第21話 ピンチはピンチ。チャンスはチャンス。



 オーリュの花は、陽の当たる魔力だまりを探せば咲いてるんだとか。

 つまるところ、それは魔獣の餌場のどこか。


「って言われてもなぁ……」

 格好つけて出てきたものの、ほとんど運任せの探索。


 誰にも会わないように注意を払いながら、森を突き進む。


「あらためてすげえ体だな……」

 木々の向こう、遠くで活動する村人の位置がなんとなく分かった。 

 五感が馴染んできたのか、意識を向けると森の息吹さえみえそうな程。


 俺はひたすら真っすぐに。

 速度を落とさず静かに樹間を駆け抜け、しばらく進んだ先で、目印の川に行きついた。

 

 この川の向こうは全てボルドー伯の森――。


「さっさと見つけて帰ろう」

 膝まで冷たい川につかりながら、そのままジャブジャブ渡って行った。



 ◇◇



 森の奥へ進むほど魔力の密度が濃くなっていくのを感じた。

 それはわずかな変化だが、今の俺にははっきりと分かる。


「――む。……誰かいるな」


 それは木々の向こう、おおよそ50歩の距離から伝わる気配。


 こんな所で人に見つかるわけにはいかない。

「バレたら今度失うのは右手だろうな」


 直進はあきらめて右から迂回しようとして、その気配の主が戦闘を始めたのに気付いた。


 木々が折れる音。そして森がわずかに揺れる。慌ただしく飛び立つ鳥の動きと、暗い森の奥で反響する、押し殺したような甲高い叫び声。


「……どうやらピンチか?」

 この手のトラブルは、相手が美女だと相場が決まっている。


 ふむ。

「行ってみるか」


 やれやれ、仕方のねぇ美女だ。




 ◇◇


 下草に覆われた隆起の向こうで俺は目を疑う光景に出くわした。


 一本の大きなブナの木の下で、喉を鳴らし盛んに吠えだした1頭の赤熊。そしてその視線の先、中腹の木の股にしがみついた……タヌキ?


「ウォオオオオオン!! あっち行ってえぇえええ!!!!」


「タヌキがしゃべってらぁ……」

 オレンジのチョッキを着た、妙におっさん臭い雰囲気のタヌキが人語で悲鳴を上げている。


「……なんじゃぁそりゃ?」


 全身の毛がしけった葉っぱと土に汚れたその生き物。 

 進退窮まったおっさんダヌキが木に登って泣いていた。


「……そうか。困ってる美女はいないのか」


 ……そいつは良かった。ここに困ってる美女は居なかった。


「――はっ!」


 ゴウゴウと吠える赤熊に、俺は正気を取り戻す。


 タヌキの足元には、つい最近出会ったばかりの例の熊。

 こいつもなかなか大きな型だった。


「……助けがいりそうだな」


 一瞬で覚悟を決めると俺は静かに剣を抜く。


 やるか。


 そして背後から忍び寄り、赤熊が振り返るより早く背中に体当たりするようにして、一撃で肝臓を刺し貫いた。


「ガアアッ!!」

 

 確かな手ごたえ。


「グゴォオっ!」

 木の幹にぶつかり、くずおれながら力なく振り返ろうとする熊。


「ふんっ」


 今度こそ、噴き出す血を避け一瞬で離脱する。


「ゴウフッ」


 ドウ! と地響きを立てて崩れ落ちた赤熊。あたりに充満する熊の血が放つ悪臭。


 血振りをして再び剣を構えたが、獲物はわずかに身じろぎをしただけで、ほとんど瀕死のようだった。


 俺は逆光の陰でブルブル震える頭上のシルエットに声をかけた。

「おい! 降りて来れるか?」


「ひぇえい」

 タヌキはスルスルと木の幹を伝って地上に降りると、片時も熊から視線を切らずにトトトっと大回りに回り込んできてそのまま俺の太ももにしがみついた。


 おれのヘソ程の背丈のタヌキが叫ぶように、

「ひゃああ、ほんまおおきに! アンタ命の恩人やぁ!」


「……熊のトドメを頼めるか?」

 異能の発現を思い出し、可能な限りラストヒットは譲りたかった。


「ワシ、タヌキやで? そんなんよーできませんて」

 俺が差し出した剣を遠ざけ、プンプン手を振り拒むタヌキ。


 もたもたしている間に赤熊の瞳は黒く染まり、光を失っていた。


 ……まぁ、しょうがないか。



◇◇



 熊の死骸のそばは余りに匂いがひどく、呼吸するのも億劫であるため、避難した先の原っぱで、俺とタヌキが二人きり。


 目の前の、珍妙なこの世の住人に俺は尋ねた。

「……まさかお前も魔獣じゃないよな?」 


「魔獣ちゃうわ! 俺は渡りダヌキのモイモイや」

 心外だ! と、まるで喰って掛かるように弁明するタヌキ。


 渡りタヌキ? よくわからんが……。


「道に迷ってもーてやな、ほんまエライ目にあったわぁ」

 ありがとうなぁ、地獄に仏やで。とつぶやいたタヌキ。

 

 辺りに魔獣の気配無し。探索の障害となる脅威は、さっきの1頭で打ち止めのようだ。


 ふむ。……まぁいい、こちらの用事を早めに済ましておきたいし。


 さっそく命の恩人の特権を使わせてもらう。

「俺はアクセル。この辺で白い花探してるんだけど心当たりはないか?」


「なんやの? 白い花? ……オーリュの花ならそこらに生えたぁるがな。せやけどアンタ、バレたら大変やで。ここの領主は容赦ないで」

 仕草はいちいちおばさん臭いタヌキ。


「誰も見てないだろ。それとも誰かに言いつけるか?」

 どうかね? タヌキ君。


「っ!! かめへんよー。……そしたら俺も一緒に摘んだろかしら」

 ホホホと笑うタヌキ。


「そういう事ならあっちやで」と、短い手で示された方向に、俺はのこのこ付いて行く。



◇◇



「こんな熊の縄張りで何やってたんだ?」

 オレンジのチョッキに暗い色の半ズボン姿のタヌキ。魔物のうろつくこんな場所にエサがどうしてネギしょって歩いていたのやら。

 

「聞いてくれるかぁ、あんちゃん」 

 途端に潤むタヌキの瞳。何やら事情がありそうだ――。




 モイモイと名乗ったタヌキの言うことには、届け物をするために、イリオスの街に向かう途中だったんだとか。

 

 そして不幸は昨日の夕暮れ時、訪れた。

 カチンの森を移動のさなか、木々の中から突然現れた、斧を担いだ裸の変態に、ロバごと荷物奪われたんだとか。


 命からがら荷物を捨てて、走って走って行きついた森の端で、今度は訳の分からん二人組に最後の身ぐるみをはがされた。タヌキに残ったのは、着ていた服くらい。


 ペッコペコにされ、森で夜を明かし、放心状態で歩いていたら迷子になって、森で熊に出会って間一髪。


 タヌキは疲れ切った顔で、「ホンマ厄日やで」と締めくくった。


 ヨヨ。と泣くタヌキを俺は見つめる。


 素っ裸の風体に、担いだデカい斧。

 どっかで見たか聞いたかした変態に、その証言は酷似している。くしくも同じカチンの森での出来事。


 ふむ。

 

「俺のドンキーちゃんが、変態牧場に連れて行かれたんとちゃうやろか?」と、しきりにロバの身を案じるタヌキ。


「ほんま不憫やでぇ」と、明後日の空を見送るモイモイに、まさか笑う訳にもいかず俺は唇をかんだ。



◇◇



「――なぁモイモイ? ちなみにそのロバしゃべるの?」

 素朴ではあるが深刻な疑問。


 一瞬虚をつかれ、半ば呆れたように、

「なんでやねん。しゃべるロバなんておるかいな」と、タヌキ。


 俺の疑問をジョークと判断したタヌキは、ナハハ。と笑い、馴れ馴れしくもものあたりをペシペシ叩く。


 ……そっか。

 世界の謎はいよいよ深く、神の配材は地を歩く人の考えも及ばぬ地平の果て。

 ヤキイモ人間がいるんだから、しゃべるタヌキだろうが、素っ裸の原人だろが、チュパカブラだろうが、ツチノコだろうが、それぞれダースでいるんだろう。


 改めて思う。

 

 この世界で俺の知っていることなどのだと――。



 

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