第8話:消耗品としての春

 かいが家を出て二時間ほど後、太陽も気温も昇った頃。戒の手には家を出た時に持っていた菊の花束はなく、彼は何事もなかったように霞ヶ関は実動祭祀部東京支部、つまりは警視庁舎まで出勤していた。


 福井警視の訪問からはしばらく経っているが、警視庁ではまだ、あの鋭い目の男の身元も、足取りすら掴めていない。


 一方で、実動祭祀部では動きがあった。


 部長である大野の判断により、福井警視の話が、実動祭祀部の全職員に明かされたのだ。


 当然ながら、捜査一課の許可は得ている。情報をあの男に流すなどしている人間がいたと仮定して、何らかの動きがある可能性に賭けたのだ。


 どちらかといえば苦肉の策だ、とは大野本人から聞いた話だ。


「まーったく、困っちゃうわね。同じ空気吸ってると似てくるのかしら」


 だが、護衛課副課長である日比谷は、そんな状況など知ったことかと言わんばかりに愚痴を垂れ流していた。


「娘さんのお話ですか」


「違う違う、ここにいる連中の話よ」


 そして、なぜか付き合わされているのは戒である。場所は東京支部内のある給湯室だ。


「どんどんポリ公に似てきちゃって、堅苦しいったらありゃしないわよ」


 時刻は戒の出勤時間から大体四分の一日後、太陽も中天から降り始めた昼過ぎの頃だ。


「それに、あの成りモノ殺しもそうだけど、向こうの所轄にも困ったもんよ」


「……例のケガレビトの件ですか」


「ええそう、新人ちゃんが相手したアレ」


 今まで聞き流していた戒は、本腰を入れて聞く体勢に切り替えた。


「捜査協力とか言って、陰陽課の人員が連れてかれちゃって。ほんと、よくやるわよ」


「結果はどうだったのですか?」


「……あったわよ。そうでなかったらとっちめてるわ。確か公表は今日。嫌になるわね」


 戒はスマートフォンを懐から出し、すぐさま調べてみた。


「所有者不明の民家敷地内より大量の死体……。これですか」


「そう。そんなことだろうと思ったけどね」


 記事の内容は、あくまで警察の発表をまとめただけの速報のようだった。


『某県の空き家となっている民家の地中から、大量の死体が発見された。外部から持ち込まれ遺棄された可能性が高いとみられる。また死体はどれも激しく損壊しており、体の一部のみが見つかった死体も多い。白骨化しかかっているものもあり、遺棄された時期はそれぞれ異なるとみられる。身元は全て不明――』


 凄惨、異常、その極みのような記事の内容だが、二人とも顔をしかめることもなかった。


 死穢しえを宿し、あんな姿をしたケガレビトを見た時から、予想はできていた。


 禍玉まがたまの対応区域内に、死んだ人間の腕ばかりが埋められているのではないか、と。


 嬉しくないことに、彼らの安直な想像はほぼ当たっていた。


「……前にもこんなことがあったわ。十年は昔だけど」


 十年以上前となると、戒は中学生ほどだったはずだが、そんな事件があった覚えはない。


「公表されなかったわよ。私たちがお日様の下に出れるような組織じゃなかったからね」


 戒が訊くよりも早く日比谷が答えた。


「そのときの犯人は」


「さあね。捜査四課が動いてた、とは聞いたわ」


 捜査四課。各都道府県警の刑事部に属し、現在二人がいる警視庁では組織犯罪対策課に当たる。通称であるマル暴の名の通り、暴力団犯罪の捜査を主とする部署だ。


 事件の内容から察するに、そういった組織が関わっているというのは納得できる。


「あとは、死体の身元が全く判明しなかったわね。その時の行方不明者の中から見当付けて、血縁がある人のDNAを何組も照合して、誰一人ね。どうしてだと思う、一色クン」


 訊かれ、戒は眉根を寄せた。


「鑑定の精度の問題では。腐乱や白骨化といった死体の損傷もあるでしょう」


「残念、ハズレ。まあ、私の考えと合っているか、ってだけだけど」


 言って、日比谷はティーポットを手に取った。戒が給湯室へやって来たころ、丁度日比谷がお湯を注いでいたものだ。因みに茶葉はセイロンである。


 だが、紅茶の抽出待ちのために始まった話は、戒にとって暇つぶしではなくなっていた。


「戸籍がなかった、と思ってるわ。あのときの死体。……あ、いる?」


「不法滞在者などですか? ……折角なので」


 日比谷は、戒のマグカップにも紅茶を注いだ後、自分のカップから一口啜って、続けた。


「そうとも限らないわよ。例えば、子供が産まれたときに何かの理由で出生届を出し損なえば、その子は無戸籍ってことになるわ。戸籍がない以上、そのままなら行政は把握できないし、住民票も当然ない。私たち国の機関からすれば、存在しない人間ってわけ」


「出し損なうなど、そんなことがあるのですか」


「結構あるわよ。常識的なケースでいけば、離婚調停中に生まれた子供とか。出生届は婚外子でない場合は両親双方の確認がいる。だけど、どちらかの親に問題があってやり取りどころでない、とかね。親権が母親だった時なんて、出産と生活でそれどころじゃないわ」


 戒は既に勘付いていた。この副課長はたまにこういうことをする。雑談から入り、いつのまにか重要なことを教え始める。


「では、非常識なケースは」


「親にそもそもそんな脳みそがない。不義か、偶々か、できてしまった子供の存在を隠して、医者にかからずにこっそり産んで、出生届のことなんて知らないから、そのまんま。最悪のケースだけどね。ああ、親も無戸籍だとなおあり得るわね。国民保険入れないし、大抵お金がないし、医者なんてかかれないわ」


 日比谷はカップの中で揺れる紅茶に視線を落としたまま続ける。


「そんな境遇の子はね、大概が酷い根無し草よ。いなくなったところで、誰も気に留めない。しかも戸籍すらなかったら? 最初からいなかった、ってことになる。そして犯罪に巻き込まれ、殺される。どうあがいても身元の分からないの死体のできあがりね」


 そういう子供は、どの国にもまだいるのだろう。豊かさは、必ず上と下を生む。


 だが今この給湯室の中での主題は、社会問題ではなかった。


「……話が脱線したにしてはいやに詳しかったですが、どうしてそのようなことを?」


生箭日女いくさひめになるような子はね、そんな生まれの子ばかりなのよ」


 戒は眉根を寄せる。日比谷が言うほどに酷い境遇ではないが、心当たりはあった。


 ともえからは父親の顔を知らないと聞いたことがある。それに、建御雷たけみかずちの生箭日女である百合阿ゆりあは児童養護施設の出だ。そして、彼の最もよく知る生箭日女も、天涯孤独だった。


「あの新人ちゃんはどうなのかしらね」


 意味深長そうに彼女はそう言い、紅茶を一気に飲み干した。


「……じゃ。お代は片付けね。ヨロシク」


 カップを簡単にすすぎ、日比谷は颯爽と給湯室を去っていく。


 一方、戒は壁にもたれ、マグカップの中の紅茶に口につけず、ただ考え込んでいた。


 顔を見せなかった里親、虚弱で小柄な身体。他にも、何となく気になるところはある。特に百合阿に稽古を頼んだとき、紫月しづきはどこか彼女によそよそしかった。その割りに、十も年齢が離れている自分に対しては、いやに距離が近いような気がしていた。


 親から愛情を注がれなかった子供は、過度に大人の関心を引こうとする。昔に誰かから聞いた知識が、脳裏に蘇る。言っていたのは、そう――。


 戒は少しばかり顔を歪め、紅茶を啜る。


「――やっぱり、分からないな」


 そして、そう独り言ちた。




 ――――*****――――


 鬼灯ほおずき:ニュースは見たか? まさか露見するとはな。


 弟切おとぎり:可能性がないわけじゃなかったし、まあ。


 鬼灯:苧環おだまき、組の犬どもは何と言ってきている?


 苧環:ケジメは着けさせる、とだけ連絡が来た。


 弟切:まあ、そりゃそうだよね。


 鬼灯:こちらまで辿られなければ良いが。


 苧環:見つけられたところで不都合はないだろう。


 鬼灯:しかしDNAを調べられては。


 苧環:調べたところで何と照合する? 処分したのは元から存在しない人間だ。


 弟切:鬼灯は心配性だね。


 鬼灯:まあ良いだろう。今のところは苧環を信頼する。


 弟切:まあそれに、もし何かあっても一番先に脱落するのは苧環だしね。


 苧環:どういう意味だ?


 弟切:一番危ない橋を渡ってる。どうしてあの拾い物を学校になんかやったの?


 苧環:悪いが、そろそろ帰ってくる時間だ。落ちるぞ。


 鬼灯:何かあればまた連絡する。


 ――――*****――――


 その男は眉間を揉みつつ、スマートフォンの画面を切って懐に仕舞った。


 そこはどこかのマンションの一室だった。男が一人で住んでいると考えるには広すぎる間取りで、内装は汚れがなく、生活感は薄い。


 彼は一服しようと、律義にベランダへ移る。目に痛いほどの夕焼けだった


 男は大柄で、壮年に差し掛かったほどに見える。背広姿であり、ベージュ色のツーピースに、ありふれたワイドカラーのシャツを身に付けていた。


 その背広からは濃密な夜の匂いが漂っている。酒、煙草、そして女物の香水の香りが混ざり合った、眠らぬ街がそこにあるかのような匂いだ。そしてそれは、彼が何を生業としているかを表しているようだった。


「……ただいまです」


 その後ろで、玄関のドアが開く音がした。

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