第10話:国津神は笑う・前


 とよとの語らいから数日後、静岡県某所。


「……修祓しゅうほつ開始」


 かいが、禍事祓まがごとばらえの開始を告げる。紫月しづきは二度目の祓を迎えていた。


ちぎりにりててんおわ御名みなばん。天之御影命あめのみかげのみこと


 夕暮れ時の山間。荒れ果てた、元は畑だっただろう空き地に、紫月の声が響く。


「――合一ごういつ!」


 紫月の姿が変わる。そして彼女は、空き地の中央に置かれた禍玉まがたまへ小刀を突き立てた。


「封牢結界正常。幽質臨界開始」


 陰陽課職員の報告と同時に、禍玉から噴き出ていた黒い靄が一つにまとまり始める。


赤穢あかけがれの割合は」


「二四パーセント。平均より多いですが、許容範囲内」


 やはり、多い。職員は平均より多いと評したが、異常だ。老人の多い過疎地域は必然的に死者も多く、それが死穢しえを生み、赤穢れとして禍玉に蓄積されてしまう。それでも、通常で二割を超えることは今までなかった。六割なんてものは例外中の例外である。


「臨界停止、顕現完了を確認」


 ケガレビトが人の形を取る。形容するならば、赤みの混じった黒の影を凝り固めた泥人形、あるいは焼けただれたマネキンだ。頭はあるが顔はない。ほとんどのケガレビトはこの姿を取る。数多の人間が生み出した穢れが凝縮されたために、人の真似事を始めるのだ。


 紫月が小刀を一振りし、水晶の刃で伸長させて打刀うちがたなの形へ変化させる。彼女は八相の構えを取り、ケガレビトへと間合いを詰めていく。


 あれは迷っている。自分の判断に自信がない。戒は紫月の立ち姿を見てそう判断した。


 何度も彼女の立ち姿を見てきたのだ、合一していても、あそこまで迷っていれば分かる。


「紫月、先に刀を打っておいた良い。まだ封牢は機能している」


「は、はい」


 彼女は上ずった声で返事をして構えを解くと、天之御影の力による鍛造を始める。


 手を翳した先の空間から、幾度か金属音が鳴って火花が散り、水晶の刃が次々と姿を現し、紫月の背後へとふわりと移動する。


 そして、紫月の後ろに浮かぶ刃が三本になった頃、ケガレビトの周囲の空間が、硝子のようにひび割れた。


「封牢耐久限界。停止します」


 何もない空間に生じていたひび割れが消える。それと同時、浮かんでいた刃のうち二本が飛翔すると、ケガレビトの頭上から突き立ち、その両脚を地面に縫い付けた。


 紫月は、残る一本の刃を傍らに浮かべたまま、ケガレビトへ踏み込む。


 ケガレビトはそれに反応するように、紫月へと手を伸ばした。たっときものから穢す、ケガレビトの本能じみた反応。


「……っ」


 紫月は紙一重でそれを交わし、半円を描くように打刀を振るう。


 ケガレビトの腕が、肘と思しき部分を断ち切られ、宙を舞った。


「……加茂さん」


「オーケー」


 ケガレビトの腕が飛んで行った方向の祈祷課職員が、甲高い口笛を吹く。すると、彼の元から、白い鳥のような何かが凄まじい速度で飛び出し、空中の真っ黒な腕を貫いた。


 ケガレビトの腕は黒い靄へ還り、そのまま消え去った。


 生箭日女が討ち漏らした部分の処理も、祈祷課の業務の内だ。因みに、今の白い鳥のようなものは式神らしい。戒はそちらの方面の知識が浅いため詳しくは知らないのだが。


 一方、紫月の祓はもう片付きそうだった。


 彼女は残していた最後の刃を右手に持ち、ケガレビトへ袈裟斬りを見舞う。その刃は深々とケガレビトの身へ潜り込んだ。紫月はその刃から手を離すと、左手に持っていた打刀を両手で構え、身の捻りも加えて一文字に斬りつける。


 今度は、刎ね飛ばされたケガレビトの頭が宙を舞った。


 それは祈祷課の攻撃を待つまでもなく空へ消え、残ったケガレビトの身体もまた、黒く霧散し始めていた。


「修祓終了」


 戒の宣言と同時に、張り詰めていた空気が解れる。


 戒はそれぞれ次の仕事にかかる祈祷課や陰陽課の面々を見つつ、その場に立ち尽くしていた紫月に歩み寄り、とんとんと肩を叩く。すると、紫月はびくりと飛び跳ねた。緊張の糸が切れた反動で、完全に気が抜けていたようだった。


「うぇ!? あ……戒さん」


「よくやった。杞憂だと言っただろう」


「……はい!」


 今まで見たこともないほどに明るい笑みで、紫月が頷いた。


 鍛錬と勝利。二つが成った今、彼女の自信喪失期間もこれで終わるだろうか。


「――何だよ、もう終わってんのか。仕事が早くて結構なことだなあ、オイ」


 突然聞こえたその声に、祓の現場の空気が再び張り詰める。


 禍言祓の現場は、当然ながら一般の人間は立ち入れない。人が多い住宅地であれば一時的に避難してもらうほか、都心部などでそうはいかない場合は人払いのまじないを使う。


 人の少ない過疎地域であるここはそのどちらにも該当しないが、それでも立ち入り禁止であることに変わりはなく、そんなところに入ってくる人間がまともであるわけがない。


 だが、それよりも立ち入って来た人物の外見が問題だった。


 ボリュームのある癖毛に、獣のような眼光の細い眼、季節外れのモッズコート。


 福井警視が見せた写真の男が、そこにいた。


「紫月、俺の後ろに。合一は解くな」


 彼女が戒の後ろに身を半分ほど隠す。こんな日に限って、他の護衛課の人間はいない。急な祓であったことやその他諸々の要素が重なり、紫月の専属である戒のみが来ていた。


 一方、その人物は、悠々とした足取りで細い道路を歩いてきていた。祓の現場は山間の空き地であり、裏手は深い茂みとなっている。逃げ出すのは難しいだろう。


「そう警戒するなよ。おっと、でも一一〇番は勘弁な。俺を警戒するってことは、何を持ってるか知ってる、ってことだろ?」


 男は笑いながら歩を進め、アスファルトから露地の部分へ踏み入り、あぜへ腰を降ろした。


「まあ取り敢えず落ち着けよ。俺はお前らのことが好きなんだ、仲良くしようぜ」


「殺人犯とは願い下げだ」


 結果的に男と最前で相対することになった戒が、そう答える。


「好きで殺しているわけじゃない。殺さなければこの国は積もった穢れで沈んじまうだろ」


 戒は眉根を寄せる。やはりこの男は、実動祭祀部と同程度の情報を持っている。


「その前に、死穢で沈むぞ」


 人の死によって生じる死穢により生箭日女いくさひめが敗れ、禍言祓が成されなくなれば、赤穢れも黒穢れも、等しくまき散らされる。そうなれば、日本は終わりだ。地獄となるだろう。


「そうだな。だから自分で祓おうと思ったんだよ」


 男は、砕かれた禍玉の方向へ顎をしゃくった。


「そいつ、赤穢れが多かっただろ。一年ぐらい前だ、俺がこの辺で殺しをやった。他の場所で成りモノを生んだやつだ」


「どうやって知った」


 禍事祓の実施情報は、祓の三日以上前に宮内庁より発表されることになっている。常にアンテナを張っていれば知ることは可能だ。しかし、成りモノを生んだ人間など誰も知りようがない。実動祭祀部ですら、祓う際に見る顔しか分からないのだ。


「知ってるだろ、神々は一枚岩じゃない」


 男は笑みを浮かべたまま続ける。


建御雷たけみかづち経津主ふつぬし天之御影あめのみかげ。全て、天津神あまつかみだ。だが神とは、天津神だけか?」


 天津神とは、その名の通り、遥か天にあるという高天原たかまがはらに属する神々だ。主宰は天照あまてらす。同時に、彼らは来訪者でもある。この日本――中津国なかつくにに元からいた神もいる。


「違うだろう。そも、この地を造った者が、国津神くにつかみがいる」


「国津神が、成りモノを生む人間を知っていると?」


「ああ。久延毘古くえびこって、一日中ずっと世を眺めているやつがいるのさ。お前のことも聞いてるぜ、一色戒いっしきかい


 男は戒を指差しながら言うと、顔から笑みを消した。


「講釈はここまで。こっからは真面目な話だ。なあ、お前。俺たちに付かないか」


「……何?」


 全くもって文脈が分からず、戒は訊き返す。


「お前が人殺しをいとうのは、生箭日女に危険が及ぶからだろう。ならば生箭日女に祓をさせなければ良い。国の都合に子供を巻き込むな。俺と、お前で、赤穢れを祓えば良い」


「悪い冗談にしか聞こえないな」


 人殺しを是とするなど、受け入れられるはずもない。


「冗談はお前の方だろ。この国の現状を考えろ。穢れを生み出すクズのために、生箭日女という寄る辺の無い少女たちを犠牲にしている。こっちの方が悪い冗談だぜ」


 戒は僅かに振り返り、後ろの紫月を見る。


 人が死ぬのは嫌だ、と自分の言葉で言った彼女を、犠牲とは思いたくない。


「……犠牲という、その捉え方が間違いだ」


「オイオイ。だったら、佐城朝那さじょうあさなは違うのか。犠牲でなくして、なんだ」


 戒は、すんと腹の底が冷たくなった気がした。いや、熱すぎて、冷たく感じているのか。


「……戒さん?」


 雰囲気が変わったのを感じたのか、紫月が声を掛ける。だが、戒はそれに答えない。


「稚拙な挑発だな」


 そう、戒は男に吐き捨てる。言葉に反して、戒の声には怒りが籠っていた。


「その問答はもう終わっている」


「思考停止って言うんだぜ、それ」


 男はぼりぼりと頭を掻き、溜め息を吐き、そして再度口を開いた。


「まあいいさ。本命はお前じゃないんでな。神産みだ」


「神産み?」


「そうとも。――なあ、上代紫月かみしろしづき


 名を呼ばれ、紫月が身を強張こわばらせる。


「なぜ、生箭日女などやってる。痛い目を見たんだろ、何故続ける」


「……それは」


「お前なら分かるんじゃないのか。この国に、救うに値しない人間は存在する。そんな人間が犯した過ちのために、なぜお前が危険を冒さないといけない?」


「助けたい人……助けになりたい人だって、います」


「そりゃ誰のことを言ってる? あの母親か。今の父親か。だとしたらお笑いものだぜ」


「……やめてください」


 男はそれまでの挑発的な声音からうって変わり、まるで諭すように続ける。


「逃げ出せ。俺たちに付け、上代紫月。お前の父が何をしているか知っているはずだ。手遅れになるぞ」


「やめて!」


 紫月が叫ぶ。それと同時に、祓に使ったまま残っていた刃が、男めがけて飛翔する。


 しかし男は全く動かない。水晶の刃は、三本全てが男の足元の地面へ突き立った。


「……え」


 そして、何故か紫月が驚いて固まっていた。


「威嚇のつもりかよ、天之御影。過保護なことだな」


 一方で、男は微塵も怯んだ様子はなく、ゆっくりと立ち上がった。


「だが、本当にその少女のためを思うなら、手放せ。そのままではどういう道を辿るか、分かるだろう」


「……俺が代わりに答えよう」


 口を挟んだのは戒だった。


「断る」


 言いつつ、軍刀の鯉口こいぐちを切る。


「殺人犯になど、誰だろうと渡せないに決まっている」


「……まあ、普通そうだよな」


 男はあっけらかんと言い、モッズコートのポケットから、武骨な拳銃を取り出した。デザートイーグル。拳銃にしては大きな口径の、暴力が形をとったような存在。


「悪いな。こっちも、人を殺しても良しとするくらいには切羽詰まってるんだ」


 ――男は、戒へ銃口を向けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る