我は湖の子、怨讐の(12 湖)
木々の葉群れは淑やかな黄に染まり、その合間に混じる赤はひどく鮮やかだった。
休日の早朝にスマホが鳴ったときは誰か死んだのかと思ったが、恐る恐る確認した画面に表示されていたのは友人からのメッセージだった。どこかしらに旅行していたらしい。特に見覚えのない地名と共に送られてきた画像は何らかの水場と紅葉を撮影した写真だった。
どうやら池らしい。水面には淡い日差しが沈むように滲む。紅葉のグラデーションになんだか見覚えがあるなと考えて、紅生姜を混ぜた玉子焼きがこんな具合だったなと思った。
「池と沼と湖、違いが微妙じゃない?」
ベッドに転がったまま問えば、机の上の兄が答えた。
「その中だと湖が規模違うんじゃないか。こう、泳いで渡れない直径だろ湖。でかい水たまりで、淡水、とか」
「池と沼は」
「……透明度、かなあ」
明らかに悩んでいるのか、机の上でふらふらと左右に揺れている。これで倒れないのはやはり生首特有の慣れがあるせいだろうかとふと思った。
「湖なら、なんか俳句で面白いのがあったな。お面の美少女がずーっと湖に沈んでいくみたいなやつ。耽美派みたいなイメージだったけど」
「耽美派なら表現が……なんか違うんじゃないの。耽美でお面は出てこない気がする」
「じゃあ仮面だ。機能的には変わらないだろ、お面も仮面も」
耽美というには単語の選び方が致命的過ぎる。恐らくは兄を経て出力されているせいだろう。お面と仮面が一緒くたになるような首に耽美を語る資格はないのかもしれない。この
「湖、あとは映画しか思いつかないな。十三日の金曜日とかさ」
「ジェイソンのやつ?」
「うんまあ……初代は厳密に言えば色々あるけどシリーズとしての枠はそれであってるっていうか……」
兄は俺の言葉にもぞもぞと何か言いたそうに机の上でぐらぐらと頭を揺すっている。迂闊なことを聞いたのかもしれない。世間話として長寿ドラマの話題を振ったら相手が業と火力の高いマニアだったことを思い出した。趣味の話はそういうことがあるのが恐ろしい。
どうにか折り合いがついたらしく、兄はまっすぐ俺の方へと向き直った。
「あの映画のクリスタルレイク、すごい雰囲気あるんだよな。なるほどこれなら殺人鬼の一人や二人湧くよなみたいな」
「殺人鬼が湧きそうな湖って呪いの湖じゃん」
「実際水難事故から殺人事件に放火沙汰だから、呪われてるってのも冗談にならないんだよな。続編だと改名してたし」
「そんないっぱい死んでんの、ジェイソンの湖」
「まあ、そもそもの始まりが湖からだし。イメージ上のジェイソンとは色々違うんだよな、陰惨だもの十三日シリーズ」
俺の返事を待たずに兄は続ける。何かを悩むように眉間に皺が寄ってはいるが、細めた目には険はなく、ただ十一月の日射しにきらきらと光っている。
「ハロウィン、悪魔のいけにえ、十三日の金曜日、このあたりはやっぱり基本だと思うな俺。別に基礎を履修しないといけないなんて法はないし、ただ
相槌を打つ隙もなかった。
兄はやたら熱っぽい口調でただただ喋り続けてから納得したように目を閉じている。口うるさい生首ではあったが、ここまで一方的かつ熱烈に物事について語るのは初めて見た。
興味深く眺めていると、我に返ったのだろう兄がこちらを見てからゆっくりと目を伏せた。
「映画好きなの?」
「ん……そうだな。好きだよ」
予想通りの答えが返ってきて安心する。好きじゃなくてあれだけ延々と喋られたらそれはそれで別の業だろう。
それほどまでに入れ込めるものがあるのは俺としては羨ましい限りだ。飯にも映画にもさして興味がない。未だにホラー映画と言えば貞子と呪怨ぐらいしか分からない人間だ。どちらも人妻だということだけ友人から聞いた。
「今度一緒に観ようよ。兄さんのお勧めでいいからさ」
「いいのか」
「いいよ。俺映画とか全然分かんないから。面白そうなの教えてくれたらさ、動画サービスで探せるし」
楽しみにしてるよと念押しのように伝える。媚でも諂いでもなく、本心だ。生首相手に駆け引きをやる意味もないだろう。ましてや兄だというのだから、尚更だ。
兄は何度か視線を宙に彷徨わせてから、
「そうだな。……そうだな」
文化的教育のために兄ちゃんが一肌脱ごうじゃないかと確かめるように言って笑う、その口の端に、微かに八重歯が白く光った。
生首が一肌脱ぐとしたらやっぱり顔の皮なのだろうかと考えたが、口には出さずにおいた。
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