第3話:嘘と子供と大人の責任

 上代紫月かみしろしづきの初陣は敗北として幕を閉じたわけだが、それは紫月個人として見た場合だけの話であり、残念ながらかいを始めとする大人たちは幕を閉じることは許されない。


 辛くもケガレビトを討ったとはいえ、生箭日女いくさひめが敗北したことに変わりはなく、今までやったこともないような事後処理に追われることになった。


 そして、日付も変わった夜半過ぎ。戒はタクシーを拾い、日女ひめ神社を訪れていた。


 戒は、夜の海風に髪を受けながら実働祭祀部じつどうさいしぶ本部社殿へ向かう。案の定、そこには明かりが灯っていた。


 戦闘で気を失った紫月が、ここへ運び込まれているのだ。普通は病院に運ぶだろうが、ケガレビトから物理的な傷はほとんど負わされていない。問題は、全身に浴びた穢れの方だ。餅は餅屋であるように、霊的な損傷には霊的な治癒というわけだ。


 なお、本来は神社に穢れを持ち込むなどもってのほかだが、今回は特例である。


 衛士室えししつへ一声掛け、社殿へ上がる。ほとんど屋外である廊下が真っ直ぐに走っており、それに沿って各部屋が並んでいるだけの細長い社殿。それ実動祭祀部の本部だった。


「護衛課の一色いっしきです。どなたかいらっしゃいますか」


 ひとまず、端にある庶務課の部屋の前で、障子戸越しに声を掛けてみる。


 すると戸が開き、中年の女性が顔を見せた。恐らく、今日の当直だろう。


「……あ、お見舞いですね。話は聞いています」


 どうやら、もう報告が実動祭祀部内で回っているようだった。


「とよ様から、あなたが来たら通すようにと聞いております。最奥の部屋です」


「……痛み入ります」


 礼を述べ、長い廊下を奥まで進む。僅かに光の漏れている障子戸があったので立ち止まると、それには、陰陽課のものと思しき札が貼ってあった。ここで間違いないだろう。


 戒が戸を開けると、中の座敷には布団が敷かれており、そこに寝かされた紫月がごく小さな寝息を立てていた。加えて、部屋の四隅には盛り塩がなされている。


「……こんな時間に乙女の寝所に、声も掛けずに立ち入るとは」


 そして紫月の枕元に、薄い桃色の着物を着た廓場くるわばとよが座っていた。


 ちなみに、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべており、先の言葉は十中八九冗談である。


「もうお休みになっているものと思いまして」


「おや、子供扱いするつもりですか?」


 紫月を挟んだとよの反対側に、戒は腰を落ろした。


「お身体は紛れもなく子供かと」


「……今日ばかりは仕方ありません。彼女を酷な場所へ行かせてしまった責任があります」


 言って、とよは昏々と眠る紫月の顔を見つめる。


「何があったか聞かせていただけますか」


「禍玉に、多くの赤穢あかけがれ……それも死穢しえが混ざっていました」


 古来より穢れを生む行為の多くは血が流れるものだ。血穢けつえという言葉にもそれは現れている。だが、それ以外でも穢れが生じることはある。


 実動祭祀部ではそれを、便宜べんぎ的に二つに分類している。それが、赤穢れと黒穢くろけがれだ。


 人の肉体、とりわけ血が流れることから生じるものを赤穢れ、流血の伴わぬ忌事いみごとから生まれるものを黒穢れとしている。名の由来は、言ってしまえば見たそのままだ。


 この二つは性質が異なり、特に大きなそれは、伝染性だ。赤穢れは、広まる。先日の戦闘で、ケガレビトに触れられた紫月がそうだったように、伝播でんぱし、むしばみ、さわる。


 そしてそれは、神と合一ごういつしている生箭日女とは、格別に相性が悪い。


 しかしそもそも、禍玉まがたまに貯まる穢れはほとんどが黒穢れだ。その上、この黒穢れを祓うことが生箭日女の本来の使命であり、生箭日女という存在が生まれた目的でもある。


 赤穢れの相手は、言ってしまえばイレギュラーだ。


「あの量は、尋常の人の営みでは生まれないでしょう。恐らくこの先は警察の仕事かと」


「……そうですか」


 当然ながら、こんな事態が起きないよう、禍言祓まがごとばらえは下調べが行われた後に行われる。だが、禍玉の許容量は外部から測定が可能なものの、禍玉の中身が赤か黒かは、開けてみなければ分からないのが実情だ。祓の対象となる禍玉が置かれてから今まで、赤穢れの元となる事象がなかったかどうか記録を遡る。それしか、禍玉の中身を推し量る方法はない。


 そして、あそこまで多くの赤穢れの元となるのは、惨たらしい人の死ぐらいなものだ。それは大抵、殺人だとか無理心中だとか自殺だとか、事件という形で記録される。


 だが、今回の禍言祓の対象地区で、そんな記録はなかった。しかし、事実としてケガレビトは多くの赤穢れから成っていた。


 それが意味するところは、神社という清浄である場所で話すべきものではない。


「彼女の親は見えられたのですか?」


 今度は戒が尋ねると、とよは首を横に振った。


「里親という方に連絡はしたのですが、無事であることを入念に確認されたのみで」


 そういえば、苗字が変わったと言っていた。円満な家庭ではないのだろう。


 ――割りを食う人間はいつも決まっていて、それは大方、もう割りを食っている人間だ。


「……そんなに紫月さんのことを想っているのですか?」


 突然そう言われ、戒は疑問の意味でとよを見つめた。


「眉間に皺が寄っていましたよ」


「……まさか」


 戒は、笑うことも目を細めることも、声色を変えることもしなかった。


「感情など、あの日からどこにやったか忘れました」


 というか、表情筋が凍りついた戒より、自らの状態が顔に出ているのはとよの方だった。


「いい加減、お休みになられては」


「まあ、やはり私のことを子供と思っているのですね」


「事実です。その瞼、畳に落とされるつもりですか?」


「もう……」


 頬を膨らます姿は紛れもなく子供である。


「貴方はどうするのですか?」


「私は起きていても平気です。そも、眠れませんから」


 戒は部屋の四隅の盛り塩へ目を向ける。


「見張られていたのでしょう? 穢れが、悪いものを呼ばないか。……代わります」


「貴方も休むべきなのですが、言っても聞かないのでしょうね」


 とよは溜め息混じりに行って、立ち上がった。


「では戒さん。よろしく頼みます。日の昇る頃にまた来ますから」


「承知しました」


 ――それから数時間後。障子戸越しに微かに朝陽を感じるようになったころ。


 紫月が静かに目を覚ました。


「……気分はどうだ?」


 戒が話しかけると、紫月はぼんやりした目線を泳がせる。


「おはようございます……」


 寝ぼけまなこのまま、紫月はもぞもぞと身を起こす。彼女は白の小袖を着ていた。


 時刻が朝だったためか、何か勘違いをしているらしい。


「あれっ……?」


 紫月が眼を見開いて、隣の戒を見つめる。


「痛いところはないか? それか、だるいとかは」


「わたし、は……」


 突然、紫月はがばっと掛け布団を跳ね除けると、戒に抱き着いた。


 柔らかな香りが舞い、歳に不相応だろう弾力が戒の身体に当たる。当然、彼はそれに対して何も反応は示さなかったが。


 どうしたのかと訊こうとして、耳元で小さな嗚咽が聞こえ。戒は口をつぐんだ。あれだけの目に遭って、恐怖を感じないわけがないのだ。


 それはそれとして、会って間もない男に抱き着くという行動に思うところがあるが、それだけ追い詰められてしまっているのだろう。


 紫月はそのまましばらく泣いていた。


「ごめんなさい……。わたし、失敗して……」


「君のせいじゃない。予期できなかったこちらの落ち度だ」


「でも……もっと上手くできてたら……」


「初めての祓であそこまでできれば上出来だ」


 紫月は泣き止んでも、少しの間戒にくっついたままだった。


「……すいませんでした。思い出したら、怖くて」


 ようやく紫月が落ち着き、布団の上に座り直した後、戒が現在の状況を説明した。


 ここが日女神社の社殿であること、父親には連絡済みであること、などなど。彼女の父親がここへ来ていないことには触れなかった。


 すると、それとは関係のない話題で、ふと紫月が口を開いた。


「あの、戒さんの白い刀、あれって何なんでしょうか」


 とよの呼び方が移ったのだろうか。などと思いつつ、戒は用意していた嘘を思い起こす。


 言ってはならないのだ。あの刀については。


「お下がり、のようなものだ」


「生箭日女のですか?」


「ああ。経津主ふつぬし様の生箭日女だった人のものだ。以前に生箭日女との契りを解いた際、経津主様が厚意で武器をそのまま残していった。それを譲られたんだ」


 経津主神ふつぬしのかみ。剣の神とされるが、有名な雷神である建御雷神たけみかづちのかみとの共通点も多くみられる武神だ。天之御影あめのみかげ同様、契約により生箭日女へ力を貸してくれている神々の内の一柱である。


「もしかして天之御影様もできるんでしょうか」


「分からない。なにしろ、あの刀しか例がない」


 天之御影は鍛造たんぞうの神だ。できる可能性はあるだろうが、そんなことを考えるのは無駄だ。


 何しろ、戒の言ったようなことを、経津主はしていないのだから。


「そうですか……」


 残念そうに言う紫月に、戒は懸念を抱く。


「自分などではなく、他の人間が祓をやれたら、と考えていないか?」


「いえ、そんなことは」


 紫月の顔はどう見ても、そう思っている、という表情だ。


「重ねて言うが、君はよくやった。あんな事態の中でも立ち向かった。自身を持っていい。これは気休めでも慰めでもなく、本当のことだ」


「はい……」


 しかし、紫月はまだ自信のなさそうな表情だ。


 いくら言葉で伝えたところで、負けたのは事実なのだから、仕方のないことだろう。


 これ以上は言葉以外が必要だ。そしてそれは、恐らく戒ではいけないだろう。


「学校には連絡してある。今日はここで静養していてくれ」


 言って、戒は立ち上がった。


「じきにとよ様が来る。何か入用のものがあれば頼んでみてくれ」


「帰るんですか?」


 彼女の質問に、戒は無表情のまま返答する。


「いいや、仕事だ」


「でも、寝てないんじゃ」


「問題ない。眠れない質なんだ」


 本来ならそういう問題ではないのだが、紫月はそれ以上言うことはしなかった。


「……あ、あの!」


 だが、それとは別に、部屋を出ようとする戒の背中へ声を掛けた。


「わたし、頑張りますから!」


「ほどほどにな」


 肯定とも否定とも取れるような言葉を残し、戒は障子戸を閉めた。


 まずはとよに声を掛け、その後に一度家に戻って身支度を整え、霞が関まで戻らなくては。通勤ラッシュを加味すると、あまり時間はなさそうだ。


「あら、お帰りですか?」


 と、そのとよが渡り廊下から歩いてくるのとばったり遭遇した。すでにいつもの紺色のワンピースに着替えている。だが、彼女もあまり眠っていないようだった。


「これから仕事です」


「実動祭祀部の皆さんは働き者すぎて、たまに不安になりますね」


 いつもより肌にツヤのないとよが言えたことではないが。


「その言葉はお返ししますよ。……上代が目を覚ましました」


「まあ、良かった。様子はどうですか?」


「落ち着いています。ただ、当然ながらトラウマになっています」


「そうなるのは仕方ないでしょうね……。過度に自信を無くさないと良いのですが」


「……とよ様。少しお頼みしたいことが」


 戒がとよにそのことを話すと、彼女は微笑んだ。


「そこまで気を回されるのは、護衛のお仕事の内ですか?」


「いいえ。そも、今ここにいることも業務外です。ただの老婆心ですよ」


「ふふ。随分、紫月さんを大切になさるのですね」


「いえ、そうは言えないでしょう。生箭日女が危険に晒されること自体、間違いなのです。危険を背負うのは実動祭祀部の仕事。私は、自分の失敗のツケを清算しているだけです」


 戒は、眉一つ動かすことはなかったが、僅かにうつむき、自嘲するように言った。


「時間が押していまして。これで」


 一礼して、戒は足早にその場を去る。その背を、とよが複雑そうな表情で見送っていることは、戒は振り返らずとも分かっていた。


 朝焼けに包まれた境内を抜け、海風の吹き付ける道を駅へ向かう。


 急く戒の頭の中は、苦い感情で満たされていた。誰とも言葉を交わさずにいると、余計な感情ばかりが頭の内から湧いてくる。紫月があんな目に遭ったのは、全面的に戒ら実動祭祀部の、大人達の落ち度だ。そうでなければいけない。


 その考えを戒は頭の中で反芻する。


 生箭日女は、そのほとんどがまだ子供と言ってよい年齢の者ばかりだ。そんな彼女たちが何かを背負うなど間違いだ。危険も責任も、彼女たちとは疎遠であるべきだ。


 だからこそ、露払いを――汚れ仕事を引き受ける、戒のような存在がいるのだから。


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