最終話:ケガレ祓いの生箭日女
それからしばらく、世間は
案の定、禍玉の管理を行っている実動祭祀部は批判に晒された。だが、だからといって何が起きるわけでもない。
批判されようがされなかろうが、穢れは祓わなければならないし、唯一
とよは、あの後大きく疲弊してしばらく寝込んでいたものの、数日後には元気になっていた。百合阿は『死亡フラグかと思った』などと言って泣いていたが、とよはその意味が分からずに首を傾げていた。
また、鏑木の葬儀は警察によって行われ、紫月はそこに参加しなかった。単純に、穢れを身に溜め込んだことによる反動で体調を大きく損ない、参加できなかっただけだ。
その代わり、彼女は快復するなり、鏑木の墓前へ参ったようだった。
成りモノの対応はというと、百合阿を始めるとする年長の生箭日女が持ち回るようになった。
戒はそれを気に病んだが、百合阿はそんな彼を見て「気にしすぎです。わたしたちだって給料もらってるし。子供と思い過ぎです」と笑っていた。
渋谷大祓を経て、実動祭祀部は少しずつ変わり始め、同時に、少しずつ普通へと戻っていった。
そんな某日。二十三区外の、至って普通のある寺の、ごく一般的な六角形をした納骨堂にて。
供花用の台に花束を置き、手を合わせているのは戒と紫月だった。
「……戒さんは、毎月ここに?」
「ああ。遠方の祓でどうしても東京に居ないとき以外は」
「ずっと、ですか?」
「……ああ」
その納骨堂には、
「それも、今日までだ」
戒は、供えたばかりの菊の花束を見下ろす。花の色は白だった。
これからは、盆か、来るとしても正月くらいになるだろう。戒以外の、親しい人を喪った多くの誰かと同じように。
「紫月、少しいいか?」
「はい?」
――カラン、とドアベルが鳴った。
数分後。二人は寺からほど近い喫茶店に入っていた。渋谷の時とは違い、今度はチェーン店ではなく個人経営の、小さいが居心地の良さそうな店だった。
紫月の前には紅茶とタルトが、戒の前には相変わらずアイスコーヒーが置かれている。
「……やっぱり、そうだったんですね」
更に数分後。戒の正面に座る紫月は、そう言って目線を落とした。
戒が、朝那が淡島へ『鏑木を殺して欲しい』と頼んだ真意を話したのだ。
紫月は全く驚かなかった。
彼女は鏑木が何をしているかある程度知っていたし、何より朝那と五年間共に過ごしてきたのだ。端から彼女を疑ってなどいなかったのだろう。
とはいえ、姉のような存在が養父を殺したのだ。その心中など、どうやって察し、そしてどのような言葉をかけたものだろうか。
答えなど分かるわけもなく、戒は押し黙る。
「あのっ。戒さん、朝那さんが居なくなって寂しくないですか?」
急にそんなことを訊かれ、戒は困惑する。
「それは恐らく、俺が言う台詞だと思うが」
そもそも、
「えっ? そう……ですか?」
紫月は動揺しておとがいに手をあて、少ししてすとんと肩を落とした。
「……何ていうか、その。まだあんまり、自分の気持ちが分からなくて」
さもありなん、だろう。
自分を助けようとした朝那、自分の父を殺した朝那。自分を育ててくれた父、自分を売ろうとしていた父。どれも、事実だ。
寂しいのか、悲しいのか、憎いのか、それとも安堵しているのか。分からなくて当然だ。
「変ですよね……。お父さんが死んだんだから、悲しいに決まってるのに」
紫月は、戒にとってはごく見慣れた、ふにゃりとした笑みを浮かべる。
「決めつける必要はないだろう。感情は一つじゃない」
しかし、全てが事実であるように、紫月の感情もまた、全て真実なのだ。
「それに、感情に善悪はない。いつか受け入れられる」
意思に善悪はあるだろうが、それはまた別の話だ。
「そう……でしょうか」
それでも不安げな紫月に、戒は続ける。
「大丈夫だ。辛ければ、頼って、話してくれ。俺が……いや、俺や皆が付いている」
「……はい」
戒としては意外だったのだが、その気休めのような言葉に、紫月は素直に頷いた。
その顔には、安心したような、どこか満足げな表情が浮かんでいた。
――そして、月と日は巡り、もうすぐまた春になろうとしていた。
紫月は、戒が付きっきりで勉強を見たこともあり、無事に高校受験で合格した。といっても中の下ほどの偏差値の、何と言うこともない公立校だったのが、それでも紫月は大喜びしていた。また、現在は
百合阿はもうすぐ引退だ。既に次の
そして、それ以外の実動祭祀部の面々は特に変わりはない。生箭日女のメンバーは移り変わっていくのが常であるからだ。
また、戒はというと、少しずつ、普通の人間へと戻って来ていた。夜に眠り、食事を楽しむ、普通の人間に。
そして、幸いなことと言うべきか、夕こと朝那、そして陽は、渋谷大祓以降再び姿を見せることはなかった。
また、紫月は、陽がかつて宿っていたものに似たぬいぐるみを、戒と選んで買った。尚、どう見ても競走馬のぬいぐるみであるため、家主である巴は嫌な顔したようだった。しかし、これも二人で選んだパーカーをプレゼントしたところ、すぐに機嫌を直したらしい。
そんな、ある日のことだった。
「失礼。
何の前触れもなく、衆議院議員の
突然の来訪に腰を抜かしかけた
「まさか、そちらから出向かれるとは思いませんでした。
「なに、こうでもしなければ話せないだろう。
本殿で対峙したとよと神々廻の間に、柔和だがひりついた空気が流れる。
「……後ろのお二方、生箭日女ですね」
とよがそう口を開くと、神々廻はにやりと笑う。
「当然わかるか。紹介しよう。こっちが
目線の鋭い少女と、中性的な少女がそろってお辞儀をする。
「塩椎……。まさかわざわざ紹介するために?」
「それこそ、まさか。彼女らの勉強のためだ。それに、本題はそこではない」
神々廻――大国主神の転生体は、目を細めてとよを見つめる。
「いつまで、そんな悠長な手段を取っている? 穢れの蓄積速度は上がる一方だろう。いつまでも対症療法では、取り返しがつかなくなるぞ」
「だからといって、人を殺すなど」
神々廻は首を横に振る。
「確かに、人が人を殺すのは禍事だ。穢れを生む。しかし神が人を殺すのは、ごく当然の理だ」
その言葉にとよの表情が険しくなる。それを見ても尚、神々廻は続ける。
「逆に言えば、我ら神が関わるならばそれだけやらねばならない。こんな方法は神でしか許されないのだからな」
神々廻の後を継ぐように、塩椎の生箭日女が口を開く。
「今後は、私たちも祓を行います。赤穢れが多い区域が私たちが受け持ちます」
続いて、建御名方の生箭日女も。
「私たちは赤穢れに耐性があります。
それは事実だった。塩椎は海と製塩の神であり、水は穢れを流し、塩は穢れを弾く。さらに建御名方は長野を中心に
「……やはり、いけません。時代は変わったのです。神罰など、あるべきではありません」
しかしそれでも、とよは彼らを拒んだ。
「そもそも、私たち神にとっても、あなたの言う悠長な手段こそが正道なのです」
とよは、強い意志を込めて言葉を紡ぐ。
「万事に一貫して通る理屈など存在しないのです。十人十色と言うように、人々がそれぞれの意思と願望と持っている以上、それぞれに向き合うしかない。人も、私たち神も」
「向き合っている内に、この
「ですから皆でやらなければならない。それを示すための生箭日女です」
とよの言葉に、神々廻はこめかみを揉んだ。
「……いや、分かっていたことだ。我らと相容れないことは」
そして、再びとよを見つめる。
「だが、高天原の生箭日女を危険に晒すのは、こちらも意図することろではない。こちらが祓をする禍玉は通達する。手出しをしないでいただこう」
「そんな勝手を、天が呑むとでも?」
「呑まぬなら、争うことになるだけだ。生箭日女同士がな」
言って、神々廻は立ち上がった。
「急に来て済まなかった、豊受姫。議員というのは、酷く忙しいものでな」
神々廻の台詞に、とよは答えることはなく、本殿を後にするその背を見送る。
二人の生箭日女も、神々廻に続き、とよへ一礼して去っていく。
「豊受姫様。塩椎様は、いつまでもお待ちしておりますので」
塩椎の生箭日女だけは、そう声を掛けていった。
そして三人の背が本殿から見えなくなると、とよは溜め息を吐いて、畳に手を突き、だらしなく脚を投げ出した。
「そんなことを言われても……、こちらにもやらなければいけないことがあるのですし」
客人が居なくなったのを察知したのか、物陰から子狐のムタが姿を現す。
とよはムタに手招きし、寄って来たところを抱きかかえ、柔らかいそのお腹に顔を埋めると、さらに溜め息を吐いた。
くすぐったかったのか、ムタはじたばたと暴れ、そのまま逃げ出してしまった。
「せめて戒さんあたり、凄みのある人間がいてくれれば、もう少し言い返せたのですが……」
そうは言っても、居ないものは仕方がない。
今日は、紫月の高校の入学式なのだ。
「ほら、戒さんも笑って」
「無茶を言わないで下さい」
「何が無茶か! 滅茶苦茶普通の注文でしょ」
幸運にも桜前線と晴天の被ったその日。都内某所の高校の入学式には、数百人いる新入生の一人である紫月と、その親代わりということで、戒、巴、そして百合阿がいた。
そして式終了後の定番である写真撮影にて『入学式』と書かれた看板の横で、紫月と、何故か戒が並べられ、写真を撮られていた。
「戒さん顔こわー。これ何の写真です?」
「産まれた時からこの顔だ」
巴や百合阿に鉄面皮を弄られている戒の脇で、紫月がころころと笑っていた。
中学時代の黒のセーラーと打って変わり、この高校からはブレザーの制服になる。装いが変わっただけだが、心なしか少し大人びたようにも見える。
「……そういえば、良かったのか?」
戒は、ふとあることを思い出し、入学証書を抱えた紫月へ尋ねる。
「何がですか?」
「高校進学だ。恩返しというのは……もうできなくなってしまったわけだが」
中学を出たら高校へ入る。それが余りにも当然であったため、完全に忘れていたのだ。
「む。戒さんはわたしが中卒でもいいんですか。……その。貰うんですよ?」
自分で口に出しておいて耳まで赤くなるのはどういうつもりなのか、というはさておき。
「そこは別に……」
そう言いかけ、脇から巴と百合阿の刺すような視線を感じ、戒は言葉を訂正する。
「……いや、嬉しくはないな」
「そ、そうですよね!」
それに、進学しておくのに越したことはないのだ。因みに、彼女の学費は奨学金と、実動祭祀部職員の有志による折半だったりする。
とその時、校舎の昇降口の方から呼ぶ声がした。どうやら、入学式後の新入生向けオリエンテーションなるものがあるらしい。
「わあ、部活動紹介! 早くいきましょう!」
どうやら紫月は何を見ても楽しいらしく、三人を置いて先に走って行ってしまった。
「保護者同伴だそうですね」
「そうか」
「そうかじゃないでしょ、ほら一色さん、行った行った」
「流石に三人も付いて行くと邪魔だと思うので、わたしたちはその辺でお茶してますねー」
どうしてそうも当然のように自分を行かせるのか、いやしかし最年長は自分だから保護者というのは当然か、というとりとめのない思考はさておき。
「戒さん、早くー!」
未だこの国に溢れる、穢れと、生箭日女という仕組みと、そして紫月自身の内に潜む穢れは、どれも解決したわけではない。
だが――いや、だからこそ、自分にできる役割で最善を尽くすしかないのだ。
そして戒のそれは、上代紫月と共に歩むことだった。
「ああ、今行く」
戒は、笑顔で手を振る紫月の元へと向かった。
ケガレ祓いの生箭日女 雛田安胡 @asahina_an
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