第29話:男と大人と


「――見つかりました! 渋谷、109近くです!」


 時間と場所を戻し、日女ひめ神社境内、実動祭祀部本部事務室。


 東京支部から掛かってきた電話を取ったともえが叫ぶ。


「大きな拳銃を持った男と闘っているって」


「……少彦名すくなひこな様ですね」


 とよが口を挟む。


「恐らく、彼らも紫月しづきさんの行動は予想外だったのでしょう。禍玉まがたまを荒らされることは、彼らも望むところではありませんから」


「まさか、紫月ちゃんを……」


 百合阿ゆりあが青くなって訊くが、とよは首を横に振った。


「いいえ。それでは、彼女が溜め込んだ穢れで渋谷一帯が汚染されてしまう」


「……祓わせようとしているのでしょう、私たちに」


 かいが言うと、とよは頷き返した。


「でも祓うったって、上代ちゃんが壊した禍玉、五十近くあんのよ。一色いっしきくんの刀は消えちゃったし、今動ける生箭日女いくさひめ、荒巻ちゃんと後は新米だけよ」


「――そんなもん、俺がやればいい」


 日比谷が言うと、その隣の大野が口を開いた。


「あんたそれ、誰がお上に許可取んのよ」


「そりゃお前だろ」


 日比谷は頭を抱える。しかし、それしか選択肢がないことも分かっていたようだった。


「……いいわよ。どうにかしてやるわ」


「よし、決まりだ。……来栖くるす、電話の相手は」


「うちの課長です」


「分かった、代わってくれ」


 大野は巴から受話器を受け取る。


「どうも、大野です。急で悪いんですが、集められるだけの人間を集めてください。陰陽課もです。休みの奴も含めて。渋谷で禍言祓まがごとばらえです。ド派手なやつをね」


 大野はその後も、次々に指示を出していく。それを終えると、乱雑に受話器を置いた。


「……行くぞ。大祓おおはらえだ」



 実動祭祀部本部、一室。


 大野たちとのブリーフィングを終えた戒は、誰もいない部屋で黙々と支度をしていた。


 グレーのベストの上から剣帯を着け、黒鞘の軍刀を帯びる。ピアスのない左耳にインカムを着け、黒の革手袋を嵌め、着慣れたジャケットに袖を通す。


 こうして祓の準備をするのは、随分と久しぶりな気がしていた。


「――ねえ、一色さん。ちょっといい?」


 開けっ放しにしていた戸口から声が響く。


 戒が目を向けると、いつもの白い狩衣かりぎぬに身を包んだ巴がいた。


「とよ様から聞いたよ。……朝那あさなさんが、紫月ちゃんの隣にいた神だったんだよね」


「はい」


「一色さん、お別れしてきたんだよね、朝那あさなさんと」


「……はい」


 戒が頷くと、巴は少しの間目を閉じ、息を深く吸った。それは何かに踏ん切りをつけているように見えた。


「一色さんが良いんだったら、そのことは訊かない。訊きたいのは、紫月ちゃんのこと。どうするつもりなのかなって」


「作戦は共有された通りかと思いますが」


「そっちじゃなくて。祓が終わった後のこと」


 戒から視線を逸らすことはなく、しかしどこか迷いを感じさせながら、巴は続ける。


「……とよ様から、大体聞いたよ」


 十中八九、紫月のことだ。


「一色さんも、何となく知ってると思うけどさ。紫月ちゃんみたいな子を本当に助けようと思ったら、誰かが一生を懸けないといけないの。この祓が成功しても、それで終わりじゃない」


 戒もそれは理解しているつもりだった。


 生まれてからずっと、寄る辺なく生きてきた。生箭日女になるのは、多くがそんな少女たちだ。


「あたしも、紫月ちゃんみたいな生まれの人を何人も見てきた。生箭日女だった子も、そうじゃない子も。それで、親の代わりとか、お兄さんお姉さんの代わり、それか恋人とか……そういう誰かを見つけて、一緒に生きれるようになった人は何人も知ってる。……その逆も。だからさ」


 巴の瞳が訴えている。


 紫月を救うために一生を懸けるのが、誰であるべきか。


「承知しています」


 躊躇いもなく、戒は頷く。迷いは朝那と共に消えていた。


 しかし、巴は更に訊く。


「それって、一色さんの本当の気持ち?」


「本心……だとは思っています」


 少し迷って、戒はそう答えた。迷ったのは、自身の気持ちを再確認する必要があったことと、巴の意図を推し量ったからだ。


「朝那が死んでから、ずっと、あなたや荒牧あらまきさん、そして紫月や、他の生箭日女のためにとやってきました。それは、朝那のしてきたことを続けなければと思ったからです」


 しかし、そうやってきて、もう五年にもなろうとしているのだ。


「ですが、それは既に私自身の願いでもあるのです。恐らく、ずっと前から」


「……えっと、そういうんじゃなくて。いや、そういうのでも合っているんだけども」


 どうやら、戒の回答は外れだったらしい。


「一色さんのポジションで紫月ちゃんを支えようとしたら、付き合うわけでしょ。ていうか、付き合うよ。いつかは、絶対に」


 それはいつぞやにファミレスで話した、紫月が戒のことを好いているという話だろう。


「普通だったら、あたしに話すようなことじゃないけど。でも、これだけは聞かせて。そうじゃなきゃ、行かせられない。だって、もしそうじゃないなら、不幸になっちゃうから。紫月ちゃんも……一色さんも」


「覚悟はあります。ここまで来た以上、その選択肢は……」


「そうじゃなくって!」


 巴は声を荒げると、大股に敷居を跨いで戒に詰め寄った。


「紫月ちゃんのこと、一色さんは好きなの?」


 ひたすら直球にそう問われ、戒は押し黙る。


 全くもって今更ながら、考えたことがなかった。


 しかし、意識していなかっただけで、その心はとっくに決まっていた。


「恐らく……来栖さんの想像するような感情は、私にはないと思います」


 これは、一般的な男女間にあるような感情とは、少し違うのだろう。だが、それでも。


「ですが、私は上代かみしろがまた笑顔で過ごせるようにしたい。この願いは、絶対です。決して、義務感だけでそう思っているわけではないのです」


 それは、朝那に託されたからでもなく、ましてや恋慕を抱かれているからでもなく。ただ、紫月の隣にいた一人の人間としての願いだった。


「そして願わくば、それを成すのは、私であって欲しい。そう思います」


 戒がそう言うと、巴は肩の力を抜き、少し息を吐いた。


「……まあ、及第点かな」


 そして、目尻を下げて笑う。

 

「じゃあ、行こっか。紫月ちゃんが待ってる」


「ええ」


 その笑みがどこか寂し気だったのは、戒の気のせいだったろうか。

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