かたまりになって坂道をころげてく(11 坂道)

「しかしあれだな、夏に鍋物食べて悪いって法律はないけど、食べたがる理由も分かんないな俺には」


 頑丈さと大容量が売りのエコバッグから覚えのある声が聞こえて、俺は提げた袋の中身を覗き込む。

 見慣れた兄の首は鍋スープの素(液体)と豆腐に挟まれながら真っ黒な目でこちらを見ている。


「兄さん着いてきてたの?」

「いや、たまたま見かけた。声掛けようと思ったけど、お前意外と足速いからそれどころじゃなかった」

「いつの間に入ったの」

「ついさっき。坂だからな、歩くのちょっとしんどいから……重かったか」


 住処の学生マンションから徒歩二十分のスーパー。日常生活に必要なものはほぼ全てここで購入している。途中にそこそこの角度の坂道を挟むものの、二十四時間営業かつ惣菜が充実しているので地理的な負荷よりも圧倒的に利点の方が勝っている。

 その買い出しの帰り道、スーパーバッグに突如入り込んだは、周囲を眺めるように目玉を回してから口を開いた。


「こんな暗くなってから買い物ってのもどうだ。道、誰もいないじゃないか」


 兄のいう通り、周囲は既に夜が満ちている。昼間ならばそれなりの人通りがあるのだけども、休日の七時過ぎともなれば人どころか車もあまり通らない。一定間隔で設置された街路灯がぼんやりと光り、真っ黒なアスファルトを照らしていた。


「この時期はすぐ暗くなるんだから。危ないだろ、しかも坂だし」

「坂はしょうがないじゃん、来る分には下りなんだから、じゃあ帰りは上るに決まってるし……それにさ、この時間だと惣菜が割引になるから」

「節約すんのはえらいよ。ただ割引ったってろくに買ってないだろ」


 俺が入れるくらいの物しか入ってないじゃないかと兄が呆れたような声を上げた。

 買い出しの帰りでぼうっとしていたとはいえ、頭一つが手提げに入って気づかないのも我ながら妙な話だ。意識した途端に袋が重たくなった気がするのも不思議ではある。

 鍋の具材と生首入りのエコバッグ。指の血が止まるほどではないが、走るには難儀する程度の重みがある。米を買っていなくてよかったとどうでもいいことを思った。


「鍋にすんのか」

「ここんとこ寒くなってきたからさ、店が鍋コーナーみたいなの作ってたから、そこで適当に入れてきた」

販売戦略店の思惑に引っかかり過ぎじゃないか」

「鍋いいだろ。具で米が食えて、汁でうどんが食えて、残ったら雑炊にして食える。三食考える手間が浮くし」

「お前飯凝らないもんな。一時期ずっとパンにマヨネーズ塗ってラスクばっか食ってしな。体壊すぞ」


 事実ではある。見切り品で大量に買った食パンの消費手段がろくに思いつかず、ジャムもスプレッドも何一つない状況で味をつけて食べるにはそうするしかなかった。

 ただ、それをやらかしたのは生首の兄が部屋に転がり込む前の十月頃だったはずだ。中秋の名月のニュースを見ながら、それなりに焦がしたマヨネーズトーストを齧っていた記憶がある。どうしてこの兄が知っているのかと疑問に思うが、何となく屋外でそんなプライベートなことを問い詰めるのも躊躇われた。

 兄はごそごそと袋の中で音を立てている。俺を見上げる体勢を取ろうとしているのだろう。


「まあ、ずっと鍋でも飯食うだけでえらい。俺が来るまで冷蔵庫ほぼ空だったもんな」

「冷凍庫にはパンがあったよ。あとアイス」

「アイスだっていつのか分からんだろ。怖いんだよお前の冷蔵庫」

「怖いもの入ってないのに怖いって言われんの、なんか納得いかないな……」


 生首に言われるのも不本意だが、冷蔵庫に物が入っていないのは事実なので反論の余地はあまりない。アイスは確か春先に好きな限定フレーバーが出たというのをサークルの先輩から聞いたときに買ったもののような気がするが、それがいつの春なのかは思い出せない。開封していないはずだから、腐っているようなことはないだろう。

 元々食にあまり執着がない、というのがある。炊けた米があり、米を食べるために味のあるものが必要だしそれで十分という程度の認識しかないので、専らインスタントの味噌汁と卵に米という基礎的な食事で済ませていた。大学で授業があるときは食堂で定食を頼む。カロリーと値段の折り合いがつけば文句はないのだ。


「アイスは食うんだろ。こう、季節によって食べたくなるものとかその逆とかないの、お前」

「季節感とか……よく分かんないんだよな。暑い寒いでどうして食いもんの好き嫌いが出るんだろうって」

「暑いときに煮えたぎったシチュー食いたくないだろ」

「煮えたぎったシチューは寒い時も嫌だよ。拷問用じゃん」

「屁理屈を言うなよ。こう、暑いときに熱いもの食うと不愉快になるっていうか、寒いときに寒いもの食うと人間下手すれば動けなくなるだろ。風情とかもっと直に体温調節とかの話だよ」


 兄の話にぼんやり相槌を打ちながら、目の前の坂を上る。

 そもそも俺は季節感というものがよく分かっていない。温感が鈍いのかもしれない。都会に出てきてからはことにそうだ。地元の冬は氷点下になるのが常だったので、都会の二桁あるような気温の中ではどうしていいのか分からないのだ。


「……地元にいた頃はさ、一応冬らしいもの食べてたかもしれない」

「らしいものってのは何だ」

「玉子豆腐あっためたやつとか、おでんとか」

「おでん、あれいいよな。そういうのだよ季節感」


 兄の明るい声に適当な相槌を返す。具材についてはぼんやりとした記憶しかないが、わざわざ口に出してまた呆れられる必要もないだろう。


 風が強く吹いた。

 反射的に目を瞑って、雪も何も混ざっていないことを思い出す。耳先が冷えて麻痺するほどの冷気も、靴が滑るほどの雪もない冬にまだ慣れていない。そのことに自分の中に染みついた故郷というものの存在を見せつけられているような気がして、視線を足元に落とす。


 長髪を顔面にまとわりつかせた生首がスニーカーの傍らを転がり落ちていった。

 その後を追うように、ごろりごろりと三つの首が転がっていく。最後尾の首の耳元刺された銀色のピアスが、街灯にぎらりと光った。


「兄さん」

「散歩だよ。土曜の夜だからな、約束とかあるだろ」


 スーパーの近くなら駅も飲み屋もあるからなとこともなげに兄が言った。

 生首にも交友関係というものがあるのかと考えて、中華料理屋で会った中年男性の生首のことを思い出した。鼠や鳩も群れるし、猫でも集会をするのだ。生首がしない道理もないだろう。

 急に寒さが身に染みた気がして、俺は早足で坂を上り始めた。

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