第26話 とぅんでもねぇほど注文の多い料理店、の客

 

 カンテラを焚いた馬車を駆り、 日も暮れた細道を走る慌ただしい帰路。


 後ろのカーゴでは、しばらく言い争う声が聞こえたが、やがてタヌキがこの場の誰が最も偉いのかを学習した後は、なまりのとれた人語による単一のセリフを発するのに終始している様子だった。


 それは「すみません」とも聞こえたし、あるいはゆるんだ馬車の車輪が奏でた幻かは知らぬ。


 そうして、そろそろ森を抜けた頃、静かになったと思って後ろを覗くと案の定、二人は並んでスヤスヤ。


 丸一日森をさ迷ったタヌキと、朝から働き通しだったレジーナ。無理からぬ事とは分かっているが――。


「トホホ……」

 レジーナの枕には俺がなってみたかった。



 ◇◇



 イリオスの街についた頃には、夜中に差し掛かる時間ではあったが、さすがは有数の都市。行き交う人が絶えることは無いようだ。


 タヌキの失った荷物の捜索や、今日得た情報の整理を兼ねた打ち合わせは、明日事務所でと決め解散となった。


 タヌキはレジーナからいくらか金を借りたらしく、「ほな」と言い、早々に夜の街に消えた。

 

 そして残った俺とレジーナ。


 なんでもレジーナは、これから大衆浴場に向かうんだとか。

「アクセルもどう?」


 レジーナのその誘いに、特に深い意味がない事は分かってる。もちろん施設は混浴でもなければ、その後に何が起こるわけでもない事も重々承知してる。


「……」


 死ぬほど一緒に行きたかった。


 だが。


 『ポッケがあるから風呂には入れません』

 換言するとこれだけ。

 

 多毛の獣人も入浴可。もちろんタトゥーもオッケーだ。ただ、ポッケは……。

 ポッケはさすがにお断り――。


「…………っ!」


 ううう。


 この誘いを断ることが――、断る前の自分と、断った後の自分で決定的に何かが変わることが、ただただ恐ろしかった。


 あるいはそれは、神と刺し違える覚悟と言い換えても良いのかもしれない。 


「今日は帰って寝ようかな。疲れたしさぁ」

 上手に笑えたと思う。


「そう。わかった。それじゃぁおやすみ」

「あぁ。また明日」


 レジーナは、馬車を転がし軽やかに帰っていった。


 


 今夜、夢の中であの神と逢えたらいいな。そしたら使い終わりのカラシのチューブみたいにふんずぶしてやれるから――



 ◇◇



 べろんべろんになるまで酔いたくて、良さげな飯屋探して歩く、人通りの少ない裏道。


 ランプの明かりに誘われてたどり着いたのは、ひなびた雰囲気の酒場だった。


 先日のサンサン鳥の悲劇が、一瞬頭をよぎったが、結局煙の匂いに惹かれて扉をくぐる。


「いらっしゃい」


 L字のカウンターに6席。そしてテーブル席が奥に1つだけ。婆さん一人で切り盛りする串焼きがメインの店らしい。 


 一番手前の席に着くなり俺は、

「串盛りと、エールをジョッキでください」


「はいよぅ」

 前掛けをパンっと払い、厨房に立つ店主。


 正直、煮込み以外の食い物なら何でもよかった。

 手早く注文を済ませると、帽子を脱いで伸びをする。

「んー」

 今日もずいぶん動いた一日だった。

 

 最後に一杯、ねぇ。酒なんて長い間ごぶさただった。



 俺の他に客は1組だけ。奥のテーブル席で酒を飲む二人の男達。


 片方は長いアゴと、もみあげが特徴の大男。

 彼は完全に出来上がっており、横から見ると赤い三日月のようだった。


 そして向かいに座るのは、どこかねずみを思わせる愛嬌のある顔をした小柄な男。


 対象的なその二人は、テーブルいっぱいに料理を並べ、特大のジョッキを煽っての宴会といった様子。



 賑やかなそのテーブルから、料理を待つ俺のところまで、興味深い話が聞こえてきた。 

 

「――しっかしここのギルドもろくなヤツがいねえな」

 見ると、話し手は大男。


 俺はその言葉に静かに同意する。

 確かにあそこは碌な場所じゃなかった。


「となりの領主の騎士団だって、最後の戦が爺さんの代だってんだからなあ……。トーマスつったか? あれじゃあ見つかりっこねえな」


「どうなんでしょうね」と、聞き役にまわる小柄な男。


「あーあ。また南に戻るかねぇ」


「もうイリオスを離れるの?」


「近いうちに……。キースがこの町にいるっていうから寄ったのに入れ違いとはな。あの野郎、どこに行ったんだか」


「剣の神さまですか?」


 と、軽い調子で尋ねたねずみ顔の男に対して、顔中にシワを寄せ、急に声を荒げるアゴ男。

「あいつのどこがケミだ!!」


「まーた始まった。……アントンさん、飲み過ぎだって」

 やれやれ、と天井を仰ぐねずみ顔。


「うるせえ!! どいつもこいつもケミケミって」

 

 そんな一気に飲んだら体に障る。と、心配する相棒の前で、特大のジョッキを煽るアントンと呼ばれた大男。


「ぶふー」と息を吐きだし、虚ろな目で「俺の方が上だあ」と一言。

 

 テーブルに長い顎を乗せ、くつろぐ様子は、さながら滑り台と人間のハーフの獣人。


 「はいはい。……俺ちょっと便所行ってきます」


 中座を告げた男が、「ちょっとすいません」と言い、俺の後ろの狭い通路を通って表に出て行った――。




「はい。おまちどう」

 ようやく出てきた俺の飯。 


「おおお」

 程よく焦げた鳥肉の串。脇に半生の玉ねぎと、荒い岩塩が添えられた皿。

 皮から滲む油がソースの役割。


 夢中で頬張り、

「はぁふ」

 

 うぉ!!

 

 油の感じと柔らかな肉の触感は鴨に近い。

 最後に鼻に抜ける香は七面鳥のような、野趣を感じる。

 何の鳥かは知らねぇが、大変な美味。


 そして酒で一気に流し込む。

「んっ」


「ぶはーー」

 人心地。


 エールは多少ぬるくはあったが、人間の世に在るあらゆる物の中で、最も価値のある味をしていた。


「うんまぁ」


 天にも昇るような至福の時を過ごす我がテーブルに、届いて来たのは、困惑の声だった。



「――あれぇ? ねえぞぉ?」


 見ると、アントンと呼ばれた大男が、酒瓶を片目でのぞき込み、赤ら顔で独り言をつぶやいていた。


 チィッと舌打ちし、呼びかける。

「おーい、ばあさん」 


 はいよ。と応じた店主に、

「タケくれぇ」と、アントン。


「は? 何だい?」


 …………。

 店内に間延びした空気が流れた。




「タケだよぉ、タケ! タケ持って来い!」

 長いアゴをさらに伸ばして大男が言う。


「はぁ? 何だってそんなもんがいるんだい? 変な事お言いでないよ」と、呆れ声の店主。


「なにぃ? コノヤロー。いいからつべこべ言ってねーでタケ持って来い!」


「うるさいねえ。うちにそんなもんないよ」ほんとに馬鹿だねぇ、と切って捨てる婆さん。


 ついにフラフラの足で立ち上がり、アントンが吠えた。

「何だとぉ、コノヤロー!? なけりゃ買ってこいバカヤロー!」


「わかったよ」 

 ついに根負けした店主が、首を傾げながら裏の勝手口から出ていった。




 ……正直俺はワクワクしていた。

 俺は酒の席で眺める、他人が酔っ払った姿と、そこで起こるしょーもない争いが大好きだ。

 どちらも久しく忘れていた感覚だった。


 横目で楽しんでいると、決まり悪そうに頭を掻くアントンと、目が合った。

「騒がしくして悪りぃなぁあんちゃん。ばばあがとぅんでもねえ無精ぶしょうでなぁ」


 俺は無言でジョッキを掲げる。ニヤつきを耐えるのに必死だった。



 暇になったべろんべろんのアントンは、今度は帰ってこない相棒に悪態をつく。


「……ムラジのやつぁ、いつぅまで便所に行ってんだぁ。……まさか、糞にまたがって、そのままどっか連れてかれたか?」 


 パカラ、パカラと馬を煽るような仕草を始め、一人でうふふと笑うアゴ男。


 そいつは、どうしようもねぇ酔っ払いの性――。




 ガラガラと、扉を開けて帰って来たのは婆さん店主が先だった。


「はいよ、竹!!」

 そのまま、生の竹を1本差し出す店主。


 アントンは面食らったまま受け取りはした。

「何だこれ!? ……馬鹿にしてんのかぁコノヤロー! 俺が言ってるのはタケだぁ!!!」


 俺は、カウンターに突っ伏して只々堪えた。



「だから竹持ってきてやったんだろうがね?」

 まるで心配したように、アントンを眺める店主。


「ふっざけ――」

 赤ら顔のアゴ男が、サツマイモのような顔色で爆発した。

「これはタケじゃねーかコノヤロー!!! 寝ぼけてねーで早くタケ持って来い!!」

 

「うるさいねぇ。これだからやだよ、酔っぱらいは」と、耳を塞いだ店主。


 その後、

「俺は客だぁコノヤロー! いいから行け!」

 と、押しやられ、再び婆さんは勝手口から出て行き、1分もしないで帰って来た。


 戻ってくるなり一言。

「はいタケ!!」


 これで満足かい? と、またしても1本の竹を差し出す婆さん。


「そうそうコレコレ――ってこれもタケじゃねーか!!」


「だから竹だって」


「おうクソばばあコノヤロー! ヤベー耳しやがってコラ! 俺が言ってるのはナニー?」

 ほとんど白目で尋ねるアントン。


「……たけでしょう?」


「そうだぁ。……じゃあこれは何だ?」


「だから竹でしょ?」


「分かってるんだったら早くタケ持って来いクソばばあ!!」


「はーやだねぇ」


 特大のため息をついて、カウンターの裏から取り出したのは山盛りの竹。


 そしてそれを、ためらわずに差し出す婆さん。

「はい。竹」


「むらーーーじ!!! どこ行ったぁあーーー!!? ババアが終わっちまったぞコノヤロー!!! 早くけぇってこい!!!」

 便所があるであろう壁の向こうに大音声で応援を頼んだアントン。


「たけ、たけ、騒ぐんじゃないよ!! 酔っ払いが!」

 言うなり大男の頭を引っ叩く婆さん。


「アイタっ。とことん馬鹿にし腐りやがってコノヤロー!」


 貰った竹を握りながら、

「これはタケじゃねーか!! 俺が言ってるのはターーーーーーーケええええええええ!!!! お前ぇが持ってきたのはタケ! 耳、元気ですかーーーーー!!!?? タケ持ってこーーーーい!!!!」


 大男の剛力でささくれ立ったタケが、メリメリと潰れて床に散って行く。

 やがて開いた左の手の平に、岩のようなタコが見えた。


 ……オイオイ。すげぇな。


 腕を組んで仁王立ちの婆さんが負けじと啖呵を切る。

「ちゃんとお代は払ってもらうよ」


「ごうつくばばぁ……。寝言ほざきやがってコノヤロー! 何が悲しくて酒場でたけ買わなきゃいけねんだ!!?」


「いいから財布だしな」 


 そして狭いテーブルを挟んで揉み合う男女。


「よせコノヤロー! 引っ張るな」とアントン。


 構わず無言の婆さんが、ひん剥いていく。


「おい分かった! 金なら払う! そんな事より、ヒがでるからどけ!」

 と、アントンから泣きが入った。


「は? 困るよ! よしとくれ」と婆さん。


「うるせえ、しょうがねぇだろ」婆さんを必死に押しのけ、アントンが言う。


「火なんて。こんな所で何言ってんだい!」


「おいどけ。なんだコノヤロー」


 させるもんかい。と婆さんが息巻く。


「分かった! 分かった、外でやる」


「外だろうがどこだろうが、火なんて付けられたら困るよ!!」


 切羽詰まって男が叫ぶ。

「おい! 出ちまうから早くどけコノヤロー」


「ひが出ちゃうからどけって」と、クネクネするアントンを無理やり羽交い絞めにする婆さん――。




「お代はここ置いてくぞ」

 忙しそうな婆さんに声をかけ、お暇する俺。


 ふぅ。


 味はなんだか忘れちまったが腹は膨れていた。

 

「いい店だ。……また来よう」



 カタカタと、閉めた引き戸が、内側からの風圧でグワっと揺れた。


「――――!!」

 そして聞こえるニワトリを絞めたような悲鳴。



 ふむ。




 俺は、この世界を好きになれそうだ。




 長かった異世界二日目の夜が更けていく――。




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