第28話:ケガレ宿しの花

 ――そして、翌朝。


「やはり、そうでしたか」


 同じ部屋で、とよはかいと向かい合い、彼から朝那あさなや陽のことを聞いていた。


「恐らく陽さんというのは、まだ紫月しづきさんが神産かみうみとして目覚める前に生まれたタルパだったのでしょう。だから、天も把握していなかった。……或いは、私に伝えなかった」


「それが、朝那が居なくなったことで再び表に出てきて、神となってしまった、と」


「それも、恐らくは。……それで、戒さんはこれからどうされるつもりですか?」


「当然、上代かみしろを連れ戻します」


 迷うことなく戒は言い切った。


「それが紫月さんの願いに反していても?」


「私は、私の良心に従うだけです」


 すると、とよは微笑んだ。


「良かった。いつもの戒さんですね」


「……そうかもしれませんね」


 朝那と言葉を交わした今、戒自身は憑き物が落ちたような気でいるのだが、確かに、やろうとしていることは今までと変わりがない。


 二人は立ち上がると、その部屋を後にし、庶務課の部屋へと向かう。


「お、戻ったか。こっちだ」


 庶務課には、どういう訳か大野がいた。それどころか、日比谷、ともえ、更には百合阿ゆりあまでがいる。全員集合といったところだろうか。


 余談だが、こうして本部で頭を突き合わせているのは、支部が紫月の騒動でうるさくなってしまったからだ。要は逃げ出してきたわけであるが、それはさておき。


 応接セットのテーブルの上には大きなモニタが置かれ、皆その前に集まっていた。


 戒ととよは、それに混じりモニタを見る。そこに表示されているのは、至るところに赤の×印の付いた地図だ。場所は東京、渋谷。


「移動したのですか」


「ええ。夜は歌舞伎町辺りに居たみたいだけど」


 目の下に隈をつくっている日比谷が言い、モニタの下に出されているマウスを操作し、地図の表示区域を動かす。


「新宿辺りはの禍玉まがたまはもうほとんど壊されてる。でもやっぱり、祓をした形跡はなし」


「あと、さっき判ったんだけど、人造龍脈が弄られてる。少しづつ流れ先が動いてるの」


 今度は巴が言う。因みに人造龍脈とは、祈祷課が敷設した独自の龍脈のことだ。


 龍脈とはそもそも風水の用語で、地中にある気の流れのことだ。祈祷課はそれの一部の流れを変え、穢れを禍玉へ流れ込ませるために使用している。


「全く、とんでもねえことをしてくれるな、上代は」


 大野がそう独り言ちた。




 少しだけ時間を巻き戻し、昨晩。東京都新宿区、眠らない街、歌舞伎町の片隅にて。


 雑居ビルの裏側で、合一したままの紫月は禍玉を砕いていた。その手には、全てが水晶でできた小刀が握られている。しかしその形は、刺々しく、歪だった。


 またその傍らには、こじ開けられた禍玉の収納箱が転がっている。鍵穴部分からは紫月の能力で生じたらしき花が一輪芽吹いており、その根が、鍵の機構を粉々に破壊していた。


 砕かれた禍玉から真っ黒な幽質があふれ出し、紫月の周囲へ広がっていく。


 しかし、結界もないはずだというのに、幽質はその場に留まると、紫月の身体に刻まれた花の紋様へと吸い込まれていった。


「……んぐっ」


 紫月が苦悶の声を漏らす。


 薄紫の美しい色をしていた花の紋様が、手と足の先から赤黒く染まっていく。それはひとしきり蠢いた後、紫月の腕と脚を黒く染め、落ち着いた。


 紫月はこうして、禍玉から穢れを吸収していた。彼女の腕と脚の赤黒く染まった紋様はため込んだ穢れの量に比例しており、この禍玉を砕いた時点で、既に肘と膝のあたりまでが赤黒くなっていた。


『紫月、大丈夫?』


 彼女の頭の中に声が響く。合一している陽の声だった。


「うん……大丈夫だよ。まだ、全然だから」


 紫月は立ち上がり、よろよろと歩き出す。その手から水晶の小刀が滑り落ち、しかしアスファルトの上に落ちるよりも早く、燐光となって消えた。


「陽ちゃん、次は」


『待って。今龍脈を紫月に繋げてる』


「んっ……」


 ぞわっと背筋を撫でるような不快な感覚が走る。陽が紫月の身体へ、先ほど壊した禍玉へ繋がっていた人造龍脈を接続したのだ。


 穢れを貯めるべき禍玉を壊した以上、別の場所へそれを流さなければならない。そしてその別の場所とは、紫月の身体だった。


「……ありがとう、陽ちゃん」


 紫月は再び、灯りに誘われる羽虫のように、表通りの喧噪へ向かって歩き出す。


『……紫月。一つ、訊いていいかい』


「何?」


『どうしてこんなことを?』


「それは……」


『ああ、いや。責めているわけじゃないんだ。僕は紫月が望むならそれでいい。だけどこれは、君の望みから外れていないか? あの男の前から居なくなれれば良かったんだろう?』


 紫月は、ふにゃりとした笑みを浮かべた。


「そんなの……分かんないよ……」


 それからも、紫月は禍玉を砕いて回った。禍玉の場所の探索と、接続されていた龍脈の再接続は合一している陽が行った。どこでそんなことを知ったのかと尋ねると『僕は紫月の望んだことができる神様だから』と返された。


『紫月、そろそろ休もう』


 周辺の禍玉を粗方当たった辺りで、陽がそう提案した。


「でも、まだ、まだわたしには」


『そうじゃない。体力の話だよ。その辺で倒れて、怖い男の人に悪戯されたいかい?』


 陽の言う通り、単純に紫月は体力の限界だった。


 元々雀の涙ほどの体力しかない上に、今日のことだとは信じられないのだが、昼間は戒と出掛けており、更にはまともに夕食も取っていないのだ。


「う……分かったよ」


 紫月は呟いて、辺りを見渡す。


 今いるのは、映画館が入っているらしい巨大なビルの横だった。近くには怪獣のモニュメントが見える。周りにいるのは、紫月と同じくらいの歳頃の少年や少女ばかりだった。誰もが派手な髪色で派手な服を着ていて、中には大声を上げて騒いでいる者もいる。


『少し物騒だね、別の場所に行こう』


 陽に促され、紫月はその場を離れ、通りからちらりと見えた公園の方向へ歩く。


 公園に着くと、その脇の通りに沢山の女性が立っているのが見えた。中には紫月と歳の変わらないような人も見えるが、大抵は年上のようだ。そしてなぜか、男性が何人か、公園の中や通りを行ったり来たりしている。


 だが、ひとまずはさっきの場所よりも静かそうで、座れそうな植え込みもあった。


『……紫月、ここは駄目だ。すぐ離れて』


 陽がそう語りかけたとき、紫月の目の前で男が立ち止まる。


「いくら?」


「え、え……?」


「へー、タトゥー入れてんの。珍しいね」


 男は何の躊躇いもなく、パーカーから僅かにはだけた紫月の胸元へ手を伸ばす。


『走るんだ、紫月!』


 脳裏で響いた陽の声に、紫月は弾かれたように駆け出した。


「あ、ちょっと」


 男は追いかけてくる様子は見せず、それを確認した紫月は、何度か路地を曲がると、小さな路地へと駆け込み、そこで息を整えた。


「なに、あれ……」


『平気かい?』


「うん……」


 しかし結局、怖くなってしまった紫月は、その路地の隅で蹲り、休息を取ることにした。


 その路地のある一帯は治安があまり良くないようで、集積所には回収日外のごみが積まれており、腐臭を放っていた。


「なんか、懐かしいね、陽ちゃん」


『……そうだね』


 かつて母と暮らしていた家は、母がごみを棄てないばかりにリビングの端に膨れ上がったゴミ袋が積まれていたのだ。


 三時間か、四時間か。うとうとしては目覚め、痛む身体に小さく呻き、また眠り入ろうとするのを繰り返し、いつのまにか路地から見上げる細い空が白んでいた。


「パーカー、弁償しないとだよね。どうやってしよう……」


 自らの汗で酷く汚れてしまった服を見て、紫月は呟く。パーカーは巴のものだったはずだ。しかし戒に別れを告げてしまった以上、巴とももう会うことはないだろう。


『会えたらでいいさ』


「……うん」


 頷いて、紫月は再び、覚束ない足取りで歩み出す。また禍玉を探すつもりだった。


「――あ、ここ」


 穢れを集めながらあてどなく歩き回り、いつしか太陽も上っていた頃。紫月はいつの間にか、渋谷の戒と訪れた喫茶店の前まで来ていた。


 そう言えば、戒と一緒に食べたあのパフェが最後の食事だった。だというのに、そもそも昨日一緒に出掛けていたことすら、遥か昔のようだった。


「お金もないし、こんなんじゃ入れないよね……」


 紫月は自身の身体を見下ろす。砕いた禍玉は、十や二十では下らないだろう。彼女の身体の紋様は、いつしかほとんどが赤黒く染まっていた。


 脚から太腿、そして腹の辺り、腕から肩、首筋まで。紫月をさいなむように、赤黒い花はしっかりと刻まれている。


「……もうこんなに。わたし一人じゃ、これぐらいしかできないんだ……」


 独り言をぶつぶつと呟いている紫月を、道を歩く人々はほとんど無視して歩いていく。


 その中で、彼女に声を掛ける者がいた。


「よう、上代紫月。おいたはそこまでにしておけ」


 それは、季節外れのモッズコートに身を包んだ男、淡島新あわしまあらただった。


「……っ!」


 その姿が見えた瞬間、紫月は淡島に斬りかかっていた。紫月の手には一瞬で生成された歪んだ水晶の打刀うちがたなが、対する淡島の手には戒との戦闘でも使ったアーミーナイフがあり、それで紫月の一太刀目を受け止めていた。


「おいおい、筋違いもいいところだぜ」


「う……ああああっ!」


 今まで上げたこともないような叫び声をあげて、紫月は水晶の刀を何度も振るう。しかし淡島には掠りもしない。


「なにあれ撮影?」


「恰好やば、下履いてないじゃん」


 周囲の通行人たちは、紫月と淡島に気付くと、距離を取ってスマホを向け始める。


「……衆愚め」


 淡島はそんな人間を見て吐き捨て、よそ見をしていたところに振るわれた紫月の斬撃を、目を向けることもなくナイフで受け止めた。


「お前、聞いていないのか? お前の父親を殺したことなら、お前の神が頼んだことだぜ」


「……分からない、分からないの! わたしは、あなたに怒る権利なんてないのに!」


 紫月は叫び、更に水晶の刀を振りかぶる。


 しかし、淡島はそれを飛び退って躱した。そして再度、逃げようともしない群衆を見て舌打ちをすると、おもむろに懐から拳銃を取り出した。


 ――バン、バン、バン。


 そして、上空へ三発発砲。


 流石にそれが実銃だと気づいたのか、群衆は叫び声を上げて逃げ惑い始める。


「出血大サービスだ。相手をしてやる」


 淡島は紫月を真っ直ぐに見据え、挑発するように両手を広げた。


「殺して見せろよ、神産かみうみ」

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