第22話 オーリュの花
「なぁアクセル? 何か食い物持ってへん?」
と、隣を歩くタヌキ。
言われて
「……今は何も無いな。まぁ村もすぐそこだ、ちょっと歩くが我慢してくれ」
そういえば、こいつを早く何とかしないと腹の中で酒にでもなられたらたまらん。そして、それ以上に、一瞬でも腹のポッケの存在を忘れていた自分の脳の記憶野がたまらん。
俺はこんなにアホだったっけ? この世界に来てからペースが乱されっぱなしだ。
冒険の日々が与える脳への悪影響。バーバリアンになっちまう日も近いのか?
リスクは高そうだが、いっそのこと、この村の医者に、ポッケの中身の取り出し方について聞いてみるのもアリかもしれない。
本当にこの世は知らない事だらけだ――。
そんな俺の心中の葛藤など欠片も知らず、「そうかぁ……」と、肩を落として分かりやすくしょぼむタヌキ。
「……なぁ、アクセルよぉ。チーズインハンバーグいうんがあるやろ?」
「……?」
「あれってハンバーグに、チーズがインしとるんよな?」
「……そうだな」
なんの話だ?
「ほな『パンツイン』言うんは、正しいのんか?」
ぱんついん? ズボンにシャツをいれる事? それが正しい?
「……さあ?」
考えた事も無かった。
「シャツがインよな? パンツに」
どうなんだろ? よく分からん。
「なんだよ急に?」
そんな事よりオーリュの花だ。花はいったいどこなんだ?
「いや、この出来事を正確に言わんとおもてやね」と、困り顔のタヌキ。
「はぁ? ……なんかあるんか?」
「トゥーマッチシットが、インマイパンツやね」
お手上げ。と、肩をすくませ自身の半ズボンを示すタヌキ。
「だろうな」
それだけは知ってたよ。出会った時から。鼻が曲がりそうなほど深く知ってたよ。
◇◇
オーリュへの案内を一時中断し、俺が先程通った川に一旦引き返し、パンツを洗う事にした。あたりの気配を探ったが、おおよそこの辺りは安全なようだ。
「すぐ済むさかい、居ってぇな!」と、うるさいタヌキをその場に残し、俺は一人森へ進むことを決めた。
こんなとこでのんびり出来ん。領主の巡回にかち合えば、面倒なことになるのは明らかだ。こいつは着ている服さえ脱げば、野良だぬきのフリでしのげるだろうが、俺はもろに密猟者とバレちまう。
「花なんてそこらに生えとる」との実にあいまいな助言を受けての探索――。
歩き出してしばらくして、その光景に出くわした。
「……?」
それは、木々の間をふわふわと飛ぶ不思議な生き物。
風に光る鱗粉の尾を引いた、小さな蝶々だった。
「…………」
うっそうと茂るあたりの緑を縫うように舞う蝶の後を、予感に従いついて行く。
そのまま進んだその先で、突然森が開け、暗さに慣れた目が、光りに霞む。
「あ」
そこは森の中にぽかりとあいた空地。
魔力を帯びた美しい薄紫の蝶々を追いかけてたどり着いた、辺りの下草が茶色く枯れたその中心。
「ほぅ」
息を飲む。
そこにあったのは、地に咲く一輪の花。
神々しいまでにまばゆく、花弁一枚一枚に魔力が宿った白い花。
――オーリュの花。俺はそれを知らない。
「これだろ」
周囲の空間さえ輝くように。
確信する。これに違いない。
頭上の木の葉で、羽を休める蝶々に見守られ、俺はその白い花を、慎重な手つきでそっと根から引き抜いた。
任務完了。
「ふう。戻るか――」
◇◇
俺の手に持つ植物を見て、
「お! 見つけたんやな」と、モイモイ。
やはりこの花がオーリュで間違いないようだ。
「そしたら俺も探したろかな」と、色気を口に出したと思ったら、タヌキは突然、スンスン鼻を鳴らし、しまいに毛を逆立てた。
「……アカン」
こいつも魔獣の気配に気づいたようだ。
この気配の主がどんな種類かなんて見当もつかんが、そんなことは問題にならない。
退路がある内に、後はずらかるだけ。
「行こう」と、俺。
「せやね」と、タヌキ。
これ以上の長居は諦め、村へと向かおうとしてタヌキに叱られた。
「ちょう! そのままウロウロするんだけは勘弁してぇ」
タヌキが指さしたのは、俺の右手。
「え?」
言われて気づく。間抜けなことに盗品を堂々と手に持っていた俺。
「あっぶな」
脱いだ帽子の中にいそいそとしまう。他に目ぼしい入れ物なども無し。
こんな時にさえ、役に立たない腹のポッケが恨めしい――。
◇◇
日も傾いた帰り道。
隣をトコトコ歩くタヌキは、調子外れで奇妙な節の鼻歌を口ずさみ、ごきげんな様子。
アクシデントは2、3あったが、意外とあっさり手に入れた花は、帽子の中にある。レジーナとの約束までには、十分間に合う余裕をもって、村の近くに戻ってこれた。
行きで通った道をたどり、最後の林を抜けたところで、ソワソワと落ち着きなくその場をうろつく人影を見つけた。
確認するまでも無く、それは元冒険者のベンだった。
「よう」
俺は近づくと、その背中に声をかけた。
ベンは一瞬「うお」っと言って勢いよく振り向いた。
俺が目立たぬように、手の中で一瞬見せた白い花を認めると、
「ほんとにお前ってやつぁ――」
シワだらけの顔をくしゃっとゆがめて、突然の抱擁。
「うわぁ」
身長差もあり、大柄な体がおぶさるようにのしかかる。
「この時期ゃぁ熊だらけだったろ!?」
「声がデカいって。それに、俺はただの散歩から帰っただけだ。大げさにしないでくれ」
うんうん頷き、にっこり笑うベンが、そこで初めて俺の隣のタヌキに気付く。
「おや? 連れがいたんか?」
「……こっちは、まぁ成り行きで」
「せやねん。あっこで拾われてん。俺は賞罰無しで有名なタヌキや」
よろしゅう、とタヌキ。
「はぁ? ……まぁゆっくりしていってくれ」
驚いたのは、ベンがタヌキのモイモイを見て、それをすんなり受け入れた事。
ほんとにこの世界には、人語をしゃべる動物が珍しくも何とも無いのだろうか?
まぁこの場でそれを聞く訳にもいかず……。
「――後のことは頼めるか?」
ベンなら問題にならないやり方を見つけるだろう。
「あぁ。こん村の薬師にゃ必ず薬ぃ作ってもらう」
「それじゃよろしく」
俺は、帽子ごとオーリュを握らせた。
ベンはまだ何か言いたげに、手の中の帽子と俺の顔を見比べ、モゴモゴしてる。
本来俺とベンの間には貸しも借りも無い。
そして、ただここに花があって、それをたまたま必要とする親子がいるだけ。
あとはダンディーな男が去れば、物語は完成だ。
「じゃぁな」と
「俺めちゃめちゃ腹ペコなんやけど……」
忘れてた。
「ベン。俺今から約束があるんだ。すまんがこいつに飯食わせてもらっていいか?」
「あぁ! そんなことならまかしとけぃ」
多少の締まりの悪さはあったが、揺るがぬ紳士道。
ダンディーな俺は、その場にベンとタヌキを残し診療所へと向かったのだった。
◇◇
時刻はすっかり夕方。
森から帰って来た村人たちが、忙しく行き来する村内。商人たちは、あらかた引き上げたようでその姿を見ることは無かった。
広場のあちこちにはかがり火がたかれ、村の安全を託された冒険者たちが武器を片手に歩哨に立つ姿が見えた。
そして約束の診療所前。
子供に囲まれ笑うレジーナがそこにいた。
俺の姿に気付いたレジーナが尋ねた。
「あら、おかえり。……結局あなたは何をしてたの?」
「その辺をウロウロと。かな?」
他に表現しようもない。
レジーナは俺の全身をざっくり眺め、
「ふーん」と一言。
心を覗くような瞳に見られ――。
「…………冒険も少々」思わず口をついて出た。
汚れたブーツに、川で濡らした足元。タヌキの毛がまとわりついたズボンと、今は手元にない帽子。
「…………」
まったく冒険、冒険の日々だな。
何かを察したレジーナは、薄く笑みを浮かべていた。
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