第9話:生膚断
「わ、わたし、怒られるんでしょうか……」
お台場、
その一方、彼女を呼び出した張本人であるとよは、紫月の向かいに座り、慈母のように微笑んでいた
「まさか。そんなこと致しません。紫月さんはとても頑張ってくれています。あと一年、紫月さんが大人でしたら、オモテ方に立ってもらえないかとお願いしているはずです」
オモテ方、というのは
顔と名前を明かし、テレビや雑誌などで自分たちの戦いを語り、人々が
「今日お話ししたいのは、以前皆さんにお話しした、殺人事件についてです。どうにも戸惑う方が多いので、皆さんお一人ずつにお話しをしているのです」
とよが言っているのは、やはり福井警視が持ってきたあの話のことだった。
実動祭祀部には全て伝えられているが、生箭日女に対しては成りモノの存在を隠すため、具体的な内容は伏せ、概要だけが伝えられていたのだ。
『穢れを多く生むような人間ばかりを殺している人がいるかもしれない』と。
意図としては注意喚起だった。
しかし、それはそれとして。
「私がいるのはどうしてです?」
紫月の隣に座る
戒は真っ先に話を聞いた人間の一人だ。それに、とよに報告をしたのも実は戒である。
その話をするのなら、戒がここにいる意味はないはずだ。
「戒さんも交えてお話しした方が良いかな……と。女の感で」
最後の部分だけいやに強調してとよが言う。
「はあ」
事実、紫月があの事件をどう考えているか、隣で聞けるのはありがたいことだが。
「では早速ですが……紫月さん。前にお話しした、人の悪い心が穢れを生むその直接的な原因、憶えていらっしゃいますか?」
「誰かを傷つける言葉、です」
紫月が即答すると、とよは嬉しそうに微笑む。
「この間教えたばかりですけど、しっかり憶えてくれていて嬉しいです」
それからとよは、まるで目に見えない教本でも朗読するかのようにつらつらと語った。
「言葉を正しく受け取らず、正しく使わず、それによって人の心を傷つける。それは人の肌を刃をもって斬りつけることに等しい行為です。これは、
国津罪とは、古来より神道にて語り継がれてきた、現代で言うところの犯罪行為だ。対となるものに
天津罪は主に農耕作業を妨害する行為が、国津罪は現代でも禁じられる傷害や近親相姦などの行為が該当する。これが定められた頃は罪と災害が区分けされていないため、疾病や自然災害が罪とされている項目もあるが、それはさておき。
国津罪は、それを犯すことにより穢れが生じるとされている。
この国津罪は、神々と
また生膚断とは、生きている人間の肌を切り流血させることだ。早い話が傷害罪である。
という知識を含めて
戒は、そっと隣の紫月を見てみる。
「は、はいっ……!」
――どうやら、詳しい内容はよく分かっていない、という顔だ。
補足なら自分が後でいくらでもできるからまあ良いか、と戒は心中で溜息を吐いた。
「ですが、本来ならばそれにより発生する穢れは少ないものでした。ですが今は
「……ショートメッセージですね、それは。SNSかと」
堪えきれずに突っ込む戒に、とよはわざとらしくこほんと咳払いし、更に続けた。
「この数十年で、えすえぬえすや、それの基盤となるインターネットの普及などで、人の世は大きく変わりました。人々がお互いの顔すら知らずに言葉だけで繋がり、相手を言葉で傷つけることがごく容易になり、あまつさえそれが悪いものとすら認識されなくなりました。結果、言葉が人の心を傷つける事が酷く増え、穢れがこの国に溢れたのです。後は、紫月さんのような生箭日女という存在がそれを祓うために生まれ、今に至ります」
ちなみにこれは、生箭日女となった少女が最初に説明されることであり、世間にも公表している事実でもある。無論紫月も一月ほど前に説明されているのだが、とよは気を利かせておさらいしてくれたらしい。
「では、ここからが本題なのですが、紫月さん」
急にとよの目が真剣になり、それに見据えられた紫月は無意識に背筋を伸ばした。
「この積もり積もった穢れをなくすには、どうしたらよいのでしょう」
「……ケガレビトをたくさん倒す、ですか?」
小首を傾げつつ紫月が言うが、とよは首を横に振った。
「それではいたちごっこです。どれだけ穢れを祓おうと、誰かの心を傷つける人がいる限り、穢れはいくらでも生じます」
「それって……」
案の定、そこで紫月はピンと来たらしい。
穢れを多く生む人間ばかり殺す人がいる、などと言われれば、誰しも気付くだろう。
「穢れを生む人がいなくなればいい、ってことですか」
紫月が、僅かに恐怖を滲ませて答える。
「……そうですね。理屈としては、正解の一つです」
「と、とよ様……?」
「穢れを祓うというのは、言ってみれば病気の症状を、薬で抑えているだけなのです。病気の原因に対して、何もしていない」
それは揺るがぬ事実だった。禍言祓で穢れを祓ったとて、穢れはまた積もるだけだ。
しばしの沈黙。
「……でも、嫌です」
紫月が、先ほどよりも声を震わせて、それを打ち破った。
「どんなに人を傷つける悪い人でも……、死んじゃうのは、嫌です。そんな人でも、死んだら悲しむ人が、きっといるから」
それはきっと、上代紫月という少女の心の、根のところにある気持ちなのだろう。
そんな声を、戒は初めて聞いた。
「……ありがとう。紫月さんが優しい方で良かった」
とよが、慈母のような微笑みに戻る。
「わたしは戒さんが助け船を出すかと思っていたのですけど」
とよに視線を送られた戒は、黙って目を逸らした。
「とよ様が意地悪をされているのが、似合っておりませんでしたので」
「ふふ。負け惜しみにしか聞こえませんね」
実際、負け惜しみだ。なので戒は露骨に話題を変える。
「……そもそも、そのやり方は問題があるでしょう」
「ええ。ですから、理屈としては、と言ったのですよ」
「そ、そうなんですか?」
一人だけ理解が追い付いていない紫月が、安堵の表情と共に戒ととよを交互に見る。
「そうなんですよ。仮に、穢れを多く生む人間をこの国から取り除くとして、まず穢れを多く生むとはどこまでを指すのでしょうか。意図せず人を傷つけることもありまし、言葉は厳しくとも行動は優しいというような方もいるでしょう」
「本来、穢れとは人間が生きる上で必ず生まれるものだ。例えば流血や病も穢れを生むが、それを避けることは困難だ。極論、穢れを生む人間を消していった先には、誰も残らない」
「でも、何か基準を決めて、それ以上穢れを生む人は、ってしたらどうなんでしょう。その……殺人してる人に賛成じゃないですけど」
紫月が訊くが、戒は首を横に振った。
「簡単なことだ。人の死によって生まれる穢れ、
その言葉を聞いた紫月は、あの戦いを思い出して暗い顔をする。だが、今回ばかりはそれで良い。穢れの怖さは身に染みるくらいで丁度いいのだ。
「じゃあ……どうしたら良いんでしょうか」
沈んだ声の紫月に、再三とよが微笑む。
「あなたはあなたのまま、生箭日女でいてくれればいいのです。あとは、できれば一年後に、オモテ方に回ってくれると嬉しいのですけど」
「でも、それは解決にならないって」
「いいえ。私たちは、それで解決を目指しているのです。オモテ方はそのためのものです」
「えっと……みんな優しくしてね、ってテレビで言う、とかですか?」
紫月としては半ば冗談のつもりだったかもしれないが、とよはとても満足気だった。
「ええ、その通りです」
語尾に音符のマークでも付きそうなほど上機嫌な声である。
「穢れを祓う生箭日女の姿を見せること。それこそが、他者を傷つける人々を正す、最も穏便な薬となる。私はそう考えています。あなた達の姿を見て、人々が少しずつ変わっていってくれると信じている、とも言えますね」
「でも、時間かかりますよね、きっと」
「承知の上です。それに何より、人を殺すなんて駄目ですから。頑張りましょうね」
紫月は力強く頷いた。
「はい……! わたし、頑張ります!」
純粋すぎて心配になる、と戒は心中で溜め息を吐いた。
「ふふ。ありがとうございます。では早速、紫月さんの次の祓を決めましょうか」
「え……?」
ぽかんとする紫月を尻目に、とよは懐から組紐付きの小さな鈴を取り出した。
そして、それを右手で垂らし、左手で隠すと、目を瞑りチリンと鳴らす。
瞬間、周囲の空気が張り詰めるかのように清浄なものへ変わる。
いつの間にか、常に聞こえているはずの波の音も風の音も、全く止んでいた。それは、生箭日女が合一を行う直前の空気によく似ていた。
そして、三人だけだった本殿の中に、もう一人、誰かがいるような気配がする。姿は見えないが、戒も紫月も、それはとよの隣にいるような気がしていた。
「……はい、はい。承知しました」
目を瞑ったままのとよは、何かと言葉を交わしているように相槌を打つ。そして、垂らしていた鈴を左手で掴む。すると、清浄な空気は消え、波風の音も戻ってきた。
「戒さん。
「随分と早いですね」
「最近増えているのです。突然、許容限界が近くなることが」
平然と会話を続ける戒ととよに対して、当然ながら紫月は未だ驚いた表情のままである。
「い、今のは……」
「少しお呼びしたのです。
「穢れの神様……? あの、それって」
紫月の言わんとすることを遮るようにとよが続ける。
「悪い神などおりませんよ」
人に害をなすならば
「先ほども言ったように、人は生きる上で必ず穢れを生じます。八十禍津日様はそれを抑え込んだり、然るべきところへ流したりといったことを助ける方です。次に許容限界を迎える
「ちなみに、さっきの番号は禍玉に割り振られているものだ。あの番号なら恐らく、静岡か山梨辺りだ。あまり遠くはないだろう」
「ほえー……」
ここまでの情報の濁流に、いよいよ珍妙な声を出し始めた紫月だったが、そこでふと我に返り、とよの方へ身を乗り出した。
「あ、あのっ。訊こうと思っていたんですけど、とよ様っていったい何者なんでしょうか」
すると彼女は驚いた表情で口許を抑え、戒の方を見た。
「私、言っていませんでしたか」
「ええ」
「すいません……、特に理由はなかったのですが、話したものと」
紫月をここに迎えたとき、とよは立て込んでいたし、どうもそれのせいのようである。
「ところで紫月さん。この日女神社の主祭神はご存じですか?」
「確か、豊受姫様です。……え?」
「ええ、そうです。ちなみにここ、本殿なのですが、御神体も何もありませんよね。どうしてでしょうか」
大抵の人間はその答えに見当がつくだろう。それが信じがたいということを除けば。
「御神体がもうある、ってことですか……?」
「正解です」
極めて悪戯っぽく、
「ここの主祭神、私なのです。廓場とよは人としての名。神としての名は豊受姫。神が人の世に深く関わるために、人の身で産まれ直した転生体、或いは化身。それが私です」
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