第16話:国を造ったふたり

 東京都、区外某所。


「なんだ、ナムヂ。重役出勤だな」


「そういうお前は朝から酒か」


 とある邸宅のリビングで、親し気に話す二人の男がいた。


 片や、オールバックに髪を撫でつけ、品のよいダークグレーのスーツを身にまとった恵体の男。片や、つい先日にかい紫月しづきを襲撃した淡島新あわしまあらただった。


 この邸宅はスーツの男の自宅なのだが、彼はこれから仕事に出かけるところである。一方で客人であるはずの淡島はというと、勝手に日本酒を引っ張り出しては一献いっこん傾けていた。


「旨いな、これ。それになにか懐かしい。どこのだ?」


「奈良だ。木桶きおけかもした酒が呑みたくなってな。取り寄せた」


「ああ、だからか」


「残しておけよ」


「善処するぜ」


 スーツの男は、その様子を見て腕を組んだ。


「人の身を得たのを良いことに、酒に逃げようとしているな?」


「おお、正解だぞナムヂ。そういう文化なんだってな」


「文化などではない。個々人の悪癖が共通化されただけに過ぎん」


 ナムヂ、と呼ばれた男は溜め息を吐いた。


「大体、あれはお前が悪いだろう。人の心に土足で踏み込みすぎだ。久延毘古くえびこはそんなことを言わせるために、お前にあの二人のことを教えたわけではない」


「うるっせえな、心の機微とか苦手なんですよこちとら。捨て子なもんでな」


上代紫月かみしろしづきも似たようなものだからお前を行かせたのだ。頭ごなしに説き伏せて良いならば、端からおれが行っている」


「おいおい、捨て子の方がよっぽどマシだろ。今のあれは、自分で道など選べない」


「だからお前に篭絡ろうらくさせようとしたのだろうが」


「……悪かったよ」


 スーツの男が踵を返す。


「おれはもう行く。戻ったら卜定ぼくじょうをする。支度を頼む。……ああ、それと」


 二、三歩だけ歩き出した男が立ち止まる。


「なんだ?」


「この家でも、あまりおれをナムヂと呼ぶな。いつ何が聞いているか分からん。良いな? スクナビコ」


「……分かったよ」




 場所を戻し、霞ヶ関警視庁庁舎内、実動祭祀部東京支部の会議室。


国津神くにつかみの転生体が成りモノを生む人間を殺し、加えて上代紫月を狙っている、ですか」


 とよからその話を聞いた大野は、腕を組んで呻く。


「それは何とも、実感の薄い話ですな。淡島新が少彦名神すくなひこなのかみの転生体、ということも」


「おや、私も転生体ですよ?」


「とよ様はまあ、日頃から近くにおりますから」


 それは恐らく、転生体などというもの自体が現実感を欠いているということだろう。


 とよと日頃から接し、彼女が八十禍津日やそまがつひとやり取りをしているのを見たことがあるような人間であれば信じざるを得ないのだが、それはとよという人間に対してのみであって、転生体という存在そのものを信じるのは難しいことだ。


「国津神はなぜ神産かみうみを、上代紫月を狙うのでしょう」


 話を変えたのは、今度は陰陽課の課長だった。祈祷課の課長と違って生え際の後退が著しいのだが、眼光は猛禽のように鋭い。


「純粋に、戦力として欲しているのだと思います。国津神には今も広く信仰されるような武神が少ないのです」


 国津神というのは、言ってしまえば負けた側の神だ。天から下ってきた天津神あまつかみ――現実的な言葉で言えば、当時の大和朝廷やまとちょうていによって平定された側の者たち。彼らが名を変え形を変えて今まで祀られてきたのが国津神だとするなら、その牙が抜かれていることは当然だ。


「主宰である大国主おおくにぬし、その子と言われる建御名方たけみなかた。山の神の代表たる大山祇おおやまつみ。広く信仰を集めている上で武に長けるのは、この三柱くらいです」


「だから、上代が生んだ神を国津神に引き入れる、と」


「それだけではありません。彼らの目的は、私たちと同じです。取っている手段が相容れないだけで」


「穢れを討つ生箭日女いくさひめの力も目当と……。いや、待っていただきたい。もしや上代は、自らが生んだ神と合一ごういつすることが可能なのですか?」


 とよはゆっくりと頷く。


「原理上は」


「今、上代のそばに神はおられるのですか? 一色も、何か心当たりは」


「いえ、私には」


 戒は首を横に振る。立ち位置や境遇は特殊だが、生箭日女や祈祷課の人間と比べれは、戒は特異な才能のないただの人間である。


 そも、国津神だとか神産みだとかといった話は辛うじて呑み込めているものの、紫月の傍らに彼女自身から生まれた神がいるなどという話には、まだ実感もないのだ。


「います」


 とよが答える。


「ですが、女性です。ですから、その神と合一して生箭日女となることは不可能です」


 その答えに、陰陽課の課長は僅かに安堵の表情を見せた。


 女神だから合一できないというのは、生箭日女という存在の仕組みに関わってくる話だ。


 根幹にあるのは陰陽の考え方だ。万物には必ず陰と陽の属性があり、それらが重なる、交わることで、あるいはその境目において、尋常ならざる現象がおきる。


 この考え方で有名なのは鬼門だろう。太陽が現れる東と昇る南は陽であり、太陽が沈む西と昇らない北は陰。そしてその境目である北東は鬼門、南西は裏鬼門と呼ばれ、この世にあらざる魔のものが出入りする方角だと言われる。


 これは陰陽の境目の悪い例だが、逆に陰と陽が重なることで、大きな力が生まれることもある。最たるものは、子だろう。


 陰陽の考え方では、男は陽であり、女は陰とされる。昨今の風潮に従って注釈するならば、あくまでもそれは優劣ではなく属性の話だ。そしてそれらが交わることで、新しい命を生じる。それは無から有への変化であり、極めて大きな力を要するものだ。


 当然ながら交わるわけではないものの、生箭日女と神々による合一も、また同様だ。陰と陽が重なり合う際に生まれる莫大な力こそ、生箭日女の超常性の源なのだ。


 そして、禍言祓まがごとばらえに協力してくれているのも全て男の武神だ。


 それ故に、神々と合一し、生箭日女になれるのは女だけなのだ。


「……ただ、今後出てくる可能性はあるでしょう。もし紫月さんが自らの力を自覚したならば、能動的に神を創る、或いは何者かを神とすることもできるはず」


「どんどんと現実味がなくなりますな」


 大野の呟きに、とよは一度は頷いた。


「確かに、そうかもしれませんね。ですが、神産みというのは、実はそう珍しいものでもないのです。タルパマンシー――タルパを創ることのできる人間は一定数いますし、その才能に極めて秀でているものは、神産みたりえますから」


 俗な言い方をすれば霊能者のようなものだろう。


 霊能という語が何を、どこまでを指すのか、全くもって不明瞭だが、ケガレビトなどというものと相対する実動祭祀部では、そういう能力の存在自体に疑問を持つものはいない。


 戒などは、祈祷課の人間などは霊能者にあたるのではないかと思っていたのだが、以前それをともえに話したところ、何故か嫌な顔をされた。まあ、それはさておき。


「問題は、神産みの才と、生箭日女の資質を同時に持ってしまっている、ということです。そんな人は、今までいませんでした」


「なるほど、やっと得心がいきました。生箭日女の力を、ほしいままに振るえてしまうわけですか。上代がそんなことを思うとすれば、ですが」


 生箭日女の契約相手は、その全てが大きな社格や神格を持ち、信仰される神だ。


 もし仮に、本当に仮に、生箭日女が私利私欲のために合一しようとしたとしても、そんなことを彼らは許さないだろう。言い換えれば、生箭日女という大きな力は、天津神である神々を通し、天に縛られていると言える。


 だがもし、神産みの力を自覚した紫月が男の神を生み、それと合一できたとしたら。その力は何者にも縛られていない、全く無軌道なものになってしまう可能性がある。


 しかし、大野が注釈した通り、紫月はそんな気性の持ち主ではない。そこは幸いだろう。


「で、どうする。部長さん」


 日比谷が大野に訊く。


 何故紫月が国津神に狙われたか、そして神産みとは何なのか、それは判った。


 考えるべきはそれを踏まえてどう動くかであり、それを決めるのがこの会議室に集められた大人たちの仕事なのだ。


「まず第一に、この件をあの子には伝えないっていうのは、決定事項だと思うけど」


 日比谷の言葉に、戒も内心で首肯する。


 神産みの能力を自覚し、男の神を生み出してしまう可能性というのもあるが、戒としては紫月の精神衛生を気にしてのことだった。


「しかし、淡島――少彦名様が神産みのことを口にした際、上代もその場にいたのだろう?」


 祈祷課の課長が横から口を挟む。


「確かに……そこのところどう、一色くん」


「昨晩は気にしている様子はありませんでした。ただ、それは余裕がなかっただけかと」


「そりゃまあ、いつかは気が向くわよね……」


「時が来たら伝えるしかないかと。ただ、今ではありませんが」


 折角復調してきたところに、再び悩みの種は投げ込みたくない。いつまでも黙っているわけにはいかないわけだが、伝えるにしても、もう少し間を開けたいところだ。


「まあ、そりゃそうだわな。方々、異論はありませんな?」


 大野が訊くと、会議室の面々は頷いた。


「後は、警備体制をどうするか、という点かしらね」


「もうSPは付いているのだろう?」


「はい。上代に覚られぬように、ですが」


 陰陽課の課長に訊かれ、戒は頷く。


 実は東京駅に着いてからずっと、警視庁警護課機動警護班、所謂SPが紫月の護衛に付いている。それは紫月に気付かれないように行われており、戒もその理由を知らされてはいないのだが、年頃の少女へのある種の配慮なのだろうと思っていた。


 戒に続くようにして再び日比谷が口を開く。


もっとも、それもいつまでも付いてくれるわけではないでしょうし、今まで通り一色いっしきくんがつくにしても、有事の際に一人では何かと不都合なのですが……」


 彼女は腕を組んだ。


「ここに来て、許容限界を迎える禍玉まがたまが増えてきています。祓の護衛に出払う人間も多く……ぶっちゃけると、人手は足りませんね」


「……ああ、それなんだがな」


 と、おもむろに大野が声を上げた。


「一つ、案がある」

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