第3話 魔法よさらば
「おい! 貴様ら、止まれ!」
――うそん。
歩き出して2歩目で誰かに見つかった。
ゆっくり振り向くと、20歩の距離にある岩の裏。そこからたった今出てきたと思しき、赤茶色のローブを纏いフードを被った長身の男に呼び止められた。
こんな近くに人がいたのかよ。
まったく気づかなかった。俺の感覚も完全にいかれてやがる。
「バウギが死んだのか? おい! リカード! 奴隷のエルフが逃げてるぞ!」
わめく男が手に持つ長い杖は、明らかに高級品だとわかる光沢をしていた。年齢は50ほどの魔道士だった。
バウギってのが首輪を仕掛けた奴隷使いか。ざまあみろ。
魔道士の男が背後を振り返って、誰かに指示している隙に、俺は、エルフのみっちゃんの手を引き、その声が聞こえていなかったかのように自然に歩みさる。
「止まれと言った! 貴様らを殺すなど造作もないことだ」
今度は殺すと来たもんだ。
この娘を抱えて逃げきれるかな、と考える。
それともいっそのこと、ここでやっちまうか? どうせこいつは悪党だろ。
「え!? なんですか急に」まずは一芝居。片付けるならもう少し近づく必要がある――。
「とまれだって。プフフ。ばかみたい」
え? みっちゃん?
「そんなお願いきかないし」そして下品に鼻を鳴らす、みっちゃん。
「あの、みっちゃん? 少し静かにしないとあの人に怒られちゃうからさ」
こうなりゃアホのフリしてやり過ごすか?
「いこう。カギはあっちよー」
「……あ。全部言っちゃうんだ」
金属が触れ合うガチャガチャという音がして振り向くと、敵が一人増えていた。
「お前らどっから湧いで出だんだ?」
現れたのは顔に古い傷のある髭まみれの偉丈夫だ。リカードとか言ったか?
男は鉄の胸当てに腰布一枚という半裸の肩に、巨大な看板のような斧を担いでいた。
あらぁまずい。冗談みたいなマッチョが一人増えてら。
みっちゃんは、男を見るなり固まってしまった。
幸い斧兵の足は遅そうなので、魔道士さえ片付けちまえば逃げきれるとは思うが。
俺は、敵さん二人に呼びかける。
「お互い忙しいみたいだし回れ右するってのはどうだ? ほらまたなんか爆発してるぞ。仲間が心配だろ?」
見逃してはくれないもんかね。
再び魔道士が口を開いた。
「大人しく檻に戻れ! 忌々しい奴隷風情が口を開くな!」
どうやら、取り付く島も無いらしい。
あたりを見回しても武器になりそうなものは、せいぜい石ぐらい。
相手の男二人はずいぶん余裕そうに構えているが、果たして俺はみっちゃんを庇いながらで戦えるのか?
俺が真剣に考えを巡らせていると、今まで口をポカンと開けて静かにしていたみっちゃんが、突然肩を揺らして笑いだした。
そして相手に、呼びかける。
「プフフフフフ。おっきい鉄ねぇー。それ何ー? 見る用ー?」
あきらかに侮辱されたと判断した斧兵が、
「今そっちの男にくらわせちゃるけぇ、何に使うかよう見とれ!」
さすがだねお嬢さん。斧のおじさん青筋立てて切れてるじゃん。
「やるしかないか……」
よし。まず斧兵に近づいて、腰に差してるナイフを奪う。
その先は考えないことにする。
俺はみっちゃんとつないだ手を解くと、一歩前に出た。そして左手をだらりと垂らし半身になって構えた。
俺はスピリッツバーナー隊のアクセルだ。
無手でも俺には魔法がある。
――魔法?
「あれ……なんだっけ?」
戦場仕込みの魔法の名前が出てこない! 今俺は、なんと言った!? スピリッツなんて? 俺は兵士だった……はず。
一瞬の空白に俺は何かの会話を思い出した。その衝撃に肌が泡立つ。
顔に薄靄のかかった男の言葉――。
『――ヤキイモを差し上げよう』
なんだ!? この記憶は?
どこまでが夢だ?
『腰を落とせ――。思い切りぶっぱなせ』
あれ? この記憶はなんだ? 全然何だか分からん。全然何だか分からんが急に泣きそうだ。汗が止まらん。ちょっと横になりたい!
この記憶はどこまでが本当なんだ? 嫌だ! 思い出したくないのに、千切れた映像が次々浮かんで脳を焼く!!
『スーパーストロング』ってなんだ!? 『ヤキイモの体』って? なんの話だ?
もし。万が一『この』魔法が出たらどうなんだ?
人の形を保てなくなるのか?
俺はなんだ?
「くそばかー? まだかー?」
みっちゃんは斧兵にご執心のようだが、ここでの挑発はいかにもまずい。
唐突に襲われた不安障害の発作の中、先に不幸な目撃者は減らしておくことを思いつく。
「あのね、みっちゃん。お楽しみのところ悪いんだけど、俺が時間稼ぐから、ここから離れてもらっていいかな? さっき言ってた屋敷に集合ね。それとくれぐれもこっちは見ないようにまっすぐ向かってね?」
「ふーん。そうね」と、みっちゃん。
コクコクうなずき、すぐさまタタタと駆けて行った。どこまでもつかみどころのない女の子だが、その素直さが今は大変ありがたい。
斧兵は立ち止まり、俺の突然の様子の変化をいぶかし気に見ていた。
「さて、俺はほんとにやるのか?」
膝に力が入らない。ぐにゃぐにゃ地面が揺れてるようだ。
『君には魔王を倒してもらう』
顔に薄靄のかかった影が発した言葉。たしかそんなような事を言われたような。
「スーパーストロングって、なんだそりゃ?」
「あ」
意図せず口の中で唱えたわずかな詠唱に呼応して、手の中に魔力が集っていた。
集まるということは、すなわち『出る』と言う事。
『出る』すなわち
ちくしょう! 知ってた! ここは地獄なんだ。
こんなことならもう少し善行を積んでおくんだった!
やつがどんな姿でどんなしゃべり方で、いったいあの場で何があったのか、正確な記憶は無い。だが、会話の断片だけは身に刻まれた刺青のように覚えている――。
『君の異能はヤキイモだ!!!』
瞬間脳裏に浮かんだ宣告。
俺は神から正体不明の異能を授かった。そして、この手の中の魔法を使って魔王に挑戦しなければならない。
「まてまてまて」
体のどこも焼き芋の感覚は無い。
これは『まだ』無いだけなのか。あるいは全てが冗談で、『そもそも』無いと安心していいのか。
腰だめに魔力を集める傍ら、脇の匂いを嗅いでみる。
「……?」
たぶん、ヤキイモの匂いはしていない。
鼻までヤキイモだったら匂いが分からないこともありうるが、記憶の限りでは『ヤキイモの体』だったはず。
鼻って体に含まれますか? バナナはおやつですか? 頭が痛いのは俺が人間である証ですか? ヤキイモって痛いのか? 支離が滅の裂――。
全ての疑問の答えは、『この』魔法が出るか出ないかでめくれる。
正直出て欲しくなんか無い。
うううううううう
だが俺の勘は、『ほぼ』出かかってることを確信してる。
じゃぁ牙は出ているか? いや、鼻は伸びていない。
他にも何か言われたっけ? ダメだ、思い出せない。
どこまでがあいつのブラフかと悩み続ける。
みっちゃんは、足音からすると遠ざかったようだ。
どうか遠くへ消えていてくれ。
『これ』が出た瞬間、一本のヤキイモがド地べたに落ちていたら、気付かずそっとアリに運ばれるまま許してくれ。
そうなってはもう生きてはゆかれない。『ヤキイモ生』を全うしない男の弱さを見逃してくれ。
悩み考える間もどんどん魔力が高まりゆく掌。もはや、やぶれかぶれだ。
敵兵二人はナメきっていやがる。
なぜあいつらは攻めかかっても来ないのか?
大汗かいた気狂いの奴隷をぶちのめして、子供のエルフを捕まえるのは楽勝ってか?
ちきしょう! この期に及んで、棒立ちのまま俺の詠唱を見守る余裕が気に食わない!
死闘を仕掛ける戦士を見る目じゃねぇ。
まるであの目は、ヤキイモを見るかのような――
「殺す」
おう、やったらぁ!!! てめえらも生きる世界を守りに来た人柱を、そんな目で見ることは絶対に許さん!!!
腰を落とし、溢れる怒りに任せて一息に詠唱する。
「スーパーストロングぅ! インフィニティー! トリニダード・スコーピオン・ブッチ・テイラーカラルー・ヤサイマシマシ・カラメ・アブラマシマシ・ニンニク磁電神滅波動砲ぉおおおおおおおおおおお!!!!!!」
瞬間。全身の虚脱に意識が飛びかけた。
ごっそり魔力を持っていかれた感覚と、それを引き取った手の中に灯る黒い輝き。
そして限界まで引き絞った力を一気に開放する!
「だりゃあああああああああああああああああああああああ!!!!」
勢いよく突き出した両手の間から生じた、小指の先ほどの黒い炎が、そのまま膨れ上がらずゆっくり解き放たれた。
「小っっっっっさ!!!!!」
驚きすぎて大声が出た。
なんじゃあこれ!? 渾身でこれ? あたしの全開の魔力がおちょこ半杯分? これでスーパー? 魔王を焼く?
「ふざけんなああああああああああああ!!!!!!!」
そして黒い炎は、ふらふらと飛んでいく。
その小さな炎が描いた軌跡が、遊女の手拍子を頼りに、両手を前に突き出し、鼻を膨らませ『こっちかな? こっちかな?』と探る、目隠した酔っ払いの大金持ちのスケベな遊びの足取りとぴったり重なった。
「あんよがじょうず。あんよがじょうず」
信じがたいことに、その声は俺の口から発していた。始末が悪いことに俺の意識から離れた両の手は、手拍子まで始めやがった!
そして白目の隙間から見えた、俺の渾身の魔法の一撃。
夜空に浮かぶ星の光は、足元を照らすことはできないかすかな光だ。
しかしその実、星の光はアソウギの彼方で燃え盛る特大の炎。
それら星々の明滅にはるかにおとるチョロチョロの炎。俺の魔法。
全力全開でこれ。 ありがとう。 さようなら。 俺の魔法人生。
冷や汗が止まらない。これは魔力欠乏かしら?
これが能力の全て? ごっそり魔力いかれてこれ。ステーキどころか煙草に火が付くのかもあやしい。
「――俺世界一弱いんじゃ?」
しかし一方で、不可思議な安心感に俺は包まれる。
それは魔王退治から解放された安堵。もう冒険は終わった。WARいずおーばー。田舎でレア専門のステーキ屋でも始めるんだ。そこはもちろん一日一組限定だ。なぜって魔力が赤ちゃんだから。
――だがそれでも。たとえそうであっても。
そんなことでは釣り合わない呪いの存在。
悩みの天秤から外された魔王退治の片側で、未だずっしり鎮座するヤキイモ。
「この上俺はヤキイモになるのか?」
様々人生の不条理を考えている間に、永遠に近い時間をかけてハナクソのような黒い炎はふらふら進み、それでも敵に到達した。
こめかみに青筋立てて魔力を練って、渾身の大声による長い詠唱を経て、決死のポーズをとって『これ』。
誰でも笑う。俺でも他人様からこんなもん見せられたら笑う。だから髭面の斧兵も肩を揺らして笑っていた。
一方、魔導士は険しい表情は崩さず、ようやく届いた炎のつぶを手の甲で、虫でも払うかのように無造作に「ぺいっ」と弾いた。
そして、劇的な反応を見せた。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
魔法使いのローブの袖のあたりに燃え移った黒い炎。
その炎は一瞬渦を描くように背中に回り、やがて盛大な煙を上げて上半身を包みだす。
「えええええええええええええ!?」
なにやってんだあんた?
風に乗って毛が燃えるあの嫌な臭いがこちらまで届いてきた。
あちゃちゃちゃちゃと叫びながら、ゴロゴロ転がる魔法使い。
俺は燃えやすい服で戦場に来た馬鹿を笑う。
「だははは! 見たか! 正義は勝つんじゃぁああ!!!」
まぬけにも程があるだろ。
「ニコラス様あああああああああああああああああ!!!!!!」
相方の突然の炎上に、あっけにとられていた斧兵が正気に戻り、慌てて腰布を脱いだ。そして、地面をのたうち回る魔導士の体を、素っ裸になってバンバン叩いて消火する。
「生地がコットン100%か!? 勝手に燃えてりゃ世話ねえな! これに懲りたら二度と人間をそんな目で見るんじゃねーぞ!!」
ぎゃあぎゃあと叫び続ける特級のアホ二人をしり目に、俺は踵を返し逃げだした。
「じゃあな! 相棒によく踏んずけてもらえよー」
その間も全身をぺたぺた触りやわらかふっくらホクホクで無いことを確認し、まずは安心。
俺はまだ人間でいるようだ。
よし。二度と魔法には関わらないでおこう。
俺は振り返らずに走り続けた。
おそらくあの様子なら追ってはこれまい。
「しばらく病院のベッドで過ごすんだな」
お互い今日の出来事を忘れる日が来ることを切に願いながら、俺はみっちゃんのもとへ急いだ。
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