ消え去ってしまうだろう。そういう確信だけがあった。


 いつまでも続くものはない、兄が言った歌詞を頭の中で繰り返す。愛も悲劇も悲しみも、成程永遠なんてものはひとつもない。

 そして、この兄がいつまでも俺の部屋ここにいてくれる保証などどこにもないのだ。

 気まぐれに現れたものがどうかしてこの部屋に留まって俺の兄でいてくれるだけで、何かの拍子にこの生首との同居生活が終わることなど十分にあり得るのだ。


 カーテンの向こうで風が鳴った。強風に乗って窓ガラスに吹き付けられた雨は、ひどくざらついた調子で窓を叩いている。


「今日はさ、冷えるから……タオルケットとか毛布とか増やした方がいいぞ。風邪引くから」


 そういって兄は机の上に乗ったまま、こちらをまっすぐ向いた。

 浮かべた笑みは頼りないのに、目だけはひどく優しかった。


 俺が黙って頷けば、嬉しそうに一度頷いて、また兄はテレビの方へと向き直る。黒髪に覆われた後頭部はいつもと変わらず、今や見慣れた兄の首として机の上に馴染んでいるように見えた。

 その無防備な頭部を眺めながら、いつか兄の好きな曲について調べてみようと、俺はそんなことを思った。

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