第16話 月下美人
「第二作戦開始から1時間経過。施設内の敵対反応消滅。…作戦成功です!」
「流石エースってところかね。あーあ、自信無くしちまうぜまったく」
「馬鹿言え。被害も相当数出ている。喜ぶのはまだ早い」
ガーベラはしっかりとこの2人を守り抜いた。その間、404が内部を掃討、作戦は無事終了した。
「そんなこと言っても仕方ないだろ?お前さんもお疲れ。まさかただの企業にこんな防衛設備があるとは思わなかったよ」
「一足先に投資した甲斐がありました。必要無いという意見も沢山ありましたが、反対を押し切って正解でしたね…」
「先見の明、というやつだな。本当に助かったよ、影宮社長」
警戒態勢は解かれた。施設もすっかりボロボロになってしまったが、従業員への被害は最小限に留まった。
「さて…英雄の凱旋かな」
「フェリシー、大丈夫かー?」
「問題ない。そちらは?エーデルワイス隊長」
「照れるだろ。まぁ色々あったがオルヘイトは倒した。研究所は床が抜けて壊滅状態だけどな」
フェリシーが頭を抱えた。頭が痛くなるのはジンもそうだが、何より彼女にとっては研究成果の大半を失われることに等しい。きっと、学会やら何やらで発表するための資料の類もあったのだろう。
「オルヘイトが死んだとは思えない」
「不穏なこと言うなよ」
「彼女が何も対策をしていないはずがないだろう?何か…何か裏がある」
「心配性だな。腹ぶち抜かれて生きてるとは思えんぞ?」
「君たちが駆けつけてもなお、あの魔物達は統率を失うことなく、さながら軍隊のように我々を包囲していた。何か考えられることは?」
まさか生きているとでも言いたいのだろうか。ジンはこの目で見た。オルヘイトの肉体が砂のように崩れていくのを。
「別の幹部とか?」
「魔物の操縦権は彼女だけにあった。それくらいは調べれば分かる」
「AIに動かさせてたとか?」
「発信機やチップの類も見つからなかった。…いや待て、AIだと…!?」
フェリシーが形相を変え、口元に手を当てて考え込む。ちょうど、考える人の像のように。
「…新たな可能性が生まれた」
「早いな」
「先程まで私はオルヘイトは分身や入れ替わりの類の能力で生き延び、今回も逃亡したのだと判断していた。でないと『あの時』の事故から生き延びていたことに説明がつかない。だが…もし最初からオルヘイト本人はいないのだとしたら…」
フェリシーの顔が青ざめる。
「あいつの行動は妙な点が多い。俺目当てならこんなに遠回りなことをしなくても、いつだって攫えた。それに、わざわざ研究所の地下に隠れるのも意味がわからん」
「地下に何かある、と考えるのが妥当だろうな。9年前に彼女が手放してしまった何かが…」
影宮やガーベラはすっかり蚊帳の外だ。これは9年越しの因縁であり、彼女達には関係ない。そのため当然ではある。
「後処理は任せてもいいな?私達は一刻も早く研究所に戻らねばならん」
「えっ、ああ分かった。気を付けろよ」
「ご心配どうも。ジン、行くぞ」
……………………………………………………
帰りのヘリの中で、フェリシーはやはり落ち着きが無かった。
「おいフェリシー、どうしたんだよ?」
「最悪のケースを想定しているだけだ」
「ちなみにどんなの?」
時間も時間で、トネリコとニワトコ、紗夜は寝てしまった。マーガレットとルナリア、俺とフェリシーだけが起きている。
「オルヘイトをコピーしたAIによる大量の残機が存在し、君達が倒したのはダンジョン探索の新たな鍵であるアストラを襲撃するのが目的だった一体、ジンを攫ったのはクローン全体の共通目標。撤退しなかったのは、あくまで研究所の地下に残されていたのは実物が必要ではないもの、情報があればよいもの。つまりすでに手遅れという可能性…」
「考えても仕方ない。お前なら、どうにかしてくれるだろ?」
「…あぁ…」
フェリシーは弱々しくそう頷き、沈黙した。それ以降誰も口を開かなかった。あのマーガレットですら、この沈黙を破ることはなかった。
研究所に帰還し、地面が大きく抜けている中央を避けて端の部屋で皆就寝した。俺はフェリシーの部屋を訪れる。まだ明かりがついている。
「まだ考え事か」
「相手の目標が未だに確定していない。どっちつかずなんだ」
フェリシーの不安は大きく、重く彼女にのしかかる。
「オルヘイトは最終的に何を目指す?何が彼女のゴールだ?いったいどれだけの準備を進めてきたんだ?」
「フェリシー!」
フェリシーを止めさせる。これ以上考えるのはやめるべきだ。或いは、答えに辿り着きたく無いような気分だ。
「っ…!分かっている…だが相手は奴なんだ。私をして天才だと思わしめた女だ」
「…お前が一番恐れていることは?」
そう質問すると、フェリシーの揺れる瞳が僅かばかり落ち着いた。
「私は理解できないものに対して恐怖に似た感情を覚える。思考が停止してしまうのが恐ろしい。そんなところだろうか」
「俺は家族が不幸になるのが一番怖い。これ以上は言わせるな」
「…すまなかった。能力の酷使で脳が疲弊しているんだろう。今日の私の発言は全て妄言だと思ってくれ」
ようやく完全に落ち着いたか。珍しく余裕を失っているフェリシーはあまり見ていて気分のいいものでは無い。
「…だが可能性は存在することだけは念頭においてくれ」
「分かってる。今日はもう寝ろ」
いつもの白衣を脱ぎ、フェリシーはベッドに腰掛けた。どうやら白衣の下に寝巻きを着ていたようだ。柔肌を昔ながらのランプが優しく照らし、深い紺色の闇が彼女を儚く魅せる。
俺が首を傾げていると、不機嫌にベッドをぽんぽんと叩いた。隣に座れ、ということか。
「…はいはい」
まさかそれ程までに弱っていたとは。フェリシーの隣に腰掛けると、隙間を埋めるように彼女が身を寄せる。俺もすっかり成長して彼女の身長を越してしまったことを意識してしまった。本当に長い付き合いだ。それこそ、世界を初めて見た時から今に至るまで。
「今日は…一緒に寝てくれ」
「分かった」
そう言うと、彼女は横になった。俺も彼女に続く。香水とは違った、自然な花の匂いがする。
「横顔は変わらないな」
「お前も何も変わらないな。今何歳だ?」
「この世界に来たのは500年ほど前。それ以前の世界での暮らしなどあまり覚えていない。故に齢など分からん」
「ああ、認めんのね」
怪しんではいたが、やはりこの世界の住人では無かったか…今まではぐらかしてきたのに、こうもあっさり認めるとは…
「長命なのは昔から?」
「ああ、呪いだ。だから不老不死は私の能力ではないんだ」
「死にたいと思ったことは?」
「何度も。だが…この19年間は一度も無い」
その言葉が意味するところを分からないほど、俺は鈍感ではない。
「嬉しい限りで」
「最初は学術的な興味だけだった。まさかこの世界でホムンクルスを見ることができるとは思わななかったからな。それ以降は…知っての通りだ。君は人の心に訴えるのが上手だ。あの女がそういう風に育てた、という点を除いてもな」
「俺は俺自身のことを人間だと思っている。むしろ人間になろうって意思がある分、普通の人間より人間してると思う」
オルヘイトは俺を道具だと言った。だが実際は普通の子供と同じように俺を育てた。
「そこに関しては私も異論はない。…話していると眠くなってきたな…」
「寝た方がいい。明日も忙しいだろ」
「ん…そうだな」
「…っ…」
それまで隣に寝ているだけだったのに、急に距離を縮めて俺と密着するようになった。最低でも500歳以上の彼女だが、容姿は若人そのものだ。404のメンバーよりも大人びているように見えるが。まだ彼女達は俺より幾つか下だが、いずれ俺と同じようにフェリシーよりも歳上に見えるようになるのだろう。
まぁ何が言いたいか、興奮しないわけがない。オルヘイト以外なら、俺にだって欲の類が無いわけではない。
「鼓動が速いぞ。…君も緊張してくれるのだな…」
「まったく、顔と体は良いんだから…」
あえて自分の心が痛くなるような言葉を発してみても、おさまらないものもあるようだ。
「性格も最高だろう?」
「どうだかな…。なぁ、近すぎないか?」
これではまるで恋人…ああ、そういうことか。よく考えれば、404が俺に向ける愛情はあくまで家族に向ける愛情の類だ。なぜなら、実際に俺達は同じ場所で育った家族のようなものだから。
「君も意識してくれるんだな」
だが彼女はそうではない。彼女の愛情は恋人に向けるそれだ。おそらく彼女もそれを知っていたから、404に先を越されようとしても余裕そうだったのか。
「寝る、というのは二つの意味があるな」
「お前らしくないぞ」
「どっちだと思う?」
「一般的な意味だと思う」
「はぐらかしたな?私は…」
「…おい…!」
寝巻きすら脱ぎ、黒い質素な下着姿になる。
「そもそも私は睡眠を必要としないんだよ」
俺は今日、初めてフェリシーを1人の女だと認識したかもしれない。今まで、彼女はオルヘイトと同じように檻の外から見ていた人間だったという記憶に引っ張られ、憎くは無くとも僅かな、ほんの僅かな溝があった。
「無理矢理にはしないさ。ただ…君の意思一つで、今宵私は君の番となるだけだ」
その溝が、彼女に対する歪曲した視線を形作っていた。だがそれが無くなった今…
「さぁ…どうする。選択は君次第だ」
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