第10話 もうけた命



「こっちも終わったよー」


 多少なりとも拭ってはみたものの、それでどうにかなるはずも無く、血塗れの姿で近づいたら、レジーナが目を剥きすさまじい悲鳴を上げた。 


「キャアアアアアアアアアア!!!!!!」


「いや、落ち着いて! これは返り血だよ!」


 両手を挙げて無事をアピールする俺に、レジーナは叫ぶ。

「だから言ってるのよ!!!!!!!」


 は?


「なんで毒浴びて動けるのよ!!?」


 ……毒? 


「……はぁ!? 毒があるなら先に言えよ!!」


「赤熊の血に毒があるなんて子供でも知ってる常識でしょ!?」


「嘘だろ!?」

 森のくまさんにそんな特性があるなんて夢にも思わなかった!

 毒と知ったとたん、何だか体がかゆく感じる。

 このすさまじい臭いが毒のそれか?


「あんたそれで動けるの!?」


 俺はその場にしゃがみ込み、乾いた砂を集めて肌をごしごし拭う。

「別に平気だけど? そんなことより井戸はどこだ? おいおっさん案内してくれ!!」

 遠巻きにこちらを眺める村人に、俺は呼びかける。互いに身を寄せ合う村人たちのその顔は、恐怖に染まりきり、まるで動く肥溜こえだめに話しかけられたかのように一斉に後ずさりをみせた。


 なんちゅう失礼なやつらだ!


 そしてレジーナが再び叫んだ。

「そんな血まみれで村に入れるわけないでしょ! 触れただけで即死の猛毒よ!!!」  


「はぁ!? 俺死ぬの!!?」



 ◇◇



 青ざめた顔の村人が、神への祈りを口の中で唱えながら、桶に入った水を運んできた。

 そこは林の端、村人が掘った浅い穴の中。案内されたその場所で、俺は静かに立っていた。


 その若い村人は、俺との距離を十分に保ち、桶を地面に置くと「あうあう」と何度も頭を下げて、走り去って行く。


 俺が戦っていた原っぱの方は、立ち入り禁止が言い渡されたようだった。

 そして、村に向かって血濡れの俺が歩いた道に、せっせと土をかぶせる作業に勤しむ村人たちの姿が見えた。



 その後、素っ裸になって3度の行水を終えると、ようやく臭いも消え去った。

 戦いで火照った体は、芯から冷えてしまったが、命には代えられないんだからしょうがない。


 俺は必死に体を洗う間中、思いつく限りの方法で死の兆候を探したが、寒い以外になんらの異常も見当たらなかった。


「はぁ…………。ちょっとした運動のつもりが大変なことになったな」


 野生の熊だと思ってのんきに相手をしていたが、やつは立派な魔獣だそうだ。

 ガンガン音を鳴らして追っぱらわないのを不思議に思っていたが、そういう訳だったみたい。

 もちろん肉も食えないし、その血に触れると皮膚がただれて即死する。


 熊毒が完全に消えるまでにかかる時間は三日間。 

 自然に無毒化されるのを、ただ待てばいいらしい。その後は錬金術の素材になるんだとか。


「常人なら死ぬ……か」

 理由はまったくの不明だが、幸い毒の影響は皆無だった。

「一度死んだ身だからなのか? さっぱりわからん」



 水浴びを終えると、穴の中に着ていた衣服と汚れた桶ごと放り込み、脇にあったスコップを使って、土をかけて蓋をした。



 ◇◇


 薄っぺらい奴隷のチュニックから、村人の服に装備がアップデートされた俺は、ようやくレジーナの待つ倉庫の脇に帰って来た。


「ほんとに無事なの?」

 恐々近づいてきたレジーナは、俺の体から十分に距離を保ってそう訊ねた。


 顔が青いな。上目遣いのその顔は、まるで死人と話すかのようだ。どちらが死人かはこの際問題ではない。


「……まぁ、見ての通り?」 

 これも神の与えた異能なのか? 他に心当たりは無いが、覚えている範囲で毒に関する話は無かったはずだが。


 レジーナはあきれたような顔で「いったいどういう理屈で」と言いかけて、肩をすくめる俺のリアクションを見て察したようだ。


「記憶が無いのね?」

 都合がいい話ではあるが、事実なんだから仕方ない。



 ◇◇




「え? これどうやったんだ?」


 レジーナが熊を仕留めたその場所は、まるで巨人が上から押さえつけたかのように、地面ごと沈んでいた。

 

 その中心でうつぶせになり手を広げ、轢かれたカエルのように永眠している熊。

 射かけた矢が全身に突き立つその死骸。


 大地には必死の抵抗を示す爪痕が幾筋も刻まれていたが、熊はその場をろくに動けず絶命したようだった。


「……強すぎだろ」

 ゴブリンには不意を突かれたのか? こんな事が出来るのに?


 隣にいるレジーナは薄く微笑んだだけで、種明かしをしてくれる様子は無かった。





 レジーナ達が仕留めたクマの見分に参加する。


 村人たちは、相変わらず俺がまるで死神であるかのようなリアクションを返す。

 顔を向けるとペコペコとお辞儀が返ってくるが、彼らとは決して目が合うことは無かった。



「明らかに最近何かと戦った跡が見えるね」 

 遠巻きにのぞき込む一同に、俺は「ここだ」と、槍を使って示した。



 左の後足の根元に、深い毛に隠れた傷があった。


 槍の先を使って、肉の裂け目からえぐり出したのは真っ黒い矢じりだった。


「……これって?」

 目を見開きレジーナがたずねてきた。


「見てよ。矢じりの先端が、三つに分かれてわずかに広がってる」

 血濡れの矢じりは獲物の体内で、開くように設計されていた。

「折れて体に残っていた矢柄の太さから考えて、使用したのはかなりの強弓だね」 


「その割に打ち込まれた矢は、体の浅いところにある。これはどういうことかしら?」


「さあ? 遠距離から試したのかな?」


「いずれにしてもこの村にあるシロモノじゃないわ」


 レジーナに、布にくるんだ矢じりを見せた。

「実は俺が仕留めた熊にも刺さってたんだ」


 レジーナは布ごと矢じりを受け取り、じっくりと眺めた後で、

「これは北部森林のウル族が使う矢じりね。金属じゃなくて星狼の黒骨で出来てるもの……。なんでこんなものが」


 なんだそりゃ?

「この熊達はそこから逃げて来たのかも?」


「まさか。ここから馬で3か月の距離よ。その間にはいくつも町がある。……それに赤熊は一度縄張りを決めたらその場を離れないのよ」


「じゃぁこの辺りにはもう他にいないの?」


「いえ、ボルドー伯が所有する森には、ねぐらがあったはず。きっと何かがあってそこから移動して来たのね」


「ふーん」

 様々推測出来そうだったが、それ以上口にはしなかった。俺はこの世界のことをあまりに知らなすぎる。


「「…………」」



 村人たちの中心で、先ほどまで黙って俺達の会話を聞いていた、恰幅のいい男性が声をかけてきた。

「いずれにしても助かりました。シェリフ。あなた方が居なければ、我々の村はどうなっていたことやら」


「シェリフじゃないわ。ピースキーパーよ」

 

 もちろん俺にその違いが分かるはずも無く。 


「……? そうですか。それは失礼をしました」

 男のリアクションからも、いまいちピンと来ていないことが窺えたが、レージナもあえてそれ以上説明する気はないみたいだった。





 ヨハンと名乗った40代くらいのその男は、このラージ村の村長の息子だそうだ。 

「お疲れでしょう。何もない村ですが、どうぞ心行くまで休んで行ってください」

 ひと際大きな村長の屋敷に案内を受けたが、その申し出をレジーナが断った。


「ありがたい提案だけど急ぐのよ。それに念のため医者にも……」


 レジーナと目が合い、俺は黙って首を振る。

 医者は嫌いだ。 




「それじゃぁ獲物はそっくりあなた達にあげるわ。けが人がいるなら治療費にでも当てなさい」


「何から何までありがとうございます! このご恩は村人一同決して忘れません!!」



 深々と下がったヨハンのつむじを眺めながら、俺は食い損ねた熊鍋について考えていた。




 ◇◇



 村の出口に集まった30人ほどの村人たちに見送られ、レジーナが暮らすイリオスと言う名の街を目指し、馬車は出発した。


 村の女性や子供たちは、俺とレジーナに対して安堵と喜びの混じった笑顔で、村の危機を救ったことへの感謝を口々に。

 片や男衆は、彼ら自身の活躍も相まって赤熊の撃退に成功した事への喜びに加えて、そこに畏怖の感情の引きつった笑みが混ざる。


 ガキの身で毒被ってピンピンしている俺への、ある種の精一杯の配慮。


 村人たちの歓声に送られながら、それら全てがなんとも奇妙な反応に感じた。




 しばらく進んだ村の外れの林道に、若い男が立っていた。

 こちらに気づくとすぐさま走り寄って来る。


 それは、俺に槍を貸してくれたあの狩人だった。


「シェリフ! 直接礼を言わせてくれ! あんた達は俺と妹の恩人だ!」


 馬車をとめ、俺は男に手をあげる。

「気にすんなって。たまたまあの場にいただけだ。別に俺たちが居なくても、みんな勇敢に戦ったはずだよ」


 薄く微笑むレジーナは、隣で黙って聞いていた。


 狩人の男は馬車のすぐ隣まで歩み寄ると、突然下を向き、絞り出すようにして言葉を紡いだ。

「一人で向かうあんたは、……死んだと思った。……ほんとは俺の役割だったんだ!」


 ……?


「俺は狩人だ。赤熊を引きつけて森へ導く決死隊になるはずだった……。あんたがたが来てくれなきゃ……」


 …………。


「……来月、妹の結婚式があるんだ。あ……あんたがたがいなければ妹は、一人で……」


 真っ赤な目で、何度も何度も頭を下げる男。声なき声が伝わってくる。


 俺は背を震わせる若い狩人に伝えた。

「……槍は助かったよ。今回の事は、ラージ村のみんなが団結して追っ払ったようなもんだ。お前と、お前の妹の歩む道が平らで穏やかなことを祈る」


 男は静かに顔を上げ、掠れた声で、

「本当にありがとう。不死身のシェリフ……」


 

 またな。



「あんたのおかげで、命が残った――」



 


 再び動き出した馬車。


「…………」


 なんだか分からない感情が、俺の膝の裏で震えていた。 




 ◇◇



 そこから先も、御者はもちろん俺だった。


 いくつもの丘と、麦畑の街道を通り過ぎ、ひたすら進む道――。




 

 行き交う馬車をやり過ごし、俺は世間話ついでに、なんとなく気になっていた疑問を投げた。

「あのさ。さっき村で言ってたピースキーパーってなんなの?」 


 「異界保安局の保安官はそう呼ばれるのよ」

 シートに深く背を預け、レジーナがそう答える。


 かえって疑問が増えたため、おれは、ふーん。と言って頬を掻く。


 その後も、記憶喪失という設定の下、あれこれ会話をしていたら、≪聖山≫という単語が分からなかった俺に、レジーナはついに匙を投げた。


「……あきれた。あなたまさかハイランダーじゃないでしょうね?」


「へ? 聞いたことも無い。誰それ?」


「海の向こうのし――。……人々よ」


 なんと言いかけたのかは分からないが、ソイツを毛嫌いしているらしいことだけは分かる。藪をつついて余計なものが出てくる前に、話題を替えようとして――。



「あ!」



「……やっと見えてきたわね。あれが我が街イリオスよ」


 

 石畳の街道をゆく昼下がり。 


 遠くに見下ろす、堀で囲われた巨大な街のきらびやなその姿。

 大勢の人が生きる脈動がここからでも感じられる。


 その、うごめきの中に交差する様々な人生。


「…………」


 俺はここで何をするんだろう。これから何を得て何を失うんだろう。

 

 考える間もなく、敗れ、奪われ、失ったはずの世界が目の前にあった。燃えて灰になったはずの自由が、この世界にはあった。


 戦火に追われ、何も成せずに死んでいった多くの命。





 ――生きたいから生きる。それが許される世界。

 


 神からの厄介な頼まれ事は胸に重いが、それでも。




 もうけた命――。 





 大きな雲を眺めながら、自由な生き方を考えていたら、みっちゃんの笑顔が浮かんだ。

 

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