第2話 エルフの『みっちゃん』
ずいぶん長いこと寝ていたことだけは感覚で分かった。
目の奥がすさまじく痛む。耳鳴りがやまず、のどは張り付き浅く呼吸するのがやっとだ。
何度まばたきをしても暗黒の世界。
完全に失明していた。
俺は生きてるのか?
指先はこわばり、ひじの動きが返ってこない。意志の力だけで体を起こそうと試みたがそれもうまくいかない。
世界中がこめかみの裏で不規則に回転している。
「……何があったんだ?」
言葉を発してようやく意識がはっきりしてきた。枯れきって自分のものとは思えない声にそれでも安堵する。
ようやく聴力が戻ってきたようだ。
いったい何が? 俺は……戦っていた?
千切れた記憶があちこち浮かびまともな像を結ばない。
気のせいか?
不規則に体がゆれる感覚がある。体の表面に響く振動を感じる。
ボーーっという耳鳴りの向こう。何か重いものが吹き飛ぶ音が聞こえた。
よし。起き上がろう。やればできる子だぁ俺は。
「ふううう」
呼吸の音が目の前で反響していた。
顔のすぐ近くに何かがあるな。
手さぐりで顔の前の障害を押しのけると、いきなり刺すような光に包まれた。
「っ!! ……失明してた訳じゃないのか」
どこだここは?
上半身を起こすと、窓ガラス越し、刺すような太陽の光に目がくらむ。
光? 空が晴れてる? いったいいつぶりだ!?
状況はさっぱりわからなかったが、どうやら俺は生き残ったらしい。
光の中で動く人影を捉え、
「ソルベールか?」
俺は体に巻かれた邪魔な包帯をはずしながら、
「あれからどうなった?」
返事がない。ソルベールが息を飲んだのが気配でわかる。
「どうしたんだ?」
目の前に大きく口を開け、俺を凝視する女の子がいた。
「げんきあるか? のら人間」
今なんて?
「……あれ? 誰きみ」
逆光でわからなかった。
俺はそこで信じがたい存在を見た。
絹糸のように繊細な金の髪。均整の取れた卵型の細い顔に、特徴的な大きな緑の瞳。不似合いなダボダボの煤けた灰色のチュニックを着た、細身の小さな女の子。
――そして尖った長い耳。
伝承や物語で語られる伝説が目の前にいる!
「君はエルフの。 ……生き残り?」
さらに何かを言いかけて、セリフを忘れて言葉に詰まる。
頭の中で急速に失われていく記憶。
まるで突然夢から投げ出されたように、何かを忘れたことだけが認識できる。
俺はいったい何をしてたのか?
残った記憶を順に並べて。 戦。 燃える旗。 灰の大地。あとなんだっけ……。
目の前の女の子が眠そうな瞳で俺に革袋を差し出した。
「みず。あげる」
不思議な声だ。不器用で、あるいは怠惰に。しかし、溶けて胸に響く無機質な温かみがある。
「ありがと」
差し出された水袋から一口ごくり。
体中に染み渡るぬるい水に力を借りて、一気に立ち上がる。
「君が助けてくれたの?」
体にまとわりつく、訳の分からない文字が刻まれたボロボロの包帯をはぎ取り、二本の足で立ち上がる。
「いこ。のら人間」
そう言い、俺の手を取る女の子。身長は俺の胸くらい。
異種族の年齢については見当がつかないが明らかに子供だ。
のらにんげん? 俺の事か? 野良――。
「俺はアクセルっていうのよ。 へんなあだ名やめてよ」
そうだ俺はアクセルだ。名前はアクセル・グェント。
「君は? なんて呼んだらいい?」
「はぬ? ……なんだ?」
すごい、ぽーっとしてる娘だな。
「いや君の名前だよ。俺はアクセル」
「は~名前か。う~ん。…………みっちゃん? みっちゃんかも」
ミッチャンかも? 愛称?
よくわからんが、一度すべてを飲むことにする。
「じゃぁ、みっちゃん。行くってどこに?」
「そとに行くのだ」
散歩か? そもそもここで何をしてるんだ?
疑問は100も浮かんだが、冷たく柔らかい手に引かれ、黙ってついて行くことにする。
あいかわらずだるさが残る体だが、動くことに支障は無い。
ふと振り返って自分が寝ていた場所を見た。
部屋の隅に据えられた棺桶のような木箱と、先ほど捨てた包帯の山。
なるほど死んだと思われてたのか。
ここは救護所なのか? あちこちに見える呪符は魔除けだろうか?
ほとんど何の家具もない部屋。
ど真ん中には、この部屋にあまりに似つかわしくない、内側から力がかかりねじ切れたであろう大きな鉄の檻が一つ。
なんじゃあれ?
そして俺の手を引くこのエルフの子は何者だ?
俺は混乱の大嵐の中にいた。全てが分からない。
たしか戦があったはず。おびただしい血と、仲間の倒れ伏す背中。そして炎――。
その後、わずかに覚えている。
何かおっさんと大事な会話があったような……。
そう会話だ。
「魔王が……なんだっけ?」
十分に考える間もなく、エルフに続いてドアを開け外に出た。
そして怒声と悲鳴が伝わって来た。遠くで何かを指示する声に、地響き。争いの気配と全てを引き裂く爆破音。
ここは戦場か?
「いったい何がどうなってんだ?」
全く見覚えのない岩だらけの地形。右手の崖はのぼれそうも無いほど切り立っていた。谷の底だろうか。
遠く木々の向こうに土煙を確認した。音もそこから聞こえてくる。
とりあえず、あそこに近づくのはやめておこう。
俺はみっちゃんと名乗るエルフの子供に問いかけた。
「ここから逃げるにはどっちに行けばいいかわかる?」
「にげてもダメなもに」
わかりやすく眉間にしわを寄せ、喉元の首輪をグイグイ引っ張るみっちゃん。
細いチョーカーのような首輪に、小さなサイコロくらいの黒い飾りが付いていた。
「カギが無い」と、みっちゃん。
「え? そんなもん人に頼んで切ったらいいだろ?」
みっちゃんと名乗る女の子の目線を追って自分の首も確かめる。
え?
「俺もかよ!」
――捕虜? 奴隷? 何したんだ俺は?
試しに引っ張ってみたが、びくともしない。なんだこれ?
「どれー使いが死んだんと思う。まほうが使えるもの」
みっちゃんの指先に灯る、青白い小さな光。
ドレー? 奴隷か! ってことは――
「さっきの部屋にあった檻はみっちゃんが壊したの!?」
いったいどうやって、と問いかける俺に両手を広げてまるで万歳するようなポーズをとる女の子。
「ボカンで」
「……へえ。すごいね」
ほんとかよ?
「そうよー」と、得意げに目を細めるみっちゃん。
まるで、八百屋の軒先で売れ残ったダイコンとナスの会話だ。
理由はどうあれ俺達は奴隷であったようだ。俺は棺桶から、みっちゃんは檻から這い出て晴れて自由の身。
同じようなシンプルなチュニック一枚にズボンという服装。
面倒なことに、首輪を外すには鍵がいるらしい。
それなら脱走する前にそいつを盗む必要がある。
一瞬全ての手順をすっとばして、みっちゃんが檻をぶっ壊したという『ボカン』の魔法で鍵の破壊を考えたが、即座に否定する。
絶対ダメだ。この子には、どこか頼んだらやりかねない凄みがある。
「鍵の場所は分かる?」
「あれとおもう」
みっちゃんの指さす方角に、大きな屋敷の黒い屋根の一部が見えた。
どうやら辺りに人影は無い。
「なんだか知らねえがチャンスだ」
見つからないように行こう。
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