第22話 花束を君に

「こんな欠陥品が神?笑わせる」


「私は人の心の拠り所となるものを神と定義する。間違ってはいないだろう?」


価値観の相違か、あるいはもっと別の何か。やはり相容れないと感じた。


「お前一人の拠り所になったところで嬉しくはないな」


「何を、君は既に沢山の人の心の拠り所となっているじゃないか。まさか、心当たりが無いなんて言うつもりはないだろうね」


「あいつらは強い。もう俺が居なくたって生きていける」


それは事実というより、願望だった。だがやがてそうなる日が来ると信じている。


「なら、君が居ないと生きていけない私だけの神になっておくれよ」


「断る」


「なぜ?この者達を解放して、これ以上君たちの世界に干渉しないとしても駄目なのか?そのために来たのではないのか?」


「でもあいつらも一緒ってのは駄目なんだろ?」


「当然だ」


「なら駄目だね、あいつらに俺は必要ないかもしれないが、俺にはあいつらが必要だ」


捨てたのは俺なのに。一度温もりを捨てることはできた。だが、再びその暖かさを知ってしまった今、果たしてもう一度捨てることができるだろうか、いやできない。


「君、自分の言ってることがどれだけ支離滅裂か分かってるのかい?」


オルヘイトが嘲笑した。


「…最近、面倒になった時によく考えるんだ。期待してることのほとんどは実現しないが、恐れてることのほとんども起こりやしないってな。だから感情で動いたほうが気が楽なんだ」


「ハハッ、とうとう思考を放棄したか」


自分で口にしたからか、なんだか頭がすっきりした。おかげで押し合いも楽になった。


そもそも、俺は彼女によって造られたが、思考することを許されている。思考を許されるということは、思考を放棄することもまた許されている。


「自分で作った殺戮マシンに感情があるのがそんなに不服か?」


「結果から見れば確かに殺戮マシンだが、当初はそんな目的で作ってはいないさ」


「ならなんでこんな機能まで付けた?息子の代わりに愛でるだけならいらないだろ、こんな力」


「分からないだろう、我が子を失う辛さというものが。私だけが永遠に生き続け、代わりの子を見つけようとも、その子もまたいずれ死が訪れる。私は何度死別を繰り返す?何度苦しめばよいのだ?…なぜ…なぜ私だけが生き続けるのだ?なぜ私は子と共に生きることを許されない?」


その声には、確かな悲痛さがあった。オルヘイトが初めて俺に本心を曝け出したような気がした。欲望ではなく、願望を。


「今更被害者ヅラか?」


「ああそうさ、私は被害者だ。こんなにも悲しく、虚しい数多の世界を作り上げた何者か神様の被害者だ」


「俺はその神にはなり得ない」


「いいや、なれるさ。否、もうなってしまった」


オルヘイトが力無く、乾いた声で笑った。


「どういうことだ」


「なぜ私がこんなにも多くの能力者を造ったか分かるか?それは君の力を完成させるための鍵がまだ手に入っていなかったからだ。だが…はは、灯台下暗しとはこのこと。二番目に創り上げたあの失敗作がそうだったとはな」


こいつを今、ここで殺す。そうしなければならないと思った。多分、きっと後悔はしないだろう。


「長い遺言は嫌いだ」


彼女も俺も、互いに力を使い過ぎた。レールガンで仕留めるしかない。幸いスキルチップを埋め直したおかけで多少のリソースは残っている。


「時は満ちた。君の負けだ、エンバージュ」


何を…?


「今更新しい名前なんていらない」


「新しい?いいや、最初の名前だ」


その名前が、彼女の本当の息子の名前なのだろう。だが俺の知ったことではない。


「消えろ、クソッタレが」


トリガーを引いた。その瞬間、レールガンが爆発した。幸い弾丸は放たれ、オルヘイトの脇腹に命中した。


「ッ…!?」


「がはッ…!ふ…ふふふ…!初めまして。そして久しぶり。私の息子。私の神様」


自分の身に何が起きたか分からなかった。胸が熱く、体の隅々まで奇妙な感覚が突き抜けた。彼女の言う、『神』になってしまったのだと悟った。


「ア…ぐッ…!失せろ…失せろ!!」


……………………………………………………


『母さん…そう呼べばいいの?』


『彼女は危険すぎる。君のために言っているんだぞ』


『痛いよ…寒いよ…兄さん、兄さんはどこ?』


『自分の名前が気に入らないの?なら…ジン。氷雨ジン。ねぇジン、今日の雨、いつもより冷たくてかたいね。そろそろ雪が降るのかな?どうしたの?寒いのは嫌?大丈夫、冬が明けたら春になるんだから」


「ジンはさ、どんな大人になりたいの?」


君を救えない大人になんかなりたくない


……………………………………………………


「…消えろ…消えてくれ…!」


「苦しいのは一瞬だけだ。君がその記憶を受け入れた時、君は真の神となり、この世全てを支配する。そうしたらユイナにも逢えるぞ、ああ、私が本当の息子を取り戻した後でだがな」


「やめろ…!やめてくれ…!」


ジンはもはや正気を保っていられなかった。どれだけ折れそうになっても耐えてきた苦しみが、一挙に押し寄せて彼の心を蝕んだ。


「見ろ。ここも崩れていく。君がそう望んだからだ。もはやこの世全ては君のもの。何を迷う?好きにするといいさ、文字通り、何だってできるのだから」


彼女に会いたい、そう願った。彼女が目の前に現れた。


「ユイナ…?君なのか?」


「ゆっくりやるといい、邪魔はしないさ」


オルヘイトも口から血を吐いて壁にもたれている。


「可哀想なジン。いつも一人で抱え込んで…」


「違う、そうしないといけないんだ!」


「逃げてもいいんだよ」


目からは涙が溢れている。一度涙を流した時、枷が外れて抑えることができなかった。


「逃げたさ…!でも…逃げてもどうにもならなかったのさ…!」


その彼女が本物なのか、それとも自分が作り出した偽物なのか。それすら分からなかった。ただ、彼女はそこにいた。


「そうね。過去は影のように人の後ろを着いて回るもの。未来には光があって、過去には光が無いと思うから。だから過去を振り返った時はいつも暗い思い出ばかり」


「後悔してるんだ、あの日、君と二人で逃げ出さなかったことを!」


「それは後悔するべきことじゃない。私を選ぶか、みんなを選ぶか。あなたはみんなを選んであげた。だから彼女達は今、とても幸せなのよ」


「みんな僕のせいで不幸になる!」


「そうね、ならその分、幸せにしてあげたら?」


「僕にはできない…分かるんだ。こんなバケモノになってしまった僕には、みんなを幸せにしてやることなんてできやしないって」


ユイナは黙り込んだが、すぐに口を開いた。


「…ねぇ、約束…覚えてる?」


「この力は封印するって約束?もう破ってしまったさ…僕は約束一つ守れなかった」


「違う、その約束じゃないの。…『私も泣かないから、君も幸せになって』…忘れてしまうくらい辛かったのね」


ユイナの言葉は胸に染み込むようで、確かに温もりを感じた。


「この約束だけは…守ってくれる?」


「…ああ」


「ふふ、ならもう私は必要ないわね。あなたは完璧だから、私がいなくても立ち上がれるはずよ。ね?私の神様」


「…待ってくれ!」


…彼女が消えてしまう前に。


「なぁに?」


「…今更だが…確かに君のことを愛していた」


俺が彼女の死を受け入れられなったのは、自分の想いを彼女に伝えることができなかったからだ。こんなバレバレの気持ちでも、はっきりと伝えられなかったのだ。


「私は今でも愛しているわ。それじゃあ、今度こそさようなら。向こうで待ってるけど、あんまり早く来ちゃ駄目だよ?」


「ありがとう、僕の愛する人。さようなら、俺の愛した人」


これで俺はもう迷うことも、思い出すこともしない。ずっと心残りで、俺の心に深く根を下ろしたそれは消え去った。


「素晴らしい、劇的な別れじゃないか!」


大げさな拍手をし、俺をせせら笑っている。


「お前…」


「ああ、殺してみろ。前と同じだがな。だが一つ、この空間はもう君のいた世界から離れ始めている。神の力とはいえ、もう戻ることはできまい。君はここから出られないのさ。私は君に何もできないし、君は私に何かしたところで何も変わらない。死体同然の私を欲望の赴くままに無茶苦茶にしてみるかい?」


薄々勘付いてはいた。明らかに人工的なダンジョン、オルヘイトが操っているに違いないと。だからアイツらを連れてくるわけにはいかなかった。


…だが、ガーベラとアナガリスを助けるという本来の目的も果たされなかった。結局、俺はただ俺自身の未練から解放されただけで、奴の術中にはまったことに変わりない。


「俺の気力の限界まで…お前を殺し尽くしてやるとするか」


銃を構えて、息を吸った瞬間だった…


『魅力的な提案ですが、私のことをお忘れになったのですか?』


「紗夜!?来るなバカ!」


「馬鹿とは失礼な。無策ではありませんよ」


そうか…ただ一人、ここに辿り着ける奴がいた。だがここに来てなんだというのだ。


「空間に穴を作ります。一瞬ですので脱出はお早めに」


「お前…自分以外に使えるのか?」


「お兄様が応援してくだされば」


紗夜は俺に満面の笑みを向けた。まったく、本当に…


「助けたい奴が二人いる。一人背負うから、お前もいけるか?」


「ええ。…ですが彼女は…」


「もう息がない」


オルヘイトは血まみれになって壁に力無く倒れている。だが彼女であって彼女でない何かが、どこかにいるのだろう。


「準備はできましたか?」


「ああ」


「3…2…1…今です!」


刀で切り裂いた空間に飛び込んだ。不思議な感覚だ。前後左右全てが存在しないようで、どれだけ進んでも何も見えない。ただ紗夜の手の感触だけは分かる。彼女が導いてくれるはずだ。


…しかし、次第に意識が薄れていく。何も考えられなくなって…




「…お兄様!お兄様!」


「ッはぁ…!はぁ…!生きてるよな、俺」


「ええ」


研究室ということもあって、さっきの世界と違いが分からないが、あの重たい空気はすっかり無くなっていた。


「無茶な作戦だったが、成功したな」


「フェリシー…」


「憂いは消えたと見える」


まだ補修が完全には終わっていない研究室で、彼女は洗いもしないカップを何個も空にしていた。


「みんなは?」


「君より先に帰還した。ちょうどその時だったな。『扉』が閉じて、君が帰ることができなくなった。しかしアイビーが救助に行って、無事成功させた。これで分かるか?」


「これ以上無いほど簡潔な説明だ」


「色々言いたいことはあるが、まずは労ってやらねばな。任務、ご苦労様」


「へっ…ただの仕事だろ?」


不思議と気分が晴れやかだった。あの時、この世全ての悲しみと苦しみを味わったような、最低な気分だったのに。


「…もう力を抑えておく必要は無いのか?」


「力?」


紗夜が不思議そうな顔をした。それもそのはず、今事情を知っているのはフェリシーと俺、あとは怪しいラインだと会長くらいだからだ。


「彼はな、人でも機械でもホムンクルスでもない。オルヘイトによって造られた神だ」


「神だなんだのって、大袈裟なんだがな。世界の全てを操れる程度だよ」


「…冗談は受け流すとして、どんな窮地だろうとその力を解放することは無かったわけだが…」


「相手がオルヘイトなんだ、少しは許してくれよ」


「それは私ではなくユイナに言え」


「もう居ねーよ。はは…」


「あの…!お兄様!」


「どうした?」


「私では…足りませんか?」


「??」


紗夜は顔を赤くしている。なんだ?何かまずいことでも言ったか…?


「アイビー君はな、あのバンシーの一件を知ってからずっと悩んでいたんだ。君の心に空いた穴を、どうにかして埋められないのか、自分という存在では埋めてやれないのか、とね。でもまぁ、今回ばかりは君を鈍感野郎と罵ったりはしないさ。現に彼女はうまく隠し通したわけだからな」


「その…彼女のことを思い出している時のお兄様の顔が…あまりにも寂しくて、悲しくて…」


「なんだ、そういうことか」


まったく、俺のプライバシーとか恋愛観とかは配慮してくれないのに、変なところに気を遣って…


「もうすっかり、お前らで埋まってるよ」


「えへへ…」


「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」


「いやお前はデレんな、お前がデレてるのは気持ち悪い」


「私が羞恥心を押し殺してデレたんだぞ、ほら、撫でろよ」


「ったく…配慮も遠慮も無いやつらだ」


二人の頭を撫でた。今更ながら何をやっているのだろう。とりあえず考えるのはやめることにする。


「ああそうだ。9年越しに言い忘れていたことを思い出したよ」


「なんだ?」





「エーデルワイスの花言葉は…大切な思い出、だ」










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