君のアンサー、確かめるんだ(29 答え)

「性別は」

「男」

「年齢は」

「お前二十だろ? じゃあそれよりは確実に上だよ」

「誕生日」

「八月」


 十一月が終わる前には答えを出しておくべきなのだろうと思った。


 何がと自問するまでもない。十一月の初日に部屋に入り込んだ生首についての話だ。

 当たり前だが俺には兄も弟もいない。それがどうして二日酔いの朝に枕元に現れた生首を兄扱いしているのかと聞かれれば、『俺は兄だ』と名乗られたからという以外ない。侵入者の自己申告をそのまま受け入れているという次第だ。


 関係の規定が対象の自己申告とそれに対する曖昧な是認で成り立っているという状況は、不健全及び不安定ではないだろうか。そんな当たり前のことを認めるのにひと月かかったのが俺という人間だ。情けないにも程がある。


 どういう関係かはっきりさせたい。

 拗らせた系の恋愛ものでよく見る台詞だ。そしてこれを言い出したやつが負ける。人間関係に勝ち負けがあるかということには諸説あるだろうが、俺は何事にもプラスとマイナスに陰陽や凸凹といった対立項があるように、勝ち負けは存在する──勝利/敗北条件は個人により異なるかもしれないが──と思っている。

 だが。

 負けてもいいから、兄のことを知りたい。目的をそこに定めたからこそ、先延ばしにして目を背けていた問題に取り掛かる覚悟が決まったのだ。


 そこまで腹を括ってもなお、俺のような小物としては直に「あんたは誰だ」と尋ねるのが恐ろしい。その一言が兄の逆鱗に触れるような予感がどうしても拭えない。

 それでも、少しでも兄について知っておきたい。そうして弱気と執着が合体した結果がこの一問一答原始的インタビューだった。


「身長」

「見れば分かるだろ」

「体重」

「お前抱えたことあるだろ、見当つけとけ」

「あー……足のサイズ」

「あのさあ」


 兄が上下に跳ねる。つくづくどうやっているのかが見当もつかない。高校のときに物理を自由落下運動の初速度や加速度のあれこれで挫折していなければもう少し色々理解できたのだろうか。

 物理法則が分からずとも、兄が今何を訴えているのかは分かる。俺の突然の奇行に対して困惑しているのだろう。


「別にいいよ、お前が聞いてくるなら俺は銀行の暗証番号まで教えるつもりだよ。だけどあんまりにも迂遠なんだよ手口が」


 盛り上がらないお見合いの質問コーナーみたいな真似をするなと微妙に共感しがたいことを言いながら、兄は更に二度跳ねた。


「何でこんなことしてるんだ。質問の目的を言え。誘導尋問だとしたらまどろっこしすぎて嫌だから本題に入れ」

「俺よく考えたら兄さんのこと全然知らないから、とりあえず何か知っておこうと思った」

「……疑問を持つのはいいことだ。別に不愉快にもどうとも思わない」


 質問のセンスがないんだよと兄は右側にぐいと傾いた。


数値データを尋ねてどうする。もうちょっとこう、中身のことを尋ねろ」

「……好きな歌手はいますか」


 咄嗟に絞り出した質問に兄は困惑した表情のまま、それでも答えてくれた。


「歌手っつうかジャンルならあるよ。ロックとパンクと歌謡曲だよ──ほら広げろ。答えに対して質問を繋げろ」

「え? あー、どうして好きなんですか」

「賑やかでいい。あと、身近に好きなやつがいたからな、音楽。就活全部失敗して自棄になったやつから『バンドやるからボーカルやらないか』って道連れみたいな誘いが来たことがある」

「マイルドな心中願いじゃん」

「だよなあ。無理心中だよ」


 初耳だった。やはり自分は兄のことを何も知らないのだと痛感する。

 ついでにこんな質問ですら満足にこなせないのが情けなくて、俺は流石に口を閉じた。


「気が済んだか」


 兄の問いに頷く。兄は両目を長く閉じてから、珍しくため息を吐いた。


「いきなり何をとち狂ったのかと思っただろ。てっきり熱で頭が煮えたのかと思ったぞ」

「ごめん。……ちょっと、焦っちゃって」


 兄は俺の謝罪に僅か怪訝そうに眉をひそめてから、


「別に怒っちゃない。ただまあ、何でこんなことをしたんだってのは気になるけども」


 兄がまっすぐに俺を見る。

 その黒々とした目を見ながら、俺は声にも出せない問いを吐く。


 聞きたいことはたくさんあるのだ。それが同時に聞いてはいけないことだというのも、なんとなく予感している。

 生首地域自治協同組合というのは何なのか。

 十一月までというのは何の期限なのか。

 どうして俺の兄だと名乗ったのか。

 兄さんはいなくなってしまうのか。


 何一つ、口にできるわけがなかった。


 ここで兄を質問責めにしたところで、事態は恐らく改善も変更もされないであろうことは分かっている。そのくらい無意味なことをしている。

 それでも、もしも別れが避けられないものならば──抗うことも逃げることも選べない平凡な若者の俺としては、せめて覚悟を決めておきたいだけなのだ。

 十一月の兄のことをすぐに忘れてしまうようなものにはしたくなかった。だからつまらない個人情報プロフィールだけでも知っておきたかった。忘れないために、どんなくだらないことでも知っておきたかった。できることが限られているのならば、せめて手だけは尽くしておくべきだろう。

 本当に何ひとつ知らないままで兄を手放すことに、どうやら俺は耐えられそうになかった。

 俺から返答を引き出すことを諦めたのか、兄がぐらぐらと前傾してから口を開いた。


「まあ、お前が何でこんなことをしたのかってのを言いたくないなら別にいいけど。何かあったら言いなさい。聞いてやるから」

「言ってどうなんの」

「どうなるって、まあ、お前の兄だからな。……お前が元気になるんだったら、できる範囲の頼みごととかなら聞くよ」


 できる範囲の頼みごと、という一言に脳が反応した。言質を取ったというには弱いかもしれないが、頼みごとを押し通せる目が出てきた。

 兄はこれまで確固たる約束というものはしてくれなかった。俺もそうだ。約束というものが根本的に苦手なのもある。どれほど些細なものであっても、不確定要素のかたまりである未来の一部を規定しようというのがどうにも性に合わなかった。

 だけども、この兄との関係については十一月より先にも繋がっていて欲しいと思ってしまっ。


「じゃあさ、兄さん。俺年末帰んないからさ、忘年会しよう」

「俺と?」

「忘年会が嫌なら、映画でもいいや。いつもみたいに駅前の散歩でも、なんでもいいから……今年を振り返って、くだんない話をしたい」


 と約束してくれよ、と勝手なことを言いながら、視線を合わせる。

 兄はこちらを見たまま数秒右目を瞠って、


「そうだな。お前がそうしたいんなら、俺も頑張ってみるよ」


 兄が口元を緩める。

 十二月の、十一月より先の曖昧な約束を取り付けたことに一抹の不安と僅かな安堵を覚えて、俺は息をつく。


「今日は俺が色々聞かれたから、今度はお前の番だな」

「俺の?」

「話をしてくれるんだろ。じゃあ、お前の話を聞かせてくれ」


 兄なら弟のことは知っておきたいだろう。そうして兄は目を細める。

 そのひどく笑い慣れていない、どこか痛むのを誤魔化すような笑顔が最初に会ったときのものと変わらないことに気づいて、俺は何も言えずにただ俯いた。

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