第8話 角刈りか、死か
小川を上流にむかって辿った先に、放棄された薪割り小屋と思しき建物があった。
確かにこれなら迷いようが無い訳だ。
薪割り小屋の裏手には二頭立ての小型馬車が停めてあり、脱出を急ぐ我々は、荷物を積むなり走り出す。
そして、じゃんけんに負けた俺は御者席に座り、手綱を握っていた。
ハクニー種とみられる綺麗な黒毛の馬車ウマは、さすがの力強さで、でこぼこの勾配道さえものともせずスイスイ進んで行った。
じゃんけんに勝ったレジーナはと言えば、「あとはよろしく」と、言ったきり幌張りのカーゴの中に引っ込んで、荷物整理に勤しんでいる様子だった。
脱出のどさくさで失った矢筒や何かの道具が、ことさら高価なものだったらしく大げさに嘆く声が背後で聞こえたが、俺に何かしてやれる事も無いので聞き流す。
やがて静かになったカーゴを振り返ってのぞき込むと、彼女は荷物を抱えるような姿勢で居眠りしていた。
『あとで話を聞かせて』も『しばらく進んだら交代ね』という約束も果たされなかったが、相手は美女。それに加えてケガ人でもある。
今になってダンディーを自称する俺は、黙って手綱をプンプン振るった。
馬車は一路、森が切れた先の村を目指す。
緩やかに曲がりくねる道だが、馬が良く訓練されており半分居眠りしながらでさえ一定の速度を保って進む。まさに快適の一言に尽きる。
ぬかるむ荒地を抜け森の端に差し掛かると、ようやく起伏が無くなり、分かれ道が見えてきた。
程なくして事前にレジーナから聞いていた、目印である壊れた馬車の残骸を発見した。
「あそこを右か……」
遠目に確認したその目印の脇の、大きな樫の切り株に、人影があった。
「なんだぁ? ……山賊か?」
槍を持ち皮鎧を着こんだ2人の男が、道の端の草地に座り込んでいた。
こちらの接近に気付くと男達は、槍を構え横に並んで道を塞ぐように立ちふさがった。
大柄な黒髪の男が一歩前に出て大声で呼びかけてくる。
「止まれぇ!! パトロールだ! 馬車止めて降りてこい!! 荷検めだ!」
手綱を引いて馬の足を緩めながら考える。
男二人の不揃いの装備と、兵士というにはあまりに緩慢な動作。加えて、獲物を品定めするかのようなあからさまな視線の移動。ブーツは泥にまみれており、今まさに森から出てきた山賊といった様子だ。
「どうしよう。……突っ切るべきか?」
男の言葉をそのまま信じるほどのウブでも無ければ、黙って貧者に荷物を差し出すような慈善家でも無い。
レジーナに相談しようか一瞬悩んだが、事を構えるとなれば一人身であると思わせておいたほうがやりやすい。
今度は、後ろに控えた背の低い赤毛男の方が叫んだ。
「黙って指示に従え! 今すぐ全ての荷物を差し出すんだ!!」
男は、その手に自身の権限を示す羊皮紙を掲げて、馬車の前を塞いだ。
「ボルドー伯任命のパトロール隊?」
こいつらこのなりで役人か!? ボルドー伯ってのがここらの領主だとすると、公認での追いはぎとは、すげえ世の中だ。
自分の今の格好をあらためて見下ろす。
サンダル履きに、煤けた薄いチュニックを羽織った10代のガキ。
見様によらずとも逃亡奴隷そのものだ。
「いや。あの怪しいものではなくてですね」
さて、面倒なことになったもんだ。
まさか問答無用で襲い掛かるわけにもいかないし。
しかたなく馬車を下り、向こうを回って男たちに近づこうと歩き出したその時、ポケットの重みに気が付いた。
「ん?」
指先でつまむように取り出してみたところ、それは折り畳みナイフだった。
「こんな物いつ拾ったんだ?」
左手にそれを握りしめた瞬間だった。
――ドクン。
なんだ? 何かがおかしい。
始めに感じたのはわずかな違和感だった。
ドクン。
不意に響く鼓動とゆっくりと粘性を帯びる視界。
「この馬車は何を運んどるんだ?」
「お前このあたりの者では無いな? 怪しいやつめ、どこから来たんだ!」
目の前の男たちが矢継ぎ早に質問を重ねる。
ドクン!
目の前で大きな口を開け、わめく男達の言葉が急速に遠ざかっていく。
音の消えた世界で、俺の左手を指さしパントマイムの様に、身振り手振りで何かを訴える男のその姿さえ霞んでいく。
俺の目を奪ったのは男の髪だった。
「……?」
縮れてこんもり盛り上がった、黒髪の兵士の頭から目が離れない。
ふわっとしたチリ毛の頭髪。それが今この瞬間、あまりに不似合いに映る。
胸の中でその確信がゆっくりと増幅し、掻き出すように溢れ、左手の中のナイフを伝って体を這いあがって来た濃密な衝動が視界を黒く染めていく――。
「……刈りてえ」
それは剝き出しの果実。
男のチリ毛を透過して、そこに見えたのはカリッカリ! に刈り上げられた≪角刈り≫の幻影。
俺には、左手の中の刃がどう進めば、目の前の男の頭髪が≪角刈り≫に剥けるかが、今はっきりと見える。
バリカンなど不要。ただ俺の振るうナイフの刃が進む先に≪角刈り≫があり、刃の通った後には、ただ茫然と立ち尽くす≪角刈り男≫が存在するだけ、という完結した世界。
逃げ惑う男たちを一人ずつ順番に捕まえて、瞬時に刈りこみ大地への供物を撒き散らすだけの単純な作業。日を浴び、青くカリカリに輝くその姿を太陽に返す義務。
さながら≪角刈り三昧≫。
「あうあ」
ムラムラと湧き上がる、ふらちなチリ毛を角刈りにしてやりたい衝動。
いかんぞぉアクセル君。
これは目の前に突き付けられたボタンだ。押してはならない真っ赤なボタン。そこには指を引き込むだけの魔性がたっぷりとある。
深淵を見つめる時、深淵もまたこちらをのぞき込んでいると聞く。そう、ボタンとばっちり目が合ったあの感覚――。
アクセル君!それは絶対にいかんですぞぉ。
歯を食いしばり目をつむって衝動に耐える。ブルブル震える両の手。
そして目蓋を閉じてさえはっきりと見える、片道切符の男の角刈り道。
この道の地べたにはチリ毛が撒いてある――。
通り雨が過ぎていった王都劇場前の午後。観覧を終えたお忍びの王女が、お付きを一人従えて馬車に乗り込むその時。
足元には小さな水たまり。わずかに視線をさ迷わせ不安気に眉を歪めてドレスの裾をつまみ上げる王女。
たまたまその場を通りかかった俺は、その一瞬の逡巡を見て取って、「お足もとにお気を付けください」身にまとうサーコートを脱ぎ捨て、ためらいなく地面に広げて水たまりを覆うと、王女の片手を取って静かにエスコート。せず、その場に居合わせた通行人のマッチョを片っ端から捕まえて、バンバン角刈りに剥いていき、水たまりをチリ毛で埋めるどころか小山を作って一言。「涙橋の完成だぁ」
おみ足が濡れずに済んだ王女はニコニコ。会心の角刈りを4個得た俺はホクホク。
ウインウインの若者たちの恋の物語――
……くっ!!!! 幻影よ去れ!!!!!
「くそったれぇ!!!」
間違いない! これこそ異能だ。突如発現した異能。
すげえ異能が隠れていやがった!!!
尋常じゃない俺の様子を感じ取ったのか、目の前の男達は震えあがっていた。
背の低い方の赤毛男が悲鳴のような叫びをあげた。
「いいいいったいなんだ!? 聞こえてないのか? 早くそのナイフを捨てろっ!! こ……こここっちは完全武装だぞ!!!」
俺は頭痛をこらえ、荒い呼吸で左手を抑え込み、ふり絞った声で忠告した。
「……静かにしろ。後悔でのたうち回ることになるぞ」
そして片目でにらみつけた。
「ひいっ」と、短い悲鳴を上げて赤毛男が後ずさり、一拍の間を開けて踵を返すと、もはや振り返りもせずに逃げ出した。
うわあああと叫び、遠ざかっていく赤毛男の背中。
彼がその場に落としていった槍だけが、泥の中に転がっている。
そして取り残された黒チリ毛の男。
「じ……じ……じじ人狼け?」
涙を浮かべ、俺の鼻先に槍を突き出したまま固まっている。
てめえがその武器をこちらに突き込めば、俺も確実に抜くことになる。それは互いにとって損になる。
これは神の罠そのものだ。
震える声でチリ毛男がつぶやいた。
「俺に手を出せば、おめえは領主の兵に追われるんだ……」
「黙れ。お前のカドで指切るはめになるぞ」
俺は、腰を抜かしたようにぺたりとしゃがみ込んでしまった男の顔をまっすぐ見下ろした。
恐怖に支配され、うるんで歪んだ男の瞳の中に映った、ブルブル震える槍先の輪郭を、俺の右の人差し指がゆっくりとなぞっていく。
血の玉がぷくりと浮かぶ俺の指先。
そして眼前のその光景に重なるように、限界までエッジの立った≪黒角刈り≫のフチを、堪能するように人差し指でなぞっていく我が指の幻影を見た。
「今すぐ去れ!!!!! 俺が抑えているうちに!!!」
「ひいいいいいいい」
気迫に当てられたチリ毛男が、こちらに尻を向け、懸命に両手を使って泥の中を這うように逃げていく。
俺はその背に右手を伸ばし――
「うおおおあああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
俺は残った力を振り絞り、手の中のナイフを森に向かって放り投げた!
「はあはあ、はあはあ」
潮が引くように唐突に、俺の元を去っていく欲求。
ふううううううううううううううう
なんじゃ今のは!? ナイフのせいか!?
「魔剣角刈り、か?」
だとすればあまりに恐ろしい兵器ではある。
衝動が去ると不思議なもので、なぜあれほど思いつめていたのかがまったく分からなかった。
魔王はリーゼントにでも命を懸ける傑物なのか? だったらこの能力で世界平和に貢献できるかもしれないが……。
「ないないないない」
こんな異能があってたまるか。馬鹿馬鹿しい。
もはや、検問をしていた二人の男は去っていた。
「何よ急に大声出して?」
カーゴから顔だけ出したレジーナが、不審そうな表情で呼びかけてくる。
「こんな所に槍が落ちてたんだよ」
ここでは何も起きなかった。
「……? あぶないわね」
「ほんとだねー」
そういうことだ。
その後は、起きてきたレジーナと並んで御者席に腰かけ、森の先を目指した。
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