第17話 ぽっけよし!
「……何が『ハムサンドはセブンスに限る』だよ」
昨日と同じように、俺は一人、御者席に座り馬車の手綱を握っていた。
一口で半分消えた朝食のサインドイッチをにらみ、自然と肩が落ちるのを自覚した。
「肝心のハムが全然入ってねぇじゃんか」
今朝、出がけに宿屋の店主に勧められた食料品店で買ったハムサンドは、期待を裏切る出来だった。
確かにマスタードが効いたこの味自体は旨いと言えるが、その本体であるハムが泣きたくなるほど少なかった。
具をケチりやがってあのオヤジ。店頭で見たはずの、あの堂々たるサンド様の面影は、欠片も無い。
「はあ、ついてねぇな」
目的地はまだひたすらに遠く、しゃべり相手は先ほどから顔の周りを飛び周る一匹のハエくらい。
傍らの席には、ポツンと置かれたテンガロンハットが一つ。これは今朝、ボスコにもらったシロモノだ。保安官としての初仕事を前に、それらしいものを与えたかったのだろう。
酒場の裏で初仕事は済ませていたのだが、貰えるものは貰っておくのが俺の主義。
レジーナはと言えば、例によって幌付きのカーゴに引っ込み、スヤスヤと居眠りを決めこんでいた。
「……はぁ」
俺はじゃんけんも弱い。
スカスカのハムサンドに支払った
「なんでこんな事になっちまったんだ……」
早朝だというのに、すでに疲れきっていた。
俺は今朝我が身に起きた悲劇と、その顛末を思い出す――。
◇◇◇◇
あれから俺は、レジーナに紹介された宿で一夜を明かし、夜明け前に起き出して、町の内周をぐるりと走り込んでいた。
通り過ぎる住宅街は、煙突からわずかに伸びた、朝食の支度をする世の中の母親の勤勉と、それを吹き流す清浄な朝の風。
元居た宿屋に着く頃にようやく起き出した町は、普段の活気を見せる直前の、あの伸びをするような何とも言えない静かな音で包まれていた。
朝焼けを浴びながら、裏手の井戸で顔を洗って部屋に引き上げる。
その途中で、なんとなく贅沢がしたくなって、起きてきた宿屋の店主に部屋まで湯を運ぶように俺は頼んだ。
昨日あれからレベルアップについて考えた。
昔、スライムの稀少種について聞いた話だ。
ソイツは、姿を見せることは大変まれで、一目でそれとわかる珍しい色をしたスライムだとか。戦ってみると実際、拍子抜けする程弱い。しかし大変に素早く、すぐに逃げて消えちまう。もし幸運にもソイツを倒すことができたら、肉体の位階があがるのだという。
あのゴブリンがきっとそれだったのだろう。レジーナ達の反応からしておそらく間違いないはず。全ての特徴が大体一致するし。
俺のレベルが上がったのは、たぶん奴のおかげだったのだろう。
それから他にも分かったことがある。この体についてだ。
まず、とてもしなやかで、力に至っては、血反吐を吐いて維持した以前の体と同じかそれ以上。この腕の細さであるにも関わらず、頑強なまでに鍛えぬいてある。
体の重心も全て変わったのだが、バランスを保つのに全く不自由が無いという不思議。この体が持つ記憶が、それを可能にしているのだろうか?
そして何より、疲れにくい。
先ほど町中を駆け抜けてきたが、体が温まった程度で、あっという間に息も落ち着いた。一体いつまで走り続けられるのか、なかなか限界が見えなかった。
昨日あれだけ動いたのに、疲労もダメージも全く無い。若さの一言では片付けられない不条理な体。
次に、例のゴブリンをシバいた時の、謎の剛力。その後あちこちぶん殴って、色々試してみたが、思うような結果にはならなかった。いわゆるクリティカルヒットだったのだろうか? これについては、まったく分からない。
言語については極めて謎が多い。文字も読める。なまりさえも聞き分けられる。しかし、固有名詞をほとんど知らない。子供でも知ってるはずのモンスターや、会話に出てくる人物や地名、物の価値、それら全てが分からない。レジーナの助けが無ければどうなっていたことやら。
ということは、この体から知識を引き出し言語を理解している訳では無い、といえるのだろうか?
言語理解は神の異能であって、知識を引き継いだのは、単純に以前の自分の体から? その割には、以前の人生の記憶さえ穴だらけだ。いつか記憶が戻るのだろうか?
異能については、もはやお手上げだ。
耐性を調べるために、改めて毒を飲む勇気などもちろん無いし、角刈りについては、それこそ試せば行きつく先は暗い牢屋だ。魔法はすでに封印することを心に誓っている。異能の発現条件も、一体あといくつこの身に生じるのかさえも不明。
結局は、有識者を探すしかないのだろうとの結論に至った。
最後に、これからについて。
協力してレジーナの位階をあげる。そして、西へ彼女を送り出すんだか、俺もついて行くんだか。
俺自身、さっぱりわからん。まぁしばらくは、仕事をこなすだけ。その時になったら考えようとは思う。
「入りますよ?」
ようやくノックの音がして店主が湯を運んで来た。
「ありがとうございます!」
店主は部屋の中心にタライを置くと、大きな桶に入れた大量の湯を3度運び入れ、あっという間に去って行った。
ムフフ。
久しぶりの熱いお湯。
実は、昨日レジーナと巡った帰りがけの市場にて、替えの下着とシャツを数枚、洗面用具も買い込んである。
服を脱ぎ全裸になって頭を洗い、上から順に湯を浴び、体をこすっていく。
「ふぁあああああああ! ……最高」
いつか湯舟がある宿で暮らしてみたい。それが俺のささやかな夢。
乾いたタオルで体を拭い、清潔なシャツに身を包む。
「よし、今日も頑張ろう」
あっという間に荷物をまとめ、部屋を出る支度が済んだ。
最後に、鏡の無いこの部屋で、身だしなみをチェックする。
「ヒゲ、無し! 鼻毛、……無し! ヤキイモ、……無し! 腹の中心に大穴、無し! 腹についてるポッケ、よし!」
今日も万事平常。
「さーて、行くかぁぁああああああああああああ!!? ポッケぇええええええええ!??」
まくったシャツの下。 ふさふさの短い毛の生えたポッケが腹にドン!
「なんじゃぁああああ!!? こりゃぁああああああああああああああ!!??」
◇◇
「あああうううあううあ」
全身をかきむしり、必死に記憶をたどる!
「なんでぇええ?」
飛び袋ネズミのソレと思しき腹のポッケ。
赤熊騒動のあとに水を浴びた時にはまだ無かった……はず。
「……馬鹿ダセぇ。……くぅうう」
これじゃぁ風呂にも行けなくなっちまった。
「チキショー! こんなバカでかいの付けやがって。 ……どうすんだよコレ」
恐々引っ張ってみたが、このポッケ、あまり伸びない。
「なんだよこれぇ。気味の悪い」
最悪だ。モテから百兆光年後退しやがった。
これ中どうなってんの?
恐る恐る手を入れたら、どこまでも入っていきそうで怖くなり引っ込める。
「……?」
試しに布袋から取り出したリンゴを入れてみたら、消えた。
「は? ……もしかしてこれ無限収納なの?」
リンゴを入れたはずのポケットは全く膨らんでおらず、中をのぞき込むとただ闇が広がっていた。
「糞ダサい代わりにすごい能力もらったんじゃ……」
市場で買った5個全てのリンゴをポケットに突っ込んだが、やはり限界は感じなかった。
「すげぇ! プラマイプラスかも!!!」
いきなり夢が広がりますなぁ!!
「……あれ?」
そしてポケットに手を突っ込んでリンゴを取り出そうとして、そのやり方が分からないことに気付いた。
全然だめじゃん。
「おぃいいいいいいいいいい!!! 中で腐ったらどうすんだよぉおおお!!!」
ちきしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!
◇◇
逆立ちしてもリンゴは落ちてこなかった。
「ああぁうぁあうぁああ」
猛烈に引き千切りたい衝動。
ポッケの異能って何だよぉ……。しかも一方通行。わしゃゴミ捨て場か。
こんなもんでどう生きろってんだ。ここに魔王をしまえってか? サイズの限界がリンゴのポッケに? 馬鹿にするにもほどがある。
神殿に乗り込んで、イタコ頼んだらあの
いくら払ったっていい。今すぐアンコが出るまでひっぱたいてやりたいんだが。
「切ったら外れるのか……? コレ」
ある朝目覚めた時、右手がサイ〇ガンだったらチョン切るか? 普通の人は切らずに元に戻そうとするだろう。いや、普通の人は手が手だ。
「はっ!」
つまりこいつを無くすには、切るんじゃなくて優秀な治療士の助けがいる?
治療師……?
「みっちゃん、助けてぇえ。 ……いったいどこにいるのぉお?」
◇◇
このまま海にでも行こうか。半ば本気で考えるネジの飛んだ頭を必死に整えて、俺はそれでも約束通り、保安官事務所にたどり着いた。
事務所の前には、すでに馬車の準備を終えたレジーナが立っていた。
その場で渡されたのは、シンプルな造りの片手剣とテンガロンハット。どこかに出かけて不在のボスコが、『アクセルに渡すように』とメモを残していたらしい。
それらを受け取った俺に、レジーナが告げたのが、本日の目的地のダニオス村。
ダニオス村には、記憶喪失のトーマスを診察した医師の、友人がいるんだとか。何故その医者から直接話を聞かないの? と、レジーナに尋ねたら、「医者はつい最近事故で死んだ」そうだ。
トーマスへの手がかりは、本当に僅かなもんだ。彼がこのまま逃げおおせてくれるのなら、それはそれで一向に構わないのだが……。
ダニオス村があるのは、昨日過ごしたカチンの森の更に奥。馬車で進めば昼前には着くとのこと。
それが、今朝の出来事。
◇◇◇◇
――そして手の中の薄いハムサンドウィッチを見る。
イッチよ。お前と、今の俺の状況はどこか似ている。
何かを期待され、己がからっけつの現状を繕ってそれでも進むこの道。
ボスコがよこしたずっしり重い財布の中身は、ほとんど
散々楽しんだはずの大双丘は、夢幻に飲まれ、その音声情報だけをもってして、神の雷をしとどに浴びた。
そして、ぬか喜びに終わった無限収納と、残された激ダサのポッケ。
一歩進んで二歩下がる。掘った穴をただ埋めるだけの労働みたいだ。この上ひかえる魔王と焼き芋。
いいんだ大地はそれでも丸い。真っ直ぐ下がれば、いつか目の前の幸せにたどり着く、……はず。
はぁ。
「……ん?」
なんとなく股に違和感を感じ、ボリボリと掻く。
「……えっ!?」
「えええええええ?」
金玉が、――増えてる!?
「嘘ぉお!! もうこれ以上いいってぇええ!!!」
あれ? 冷たい。
「なんだこれ」
よく見ると、金玉じゃなくハムだった。
キラキラとマスタードで輝く大量のハムが、股の間にこんもりこぼれていた。
「……ふふ」
サンド様よ。お前と、今の俺の状況はどこか似ている。幸せの青い鳥はすぐそばにいたんだ。
この馬車が進む先の先に、栄光が待っているかも知れないじゃぁないか! 道はどこまでもつながっているんだから。
「やっぱりハムサンドはセブンスに限るな」
何故ってハムが多い――。
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