第19話 もう一つの過去
「あーいってぇ…何も殴ることはないだろ?」
「マーガレットを見ていて気付いたんです。覚えるには、体に刻み込むのが一番だと」
ああ恐ろしい恐ろしい。
「お前は自傷なんてやめろよ?」
「あら、心配してくださるんですか?」
マーガレットの自傷行為は俺へのアピールだけではなく、本人の趣味でもある。再生する体をこれ以上ないほどに悪用した趣味だ。
「ああ心配してるとも。だからやめろよ?」
「隊長が私をもっと構ってくれるなら」
「はいはい…。…っ!周囲に魔物の反応を検知。404小隊各員、戦闘配置につけ!」
スキルチップの警告表示も随分久しぶりに感じる。俺がこのHUD関連が嫌いなのは、現実味が無くなってしまわないか心配だからだ。
とはいえ便利なものは便利だ。
「…向こうの扉でしょうか?」
「そうみたいだな…動きは少ない、いやほとんど無いが…この感じ…人間か…?」
チップに備わっている能力だけでは断定はできない。
「こちら404-α、交戦を開始する」
扉の横に俺とルナリアが付き、正面をトネリコに任せる。
『こちら404-β、りょうかーい』
無線機越しに聞こえてくるどこか腑抜けたマーガレットの声を最後に、沈黙が訪れた。
Vice-94を構え、トネリコにハンドサインを送る。
眩い光を放つ槍を扉に投げつけ、それが突き破って中に入っていくのを見ると、俺は部屋に突入した。生憎、中距離が二人と遠距離が一人、最悪の場合には中距離と遠距離がそれぞれ一人ずつ近距離にジョブチェンジできるが、どちらにせよミドルレンジでの戦いになるだろう。そのため俺が真っ先に突入することでチームの連携をとりやすくする。
「良い策を練るにはどうするか?それは簡単なことだ。悪い策とは何かを考え、常にリスクを排除し続ける。君もそう思うだろう?」
やはり人間…だがオルヘイトではない。誰だ?俺を知っている人物…暗闇でよく見えない。
「久しいね。9年ぶりかな」
明かりが点き、その女の顔を照らす。深い紫色の瞳と髪…乱雑に機械や資料の散らばったデスクに座りこんでいる人物に、見覚えがあった。
「A-004…!?お前…生きて…!」
「おや、そんな名もあったね。ならこうしよう、久しぶり、A-
懐かしい気持ちと、彼女も生きていたという喜びで胸がいっぱいだった。
「見ての通りだ!また会えて嬉しいよエレモフィラ!」
クールビューティーな青年のような雰囲気を纏う少女だ。何も変わっていない。さらに少し大人っぽくなっただろうか。
「ああ、私もさトリプルオー。失礼、今はエーデルワイスだったね」
「どっちだって構わないさ!元気か?あの一件からどうやって生き残ったんだ?僕のこと…許してくれるかい?」
自分が背負う彼女への罪業を一秒でも忘れていたことが酷く悲しい。そして申し訳なく感じる。
「ああ許すさ。ところで後ろの子達は…」
「ルナリアとトネリコだよ、覚えてないのかい?」
「うん…?んー…すまない、さっぱりだ」
「え……?」
覚えていないだと?あんなにも苦楽を共にした仲なのに?俺のことは覚えているのに、彼女達のことは覚えていないだと?
「隊長、その女から離れた方がよろしいかと」
「嫉妬かい?私と彼の仲を引き裂くのはやめてくれないかな。誰だか知らないけれど」
「本当に覚えてないのか?同じ
「隊長、最後の警告です。その女から離れて」
途端にルナリアが杖を向けた。もの凄い剣幕だ。あんなに怒ったルナリアを見たことはない。それがただの嫉妬などではないことなどすぐに分かった。
「まてルナリア!お前も覚えてないのか!エレモフィラだぞ!?俺達の家族だ!」
「違う!いいから離れて!!!」
「駄目だ!話し合えば分かるだろ!?」
なんだ…?何故こんな状況に…?
「お嬢さん、落ち着いてくれないかな。私は確かにこのダンジョンの管理を任されているが、決して誰かを傷つけようだなんて考えは無い。好きに探索するといいさ、私はただ家族との再会を喜んでいるだけなんだ」
「待ってくれエレモフィラ、君がこのダンジョンの管理をしてるのか?任されてるって誰から?」
「?私達の『お母様』以外にありえるか?」
「ッ…!」
「やはり殺さねばッ!!」
杖を捨てて駆け出したルナリアを止めることができなかった。手が塞がっているからだ。大腿のホルスターからナイフを抜いたルナリアが突進する。
「待てルナリア!!」
俺の声は彼女に届かない…もはや間に合わない…
「はぁ…闘牛士じゃないんだけどな…」
パチン、と指の音が鳴ったかと思うと、ルナリアがそのまま後方に引っ張られるように吹き飛んだ。いや、まるで落ちていくかのようだ。
「部外者はご退場願おうか」
そのまま室外まで飛ばされ、扉が閉まる。
「今の…」
「重力…不思議なものだね。流石に世界全体の重力を操ることなんてできやしない。ましてや、本当に重力を操っているのかなんて確かめようが無い。ただ力強く引っ張っているだけかもしれない。でもそんなことはどうでもいい。そうだろう?」
今のエレモフィラからはわずかに敵意を感じる。一触即発というわけではないが、言葉を誤ればこのまま…
「…二人でないと話せないことでもあるのかい?」
「どうかな。私はお母様からの命令を守っているだけだ。だが君だけならここに居てもいい、そう思った」
やはりオルヘイトの手下…洗脳か、あるいは本当に服従したか…
「一つ質問させてくれ。…ユイナは知っているか?」
「?…誰だ?」
「…そうかい…なら死んでくれ」
彼女はもう俺の知っているエレモフィラではない。今度は騙されない。
「残念だよ、君と戦うことになるなんて」
「死人に口無し。やっぱりオルヘイトはそういう奴なんだな。俺の記憶を揺さぶれば、何か変わると思ってやがる」
残念なのは俺もだ。まさか、ガワだけとは言っても、自分の手で家族を殺すことになるなんて…
「君らしくない。少し荒れてるかな」
「ああ、今俺はあんまり冷静じゃない。だからさっさと化けの皮を剥いだ方がいい」
「本当に残念だ。この瞳を見ても、私が嘘をついているように見えるかい」
「いいや、見えない。だが…お前は自分のことをエレモフィラだと思い込んでるだけの劣化コピーだ。オルヘイトの仕業だろ。作り物ならもう一度作れるからな。それに…」
銃口を彼女に向ける。その指に迷いはない。
「…お前も俺の目の前で死んだじゃないか」
バンシーの件があったというのに、俺はいまだに淡く愚かな希望を抱いていたようだ。目の前で死んだ人間を、もしかしたら生きていたかもなんて期待していた。だがもう、これで完全に捨て去れる。やはり死者は死者だ。それ以上の存在にはなれない。
「それでも私はエレモフィラだ」
その言葉を聞くか聞かないかのうちに、俺は引鉄を引いた。二発の弾丸が放たれる。しかし、命中はしていない。風船が強風に流されるように、軌道が逸れて壁に命中した。
「無謀だね。全力で…固有能力を使わずに私とやり合うだなんて…君の力はその能力に頼らずとも最強であることに変わりはないけれど、いくらなんでも相性というものがある」
続けて発泡するが、どれも結果は同じ。彼女に弾は当たらない。
「どれだけ巨大な大樹も、マッチ一本で燃え尽きる。無駄だと思うよ」
「そうは思わないな。前のお前なら、とっくに俺は押し潰されてた。それがどうだ、今は精々弾丸を逸らす程度だ」
「…随分と長く寝ていたみたいでね。使い方なんてすっかり忘れてしまった」
試すように瓦礫を裁断しては圧縮し、こちらに飛ばしてくる。同じ物体に対しても別の方向から力を加えられるようだ。
「品のない戦い方になったもんだな。顔が引き攣ってるし、冷や汗出てんぞ」
「…知らない感覚だ。命が終わっていくのを目の前にしているような、蝋燭が徐々に消えていくような、まるで最後の花弁が風に揺られているような…とても不思議な感覚だ」
能力の使い方を忘れているのは不幸中の幸いか。でなければ今頃俺は本当に死んでいたかもしれない。
「オルヘイトなんかの傀儡になるな。お前はいいように使われてるだけだ。どうやったのかは知らんが、お前はエレモフィラの記憶と能力を持っただけの人形に過ぎない。だから俺はお前じゃなくてエレモフィラに話しかける。こんなことは止めろ。仮に奴の目的が達成されたとしても、君はもう君に戻れやしない。君は死んだんだ。それを一番理解しているのは君だろう?」
…そう、俺の目の前にいるのは旧友の見た目をし、記憶を受け継いだだけの別人。エレモフィラは死んだ。甘い希望なんかをいつまでも抱き続けているから、こうやってオルヘイトにつけ込まれるんだ。過去を振り返ってはならない。
「何を言っている?私は私だ。でなければこの胸の奥から込み上げてくる感情はきっと存在し得ない」
「分かるよ。君が悲しんでいるなんて、僕だって悲しい。…だがここで終止符を打たなきゃ、俺とお前も、もっと悲しくなるだけだ」
銃を下げ、深く息を吸う…
「悪いユイナ…約束、破っちまわないといけないみたいだ」
「何を……っ…術が…解けて…」
エレモフィラの能力が無効化されたからか、少し体が軽くなった。彼女の目には全てを察したような諦観が浮かんでいた。
「これが、君が原点にして頂点たる理由か」
砂像に水をかけたように、エレモフィラの体が溶けていく…ずっと封印してきた、俺ですらこれが何なのか知り得ない禁忌の神業…それが俺に与えられた本来の力だった。
「おやすみ、エレモフィラ」
ただ一つ分かるのは、この能力なら彼女を傷つけずに、安らかに送ってやれるということ。
「…おやすみ、兄さん」
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