第10話 大切な人



「っ…何なんだよこいつ…今までの奴らとは違う…!」


あのバンシーが巨人に何か細工をしているのだろうか、何度も倒してきた巨人とは違い、動きも速く反応速度も尋常ではない。


「落ち着け。速いが単調な動きだ」


「キリがないです…!ずっとこっちばかり…!」


アイツには明確に知性がある。この四人の中で、己に最も痛手を負わせられるのが紗夜であることを理解している。紗夜が大技を繰り出す暇はない…


「十中八九あのバンシーのせいだな。だが何故檻に…」


「チッ…フェリシー、何か策は?」


通信機越しにフェリシーに聞く。しかしどういうわけか応答しない。


「…?おいフェリシー、そっちが常に受信できるようにしとけって言ったんだろ?おいフェリシー?…ったく、紗夜!フェリシーに連絡できるか?」


「ダメです!繋がりません!通信は安定してるはずなんですが…!」


「こういう時にサボってんじゃねぇよ…おいジン!撤退するぞ!」


ガーベラが一歩後退りする。その瞬間、檻の中のバンシーが悲鳴のような叫び声をあげる。


「っ!待てガーベラ!!止まれ!」


「!…危なかった…サンキュージン、忘れるところだったぜ」


バンシーの標的になったら最後、どちらかが果てるまで地獄の鬼ごっこが始まる。この場合、この部屋から出るとバンシーの逆鱗に触れるのだろう。


「厄介だね…デカブツも結構硬いし…ねぇジン、そのレールガンぶっ放せないの?」


「フェリシーからは止められてるが…緊急事態だ、やってみる」


持ち方を変え、レールガンを構える。しっかり狙わなくても、あの巨体なら外さない。


引鉄を引く。問題なく弾は発射された。


「嫌な予感…」


「…薄々気が付いてたが…いややっぱりおかしいだろ」


デカブツは心臓が貫かれても余裕で生きている。正直信じたくないが、このダンジョンの異質さというか、違和感には気付いていたのですんなりと受け入れてしまった。


「あのバンシーからやるか」


俺はレールガンを持ち直し、デカブツの足を縫うように避けて檻に辿り着く。檻の隙間からブレードを刺そうとするが、何かにつっかえているように刃が通らない。


「ちっ…そう甘くはないか」


『ジ…ン…?』


「ッ!?」


喋った…?バンシーは叫び声以外発さないはずだ。なら今のは幻聴?


『おか、え、り』


幻聴ではない。確かにバンシーの口が動いている。しかし何故?名前はガーベラやローズマリーが呼んでいたのを聞いたからだと思えば納得はできるが、まるで俺のことを知っているかのようではないか。


「おいジン!!よそ見すんな!!」


「なっ…!くっ…!」


バンシーに気を取られているうちにデカブツに近寄られ、横腹にキツいのをもらった。壁に突き飛ばされ、数秒息ができなかった。


「がはッ…!!い、今だ紗夜!やれ…!!」


我ながら、的確な指示だったと思う。しかし、このデカブツはそれすら想定内のようで、俺に追撃することなく紗夜を押さえに行った。


「あっ…」


怪力に紗夜の刀が弾き飛ばされた。絶対絶命、二人が魔弾で相手するもひるみすらしない。


「くっ…!」


振り上げられた斧を見て、紗夜が目を閉じた。しかし、振り下ろされると思った瞬間、凄まじい轟音が鳴り響き、何かが飛来してデカブツをよろめかせた。


「間に合った〜、英雄参上〜ってね」


「マーガレット!ナイスだ!」


「私もいるよ」


ダンジョンの雰囲気をぶち壊す重厚な戦車。超重戦車こと、VIII号戦車マウスをベースにした魔改造品。そのキューポラから顔を覗かせるニコとマーガレット。時間的にも、あの狭い道以外のルートを探していたのだろう。


「祝福儀礼の焼夷弾は痛かろう〜…ってあれ、あんまり効いてない?」


「ん、なら後は私の役目」


かなりの高さだが、ニコは器用にひょいと飛び降り、燃えてよろめいているデカブツに近寄った。


「どんなに硬くても、私の前には紙切れ同然」


視界が潰れているうちに背後の回り込み、その大きな膝裏に触れ、すぐさま回避行動にシフト。手際がいい。


「これで役目は終わり」


「サンキューニコ。後でご褒美だ」


「わーい」


そう言ってぴょんと跳ね、マウスの中に戻っていった。…これで倒せる。ニワトコの能力である弱点付与。ありとあらゆる防御を無効化した点の付与であり、その部位は再生不可あるいは再生の遅延が行われる。焼夷弾の燃焼だけでも相当なダメージが入っているはずだ。


「あの光ってるところに撃てばいいんだね?」


「ああ、やってくれローズマリー」


「オッケー」


ローズマリーが弓を構え、射る。放たれた矢はニワトコの触れた点に命中し、深く突き刺さる。巨人が倒れ込む。


「やれ、紗夜」


「了解」


紗夜が刀をを抜き、その太い首を断ち切る。実際には断ち切った空間の収束で首が取れた。流石に首が無ければ動かないだろう。


「ふぅ…助かったよ二人とも。間に合ってよかった。紗夜もお疲れ様」


「ねぇ隊長、あのバンシーは?」


「ああ…こっちで片付ける。先に帰っててくれないか?ガーベラとローズマリーもだ」


「え?だが…」


「大丈夫、アイツのターゲットは俺らしいからな。それに檻から出られないみたいだ」


「ならいいか。よし!おーいマーガレット!俺もその戦車乗せてくれよー!」


ガーベラは特に気にせず、ローズマリーはやや心配そうな顔をしたがすぐに場を去った。超重戦車の重いエンジン音も遠のいていく。


「さて…どうすっかな…」


天井と檻を繋ぐ鎖は先程の砲撃で切れているようだ。


『ジ…ン…?』


檻の中を見つめる。果たして解放していいのか…


「お前は誰だ?俺のことを知ってるのか?」


檻にそっと触れる。


「っ…!これ、魔力じゃなくて神秘の力なのか…!?」


だからあの時ブレードが通らなかったのか。


「ねェ、私ノこと、覚えてル?」


それまでとは違う。カタコトだがはっきりと人語だと理解できる。


「お前…人間なのか!?」


「何ヲ、言っているの?私は、あなたの、恋人、だよ?」


だんだんと流暢になっていく。それと同時に、言葉に感情が乗せられていく。


「そっちこそ何言ってんだ。俺に恋人なんていたこと無いぞ」


「嘘つき。それに浮気までしてる。私のこと、幸せにしてくれるって言ってたのに」


「誰かと間違えてるんじゃないか?」


「酷い!酷い酷い酷い酷い!!!」


「っ……!誰なんだよお前は!!」


つい感情的になってしまったが、本当にバンシーの知り合いなどいないのだ。そもそもいるはずがない。相手は魔物なのだから。


「名前…思い出せないの…でも、あなたの名前だけは覚えているの。氷雨ジン…私の大切な人。私があなたに名付けたの」


「は…!?おい、まさかお前…いや君は…!」


俺に名前を付けた少女…?まさか、彼女は人間だ。バンシーじゃない。


「…ユイナ…なのか…?」


自分の記憶に残っていないはずの名前が口をついて出てきた。ユイナ…そんな名前だったはずだ。


「そう…!あなたがくれた名前!」


ようやくバンシーが顔を見せた。普通、溶けた蝋燭のように爛れ、醜い顔であるはずなのに、彼女は普通の人間の顔だ。涙が頬を伝い、ポタポタと落ちる。


「なんで…ここに…」


俺の頬にも涙が伝う。涙を流すのはいつぶりか、あるいは、感情がこんなにも揺さぶられたのはいつぶりか。


「ずっと…暗い海を彷徨っていたの…あなたのいない夜を…」


「どうやったら檻から出られる?」


とても大切な人、彼女に触れたい、抱きしめたい。生まれてから前所長が失踪するまでの10年間、共に特別な存在であり続けた唯一無二の人。それがいま目の前にいる。


「神秘を捨て去ると誓って?そうすればこの檻も消えて、私たちは一つになれる」


「神秘を…捨てる…?」


頭ではダメだとわかっている。そんなことをすれば俺の体はどうなるか分からない。バケモノになるか、死ぬか…だが、心は麻痺していた。


「…分かった」


「うふふ、ありがとう」


ああ、彼女の笑顔だ。9年前まで、ずっとその笑顔に救われていた。


「手を伸ばして。そうすればあなたの神秘は消えて、一つになれる」


「ああ…」


檻に手を伸ばした。彼女も檻の中から手を伸ばす。


「そこまでだ。…まったく、こんな子供騙しまで…」


背後からの声。そこにいたのはフェリシーだった。


「フェリシー!どうしてこ…え…?」


手に持っているのは拳銃だ。しかし、一目見て分かる。銃口から魔力か漏れ出ている。フェリシーは何も言わず、檻の中にそれを向けて引鉄を引いた。咄嗟にユイナを庇うが、魔力と神秘は打ち消しあって、俺の腹を貫いて背後のユイナに命中してしまった。


「がッ…!フェリシー…!どうして…!!」


フェリシーがこちらに歩み寄り、袖で俺の顔を覆う。甘い香りが鼻に入り、急激な眠気に襲われる。


「…しばらく休んでいろ」


最後にその言葉が聞こえた。










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