照らす街の灯、あなたに影を滲ませて(25 灯り)
たまには換気がてらベランダで煙草でも吸おうかとカーテンを開けた途端に降ってきた生首とガラス越しにしっかりと目が合ってしまったので、慌ててカーテンを戻して玄関の施錠を確認してからベッドの上に座って溜息を吐いた。
ブームは終わったはずだろ!
十一月の中頃にも似たようなことがあった。珍しく早起きをしてカーテンを開けたところ、ベランダにたむろする生首たちと遭遇してしまった。そのときは兄曰く「エモいスポットとしての需要がある」ということで一週間もすれば生首たちも立ち退くだろうという説明があり、とりあえず一週間はカーテンをガムテープや洗濯バサミ等で固定することでどうにか
そうしてようやくベランダを自由に使えるかと思った途端にこの仕打ちなのだから納得がいかない。俺が二年住み既に契約更新も終えた部屋だというのに、どうしてこれほどに日々が縁もゆかりもないはずの生首に塗れているのだろうか。
「あれは通りすがりだから、その……運が悪かったな」
寝る前に災難だったなと、いつものように机の上に乗った
「通りすがりで空中落下って自由過ぎじゃない?」
「あったかい時期じゃなくても変なやつっているからな」
生首が物を言ったり跳ねたり転がっている時点で俺としてはだいぶ変なことが起きている認識なのだが、口には出さずにおく。生首側としてはそのあたりは常識的な動作で説明ができる範囲なのだろう。踏み込んでも互いに益がないであろう範囲には触らずにおくという分別も、こうして
「しかしこの寒いのによくベランダ出ようと思ったな」
「寒いけど、まだ氷点下じゃないし」
「一桁ったら十分寒いと思うぞ」
兄は信じがたいものを見るような視線をこちらに向けた。
こちらに住んで二年は経ったが、未だに寒さに対しての感覚は故郷で暮らしていたときと変わっていない。冬も本番になると気温が氷点下なのが常なので、零度以上ならば暖かい日という認識になってしまう。当然
「……俺の実家ってさ、冬めちゃくちゃ寒かったから。高校のときなんか、電車から降りたら夜な上に地吹雪で死ぬかもしれないなって思ったことが何度かあるよ」
「地吹雪ってのは何だ」
「吹雪だよ。積もった雪を降った雪が巻き上げて、上も下もびゅうびゅうの吹雪になる」
「びゅうびゅうの……」
珍しく兄が理解できないものに遭遇したときのような顔をしている。この生首は今まで暖かいところか都会にしか住んだことがなかったのだろう。
駅舎を出てすぐに吹きつける風の冷たさと、頬を打つ氷片の痛さを思い出す。遠くの街灯は雪と夜闇に霞んで、かえって夜の昏さを示している。車も人も通らない、暗い道を歩く。周辺には田畑と側溝があるばかりで、叫ぶような吹雪の音に混じって微かな水音が聞こえる。
暗くて寒くてとても怖い。けれどもこの道を歩かなければ帰れない。余計なことを考えないように、ただただ無心に足を動かす。
「吹雪ん中で歩くってだけでもしんどいのに、そこで夜なんかだと寒い上に暗いのが加わってくるからさ。まあ嫌だったよ冬の夜」
「だろうな。聞いてる兄ちゃんも結構嫌だ」
「でしょ。だけどさ、全部嫌いだったってわけでもない」
怪訝そうに兄が目を細める。
俺はその目を正面から見返しながら、答えた。
「そうやってまっ暗い道を歩いてて、家の灯りが見えたときの安心感みたいなやつは、嫌いじゃなかったな」
吹雪と夜の中で、ようやく辿り着いた明かりの眩しさを思い出す。
ただの照明でしかないはずなのに、その光はひどく眩く暖かなものに見えたのだ。
「明かり一つでそこまで違うか。いや、ちょっと分かるけどな、その感覚」
「目印みたいなものって言うかね。兄さんも分かるの」
「少しな。そこにいけば助かる、そこにいれば危険な目に遭わずに済む、みたいな……そうだな、お前の言う通りだ。安心感がある」
俺の部屋の灯も目印になっているのかもしれない、そんな考えがふと頭を過った。
何の目印かは俺にも分からない。だがそれに惹かれて生首たちが寄り集まっているのだとしたら、この状況にも説明がつくのではないだろうか。
『あなたさまに非はありません』『たまたまこの十一月のこの場所がそういった事象が起こるについて最適な場として成立してしまった』『これについてはどうしようもない部分もある』
老いた首──生首地域自治協同組合を名乗った、話の長い首だ──の言葉を思い出す。最適な場として成立してしまった理由は不明とはいえ、少なくとも第三
「──誘蛾灯みたいなもんなのかな」
「うん?」
「いや、独り言。魅力的だなって話」
「魅力的だけど……誘蛾灯と家の灯りを一緒にするの、俺は嫌だな」
どうしてかと問う代わりに視線を向ける。
兄は一瞬目を逸らしてから、ゆっくりと口を開いた。
「死に誘うものの蒼さよ誘蛾燈、ってな。有名な句があるから」
誘蛾灯だと辿り着いたら死んじまうからなと兄が笑う。
じゃあ尚更家と同じじゃないかと答えようとして、俺は口を閉ざす。
笑う兄の顔に怯えのような薄い影が落ちて見えたのは、恐らく部屋の照明の加減だろう。
その影の正体を尋ねるのは流石に躊躇われて、俺は曖昧に笑い返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます