終:生首去りてのち
殆ど眠れないまま講義に出席し帰宅する足で寄ったスーパーでバカの量のチューハイ缶と悪名高いゼロ飲料缶を腕が攣らない程度に調達しひたすら飲み続けてから冬限定のりんごチューハイのプルタブを引いた途端にふと意識が昏くなりベッドに凭れてからの記憶がぶつんと途切れて首ががくりと前方に落ちた勢いで目を覚ました夜、明るい室内のテーブルに林立した缶の合間から興味深そうにこちらを見る生首と目が合った。
「あ、良かった息してる。すごい量飲んでるけど、学生の分際でいい御身分じゃね?」
「何なんですか、あんた」
「何なんだってそんなの、見れば分かるだろ。首だよ」
酔いでぐらつく頭の中で、その言葉だけが妙に引っかかる。
口調こそ別物だが、俺はこれと同じ台詞をつい最近聞いた覚えがある。
「……首なのは、分かる。あんた、俺の何なんだ」
「俺はあんたの弟だよ」
やけに明るい声で宣言して、弟を名乗る生首は右目だけを細める。
その笑顔に向かって手元の枕を投げつける。
まだ酔いの残る手元が上手く動かず、狙いは逸れて机の上から空の缶ががらがらと落ちた。
生首は短い笑い声を立てた。
「乱暴すんなよ。危ないだろ」
「何しに来たんだ」
「言ったよ、話聞いてた? 弟になりに来たんだよ、俺」
「どうしてここに来た」
「あんたならちゃんとした兄さんになってくれるって聞いたからさ」
淀みなく答えが返ってくる。生首はどうしてこいつは当たり前のことしか聞かないんだろうとでも言いたげにこちらを見ていた。
「誰から聞いた、その、俺がちゃんとした兄になれるってのは」
生首は右目だけを大袈裟に開いた。
「そりゃあ勿論、あんたの兄さんから」
怒鳴りつけようと思った喉が縫われたように閉じてしまった。
目の前の生首と、その口から洩れた言葉。それだけで十分だった。
こいつは『兄さん』を知っている──少なくとも、その言葉が俺に有効だという情報を以てここに来たということが、それが何より俺には驚くべきことだった。
「弟になりに来たのか」
「兄が欲しいんだよ。こっちにも、俺にも事情があるから」
「それはあれか、生首……地域自治協同組合とかそういうやつのあれか」
「
初対面でそんなことまで聞くなよと生首が口の端を吊り上げる。
まだ信じるには何も足りない。それでも、少なくとも俺の知らない略称を知っている時点で、何らかの関わりはあるのだと思いたかった。
零ではない、微かな関わり。それだけでも掻き集めて積み重ねて行けば、いつかは兄に再会できるのではないか。
大甘の希望的観測だということは分かっている。それでも、
この
まだ終わっていない。あるいはまた別の因果が始まっただけかもしれない。どちらにしても俺には都合がいい。
この部屋には兄弟が住み、縁もゆかりもない生首どもが集まる。その状況をもう一度始められるとしたら──。
そしてこの生首が現状の手がかりであり道標である以上は、機嫌を損ねるわけにもいかない。生首を俺の生活に掻き集めるため、ひいては兄との
他人を味方にするにはどうするべきか。手っ取り早く利を示すか、簡単には逃れ難い関係を作ってやればいい。
共犯、援助、そして血縁。いずれも出せる手札だ。本物でなくても構わない。本物に近いものにしていけばいい──俺と
「分かった。じゃあ、お前は俺の弟だ」
生首の目が白い蛍光灯にぎらりと光った。
「マジで? いや、頼んどいてなんだけど、まさか了解するとは」
「嘘つくなよ。話、聞いてんだろ」
「そりゃあ『押しに弱いから、ガンガン行けばなんとかなる』とかさ、聞いてはいたけどね」
同じ手が二度通じるとは思わないじゃんと弟は嘯く。口の端から覗く無闇に白い八重歯が、部屋の照明にちらちらと光った。
足元を見られている。舐められている。見透かされている。そんなことは分かり切っている。
それでも、『兄から聞いたこと』を示されたら、俺にそれを蹴倒す選択肢はないのだ。
兄は忘れろと言った。その通り、このまま目の前の生首を追い出して全てなかったことにするのが、一番楽なのだろう。けれども、やってできないわけではないと言ったのも、兄だ。
十二月は始まったばかりだ。約束の期限までには、まだ猶予がある。それまで悪あがきを続けてみるのも一興だろう。
「じゃあ、俺ここに世話んなるけど……いいの? あんたんこと兄ちゃんって呼んで」
机の上、いつかの兄と同じ位置に陣取った首を正面から見つめて、俺はあの言葉を口にする。
「──何かあったら頼れよ。兄ちゃんは、ずっとここにいるから」
弟を名乗る生首は、ゆっくり目を細める。俺もそのまま笑い返す。
今、俺は兄と同じ笑い方をしているのだろう。
強張る頬の痛みにそんなことを思った。
兄を名乗る饒舌な生首とその同族についての周辺 目々 @meme2mason
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