第12話 狂愛

エンバージュ計画…確かそんな名前だった。所長のコードネームは何だったか…そう、オルヘイト。マッドサイエンティスト、とも呼ばれていたはずだ。ダンジョン探索の道具として作られた人工的な能力者…幾千幾万の失敗を経て、基準を満たした『A』ランクを冠したのは俺を含めて10人。


A-000エーデルワイス、A-002ルナリア。

A-003アイビー、A-005マーガレット。

A-007&A-008トネリコ&ニワトコ。


Aランクの生き残りは上記六名。本来なら今俺たちと同じように、ダンジョン探索者として活動するはずだった4人は『出荷』を迎える前に死んだ。


B-542アイツは廃棄される予定だった失敗作。プロトタイプとして実戦に配備される予定が無かった俺と、後一歩能力が足りなかったアイツ。どちらが恵まれていたかは一目瞭然。だがアイツもまだマシな方だ。人間の形を保っていなかった失敗作がほとんどだからだ。


「たかがモンスター化したくらいでお前と俺との性能差が埋まると思ってたのか?甘いんだよ失敗作。さっさと吐けよ、誰に命令された?どこから来た?そしてなぜ生きている?」


奴が俺の動きを知っているのと同じで、俺も奴の動きの癖を知っている。ならば結果も一目瞭然。俺が負けるはずが無かった。


「お前は、確かに…あの、人に…愛されて、いた。だから、強かった。だが…」


「あ?もっとハキハキ喋れよ、お前に割いてる時間があると思ってるのか?」


こいつを許せない理由は単純。自分が落ちこぼれだからと嫉妬して、俺の家族Aランク達に牙を向けたからだ。はっきり言って、こいつが失敗作だったのは気味が良かった。


「…だが、一つ、忘れている」


「忘れてる?お前と俺の実力差を忘れて無謀にも挑んできたアホに言われたくないね」


醜い姿だ。スケルトンそのものの怪物。壁にもたれる様はさながら死体だ。


「…あの人は、今でも…お前に執着している、ということだ」


「はっ、歪な愛を語らせたらオルヘイトを超える奴はいないだろうな」


そろそろこの骸骨も見飽きた。トドメを差そう。


「その通り。君への愛を語らせたら私の右に出る者はいない」


「…は…?」


この声、この匂い…知っている。知らないはずがない。振り返りたくない、だがしかし…


「やぁ、久しぶりだね。愛しの我が子」


「ッ…!」


…この感覚を久しぶりに味わった。自分よりも力は弱いはずなのに、抵抗する気を全く起こさせない、威圧感に似たなにか…


脳内を巡る負の記憶を確認する時間すらなく、俺はどこからか伸びてきた鎖に四肢を捕らえられた。


「なっ…やられたか…!」


「お疲れ様。えーと…なんだったかな、そうそう、B-542。もう君の役目は終わりだ。時間稼ぎご苦労、もう逝っていいよ」


B-542が音もなく倒れた。今度こそ本当に死んだ。いやそんなことはどうでもいい。問題はこの状況…鎖からは魔力が伝わってくる。こちらの神秘が打ち消されていく。


「ああ何と愛しいことか…また君に会えるなんてね…その眼、その顔、その声…何もかもが私の好みだ」


「そうかいこの人でなしッ!ぐっ…!」


振り解くことができない…こうなったら…


「オーバーロード起動!…クソッ!なんで…!?」


オーバーロードが起動できない…?これが悪さしてるのは明らかだが、どうにもできやしない。


「ああ…!必死なその顔も愛おしい!今すぐにでも食べてしまいたいが、あのウザったらしい後輩に邪魔をされてしまうからな。少し場所を変えようか。それまでは…少し眠っていて貰おうかな」


「な…にを…」


視界がぼやける。この匂い、フェリシーの時と同じか…抵抗は無駄なようだ。


……………………………………………………


「…!?」


「どうしたんですかフェリシーさん?」


「ジンのシグナルが…ロストした…だと…!?」


フェリシーがこれまで見せたことないほどの驚愕の表情を見せた。前の使用者がトイレを流し忘れていたとしてもこんな顔はしないだろうと、影宮は心の中で思ったが口には出さなかった。


「スキルチップで追えないんですか?」


「存在しないことになっているんだ。ダンジョンに飛ばされたとしても通常なら追えるはず。しかしこの状況は…いや待て、すぐそこにいたはずだ。なら行ってみた方が早いか…」


「でも外はモンスターだらけですよ!?ジンさんが殲滅したとはいえ後続はまだ…!」


「問題無い。ただ一つ頼み事がある。私がこの部屋を出たら、目を閉じ、耳を塞ぎ、心を空にしてくれ。私の能力は君まで巻き込んでしまうのでな」


「え…?」


フェリシーが影宮に微笑む。まさかあの死地に本当に向かうつもりか…今なお職員達が逃げ惑っているというのに。


「ああそう、頼み事は一つと言ったが追加でもう一つ。もし私が帰らなかったら、404の隊員にこう告げてくれ。『全ての能力の制限を解除し、問題の元凶をいかなる手を使ってでも消し去れ』…と。分かったな。…では」


何の装備も持たず、フェリシーは部屋を出る。すぐそこで魔物の呻き声が聞こえたが、鈍い音と共に鳴り止んだ。


「さて…久方ぶりだが上手くいくかどうか…ん…ふぅ…『我が命ずる。沈黙せよ』」


照明が落ち、魔物の出す音も消え、そこにはただ一人フェリシーだけが佇んでいた。


「はぁ…!はぁ…!っ…!相当な数だったな…ここまで消耗するとは…早く探しに行かなければ…」


おぼつかない足取りで、壁に手を当てながら長い廊下を進む。照明も落ちているため、窓から差し込む弱い光だけが頼りだ。


「最後に銃声が聞こえたのはこのあたりか…」


「おっと、可愛い後輩のお出ましか」


「なっ…!」


角を曲がったフェリシーの前に現れたのは、彼女のよく知る人物だった。最悪の研究者…コードネーム『オルヘイト』。彼女は力の抜けたジンを抱えている。


「ジン!!」


「大きな声を出さないでくれ。私の子が起きてしまうだろ?」


「貴様…!我が命ずる!沈黙せよ!!」


「おお怖い怖い」


魔物を沈黙させた言霊。しかしこの女にはまるで効果がない。


「なっ…!なぜ効かない…!チッ…!」


言霊が効かないと判断するや否や、フェリシーが銃を抜く。その眼には憎しみと悲しみの混ざった複雑な炎が燃えている。


「悪いが、健気な後輩とじゃれあっている暇は無いんだ。ではな。九年間、私の子の面倒を見てくれたことは感謝するよ」


「逃げるつもりか!!このっ…!」


引き金を引く。弾丸がオルヘイトに当たる寸前で、彼女は霧のように消えてしまった。まるでホログラムが消えるかのように、初めからそこに肉体など無かったかのようだ。


「スキルチップを抜き取っていたか…!急いで連絡を取らねば…くっ…スパンが短すぎたせいで力が…立て私…!」


……………………………………………………

 


目が覚めた。天井は見えない。何かが俺の顔を覆っている。すぐにそれが人の肌であることが分かった。


「おや、起きたか」


「この状況、何?」


オルヘイトが俺から離れた。


「なんで服脱いでんだよ、裸族か?」


「君に私の温もりを覚えさせるためさ。…吸うか?」


「吸うかバカ」


こんなにも病的に白い肌だっただろうか、あの時から声も容姿も、何も変わっていないはずなのに、どこか別人のようにも思えてくる。


「ふむ…あまり興奮は見られないな」


「お前の裸で興奮するとでも?」


「フェリシー君よりは若いのだが…」


そもそもフェリシーが何歳なのかという問題だが、あいつは100年生きていると言ったり、織田信長に会ったことがあると言ったり、とにかく無茶苦茶だ。


「若さの問題なら俺はとっくにルナリアに手出してるだろうな」


「今は私と二人きりなのだけど」


「それがどう…っ…!」


両手で首を絞められる。冷たく、細い手だ。力は強くないのに、頭に血が昇って苦しい。


「まだ分かっていないみたいだね。君の命は私の手の中にあるんだ。なら少しでも私の機嫌を取ることに必死になって見せたらどうだい?ほら、私に媚びてみなよ」


「ぐっ…」


「ほらどうだ苦しいかい!?こうされるのを待ってたんだろう!?私くらい重くないと愛を受け取れないんだろ!?そうだよなぁ!?だってそうなるように私が調教したんだからな!」


このままでは本当にまずい。狂ってしまった彼女ならこのまま殺すことも厭わないかもしれない。


「っと…少しやり過ぎたかな」


「っ…はぁ…はぁ…!」


「可愛い声で鳴いてくれよ?会えなかった九年間を埋めるくらい、ここで濃密な時間を過ごすんだよ」


何とか逃げ出せないか…或いは救助を待つか。場所さえ割れれば紗夜が来れるはずだ。


「どうして何も言わないんだ?…ああそうか、これが欲しいのか」


「んッ…!?」


一瞬で唇を塞がれた。柔らかく、熱く湿った感触。どこか懐かしさを感じる匂いが鼻腔を刺激する。


「ぷはっ…ほらもう一回」


「っ…!」


「ふぅ…これで終わりじゃないよ。まだ夜は続くさ」


頼む。本当に情けないが誰か助けてくれ。このままだと頭が狂いそうだ…

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