第4話:成りモノ殺し

 時を数日ばかり巻き戻して、かい紫月しづきが出会った日。その日の、戒が花屋で赤い菊の花束を買う、少し前。


「重役出勤かな? 一色いっしきさん」


 数週間後に日比谷ひびやに言われる言葉を、戒はここでも投げかけられていた。


「時間通りです。護衛課がはらえの準備でできることはないでしょう」


 場所は、渋谷の中心から外れた、室外機が並ぶ薄汚く仄暗い路地裏。


 声を掛けてきたのは、白の狩衣かりぎぬに身を包んだ、つまりは実動祭祀部祈祷課所属の女だった。年齢は戒と同じほど。小柄で、小動物のような可愛らしい目鼻立ちと、服装に全くそぐわないパーマのかかった肩までの金髪が特徴だ。


 名を、来栖巴くるすともえ。戒からすると年下だが、同時に先輩でもある。なので敬語だ。


「つまらん。もっと面白い返しをしたまえ」


「……本当に重役だから仕方ないだろう、なんてな」


 横から首を突っ込んできたのは、大野優索おおのゆうさく。小奇麗な見た目の中年の男性だ。引き締まった体躯で、若く見える見た目なのだが、なぜだか風采の上がらない雰囲気がある。


 しかしその肩書は実動祭祀部部長、兼護衛課課長であり、戒の直属の上司でもある。


「そっちも悪いな、日曜日に」


「それも、別にいいですけど。いいんですけど」


 口ではそう言いつつ、巴は頬を膨らませる。


「戒さん、もしかして直帰?」


「はい」


 巴の頬が更に膨らんだ。


「うーらーやーまーしーいー! わたし達なんて片付けも着替えもあるから戻らないとなのにわたしだってこのまま渋谷で遊びたいのになんで護衛課ばっかりすぐに帰れるのー!?」


「残業代も税金から出ているのですから、それが少ないに越したことはないでしょう」


「それは戒さんがお金要らないってだけじゃん」


「俺は戻って事務仕事だがな」


「それは平常運転じゃないですか」


「……そうだな」


 巴はひとしきりまくし立てた後にわざとらしい咳払いをすると、真面目な表情になった。


「で、真面目な話ですけど、封牢ふうろう結界の設置と、人払いのまじないも終わってます。祈祷課はあたしの班が配置済み、陰陽課も準備完了してます」


 巴は周囲を見渡して言う。


 裏路地の端に一人ずつ、白の狩衣を来た人影が立っている。また、黒の狩衣の人影も二人、戒らの近くで計器を睨んでいる。更に、戒も大野も帯刀していた。戒は黒鞘くろさやの軍刀と白木の刀、大野は黒鞘に金の装飾の施された刀だ。余談だが戒の刀は大野が持って帰る予定である。


 彼らはこれから禍言祓まがごとばらえを行おうとしていた。しかしそこには、生箭日女いくさひめがいなかった。


「仕事が早くて助かるよ。一色、いつも通り俺は保険だ。任せるぞ」


「了解しました」


 だというのに、彼らは何も疑問を呈することなく、着々と配置に着いた。


 巴も片方の裏路地端へ向かい、他の職員同様に待機。大野は陰陽課職員を護衛するように彼らの脇に立った。


 そして戒は、路地裏の中心地点へ向かう。そこには金庫のような錆びついた箱が、ひっそりと置かれていた。よく見ると『東京都』と印字されているの見て取れる。


 鍵は既に開けられているが、蓋は閉じられたままだ。


 この中には、渋谷の一定区域の穢れを集積する禍玉まがたまが納められている。東京は狭く、かつ人の数も酷く多いため、こういった場所に設置せざるをえないのだ。余談だが、こういった禍玉の収納箱の鍵は、陰陽課の管理下にあり、これはすでに祓のために開けてあった。


 戒はその蓋を開け、中から翡翠の禍玉を取り出す。その途端、鼓膜を介することなく声が聞こえた。


「――お前はよお、いつになったらできるんだよ。馬鹿じゃないのか。だから――」


 ふと戒が視線を上げると、路地裏端の巴と目が合った。極めて不快という顔で、両手で耳を塞いでいる。この声は耳を塞いだところで聞こえるのだが、気持ちの問題だろう。


 早くやれと言外で促されているような気がし、戒は禍玉を道の中央のアスファルトの上へ置く。周囲には、それを囲うように札が三枚置かれていた。


「各種数値正常です」


「よし、修祓しゅうほつ開始」


 大野の号令と同時に、戒は軍刀を抜き、禍玉に突き立てる。翡翠が砕け、その瞬間に黒い靄が破片から吹き上がる。


赤穢あかけがれ、四%以下で許容値内。幽質ゆうしつ、臨界に入ります」


 札に囲われた空間内で黒い靄が固まり、人らしき姿を成していく。


 幽質というのは、昔のオカルト界隈で言うところのエクトプラズムのようなものだ。禍玉を穢れをこの形で貯蔵しており、破壊されることで放出する。幽質は質量を持たないが、一定濃度以上になることで急速かつ連鎖的に集まり、ケガレビトなど何らかの形を取る。


 また、禍玉の周囲の札は三枚で内向きの結界を成しており、幽質の拡散を防ぎ、迅速に臨界を迎えさせる役目を果たしている。数週間後に迎える紫月の初陣では、結界が壊れ幽質が拡散したために、そこら中からケガレビトの一部が形を得ては飛んできてしまう事態になったというわけだが、それはさておき。


 黒い靄のように見える幽質は、明確に人の形を取っていた。顔の形すらはっきりとしている。周囲に漂う幽質が無ければ、ケガレビトだとも思わないだろう。


 男。厳めしい顔つきで、少し中年太りしている。質のよさそうなスーツとゴテゴテした腕時計が年収を示しているようだ。


「最近流行りのパワハラ上司ってやつか?」


 大野が呟く。


 そのケガレビトは、電話を耳に当て、ずっと意味をなさない言葉を喚き散らしていた。単語の切れ端から察するに、部下への叱責にだろうか。


「臨界停止、確認しました」


 陰陽課職員の報告を聞いた戒は、軍刀を納め、白木の刀を剣帯から外す。


 ――――。


 不可視の一閃が、深々とケガレビトの身を逆袈裟に切り裂いた。


 その身から血のように黒い靄を吹き出した男は、恐怖と驚愕の混じった表情で、戒を見る。まるで本当に斬られた人間のようだ。


 これが、戒の本来の仕事。生箭日女の露払いだった。


 ケガレビトはまれに、特定の人間の姿を取る。実動祭祀部内では『成りモノ』と呼ばれるこれの原因は、特定の禍玉の有効範囲内にいる、酷く穢れ生む個人だ。


 そして成りモノのケガレビトは、見た目も動きも人間と変わらず、これを討つというのは、討つ側からすれば人殺しと変わらない。


 だが幸いなことに、これは禍玉を砕かずとも判別可能だ。さっき聞こえた声である。


 特定の人間の穢れを強く宿した禍玉は、何らかの兆しを漏らす。少しオカルトチックに言えば生霊を宿しているような状態であり、俗に霊感と呼ばれるある種の感知能力が高い人間ほど、容易にその兆しに気付く。


 それにより、人殺しの業などを負わせないよう、その存在すら伏せ、生箭日女でなくともケガレビトを討てる戒が秘密裏に処理しているというわけだ。


 ――――。


 戒が水晶の刀を両手で構え、再度一閃する。


 狭い路地で器用に一文字に振りぬかれた刃は、ケガレビトの首を刎ね飛ばす。首無しとなったケガレビトは膝を突き、黒い靄へと還り、靄は跡形もなく消失していった。


「――修祓終了」


 戒が水晶の刀を鞘に納める。


 地面に転がった首は、消える最後まで、恐怖と驚愕の表情のまま固まっていた。




 そして時間を現在へ戻し、紫月の初陣の翌日。渋谷のどこかのオフィスビルの地下駐車場。そこに駐車しているロゴ入りの車両の運転席で、あのとき戒が切り落とした首と全く同じ顔のスーツ姿の男が、全く同じ表情で拳銃を突き付けられていた。


「オイ、クズ野郎。気分はどうだ?」


 拳銃を突き付けているのは、年若い男だ。スーツの男が車に乗り込むと同時、不自然なほど自然に、その助手席に乗り込んできたのだ。


 その男は艶と毛量のある癖毛で、それに半ば隠れている目はナイフで切ったように細く、鋭い。春だというのに、ファー付きの黒のモッズコートを着ていた。


「……悪戯いたずらは良くないぞ、君」


「銃口をよく見ろよ、モデルガンなら塞がれてるはずだぜ」


 癖毛の男が手にしているのは、知名度も威力も高い拳銃、デザートイーグル50.AE。それも、モデルガンではなく、れっきとした実銃だった。


「な、何が望みだ。金か」


「お手本のようなクソつまらん質問をありがとう。残念ながらノーだ」


 癖毛の男は、銃口をスーツの男の頭へ押し付ける。


「金なんざ要らねえ。俺はお前を殺しに来た。グランダー人材サービスの木村竜太郎さんよ」


「……ち、違う、俺は」


「みっともなく嘘つこうとしてんじゃねえ。面割れてんだよ。ああそれに、名前があってるかなんぞは二の次なんでな。重要なのは顔だ」


 癖毛の男は、心底苛ついた口調で吐き捨て、それに反して口許を釣り上げる。


「それじゃあ質問だ。あんたが今まで退職させた社員の数を言ってみな」


「退職させた……? 今の日本で、自主退職以外に」


 カチリ、と撃鉄が起こされ、スーツの男は脂汗を掻きながら押し黙る。


「はい失格。正解は五十七人だ。反吐へどが出るほど素晴らしい成績だな」


 癖毛の男は笑いを浮かべたまま、目を見開いてスーツの男、木村を睨む。


「お前は五十七人もの人間の将来に対して悪影響を与えたわけだ。お前の将来がぷっつり絶たれたところでお釣りがくると思わないか?」


「お、俺は、社員として勤めを果たしただけだ。会社のために」


「会社のためねえ。じゃあ、会社はなんのために金を稼ぐ」


「社員のためだ」


「思ってもねえこと言ってんじゃねえ。それに俺からしたら、それは否だ」


 癖毛の男は笑みを消す。


「国のためだ。国のために民は汗水たらして働き、国は対価として民を富ます。会社なんてものはその間に挟まってるだけだ。それをお前は、他人の働き口を奪いやがった。言ってみりゃ国賊こくぞくだな」


「誰かに頼まれたんだな? 倍だ、倍の金額を払う」


「俺は国に害をなす馬鹿を殺しに来ただけだ。俺以外の意思はそこに存在しないぜ」


「そ、そんな理由で、人を殺してよいと思っているのか」


「あ? 立場分かってんのかよ」


 癖毛の男は、銃口でスーツの男の頭を小突く。


「本当の理由は別だ。せっかくだ、馬鹿を馬鹿のまま殺してもすっきりしないからな。……一つ講釈を垂れてやろう。お前、生箭日女を知っているか」


「あのアイドルもどきか」


「クズに相応しい浅はかな知識だな。ケガレビトと闘い、お前らから生まれた穢れを祓ってくれてるありがたい存在だろ」


「それが、なんだ」


「今、この国は穢れで溢れている。お前のようなクソ野郎のせいでな。生箭日女ってのはその尻拭いをしてくれてるわけだが、それは対症療法に過ぎない。原因を取り除かなければ、いつまで経ってもこの国は淀んだままだ」


「何が言いたい」


「黙って聞けねえのか、クソ野郎。人の姿をしているなら、知性くらい備えておけよ」


 木村は我慢の限界に達したのか目を剥く。銃が未だにモデルガンだと思っているのか、どうせ撃ってこないと思っているのかは分からない。


「お前のような社会不適合者が何を……」


 バンッ。


 轟音に近い銃声が車内に響く。癖毛の男は銃口を下げ、木村の胸を撃ち抜いていた。


「黙れ。聞く価値もない」


 再び、銃声。今度は頭だった。


 至近距離で放たれた五〇口径の弾頭は、人の頭を砕くのに威力は充分過ぎる。


 木村は血と脳漿を車内にまき散らし、ただの死骸へ変わった。


「死んだ後も汚え野郎だ」


 癖毛の男は吐き捨て、服や顔に飛び散った返り血も気にすることなく車を降り、悠々とその場を去っていった。

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