第21話:神として、親として

「――それにしても、神様ですか」


 福井が革靴を履きながらそう切り出したのは、彼が本殿から去ろうとしている時だった。


「不思議ですか?」


 見送っていたかいが訊く。とよと日比谷は既に渡り廊下を渡り本部社殿へと戻っていた。


 実際、生箭日女いくさひめという存在は今や日本国民の殆どが知るところとなっているわけだが、彼女たちが神と合一ごういつし穢れを祓う存在だと理解し、きちんと信じているような人間は稀だ。


「まあそれもですが。どちらかというと、なんだかやるせないような気持ちが勝りますね」


 福井は言うと、戒から視線を逸らした。


「先日、都内でまた大口径の拳銃による殺人が起きました。十中八九、淡島あわしまによるものでしょう。その……成りモノですか。穢れを多く生む人間を殺している、と大野部長は言っていましたが、今回も、これまでも、その多くは何の罪も犯していない人間でした」


 淡島新あわしまあらたの正体が国津神くにつかみ少彦名すくなひこなであるというのは、今のところ以前の会議に出ていた人員以外には明かされていない。


「穢れを生む人間だから殺して良いなどという法はありません。ですが同時に、殺された人間がどうしようもないろくでなしであったことも事実です。生きていたところで害しかなかったと言い切っても差し支えないほどに。だからこそというか、それでもというか、華屋はなやのような犯罪者を前にすると、どうしても考えてしまうのです」


 福井警視は、少しばかり躊躇った後、小さな声で吐き捨てるように言った。


「こういう犯罪者から殺してくれないものか。ましてや神がいるというなら、いっそのこと神がそうしてくれないものか、と」


 しかし福井は、すぐに自嘲するような笑みを浮かべた。


「……いえ失敬。今の言葉は法の下にある人間としては失格ですね」


 立場から察するに、福井は戒より年上だろう。しかし同時に、まだ三十にはなっていないことも見た目や雰囲気から分かる。


 彼もまた若いのだろう。以前に巴が言っていた、世間が言うほど大人でもない、というところか。


「……神とは本来、緩やかに人と関わるべきものなのです」


 不意に聞こえた声に、戒は振り返り、福井は驚きの表情を浮かべる。


 いつの間にかとよが戻って来ていた。胸元には白い子狐のムタを抱えている。


「どうされたのです?」


「……まあ、ちょっと」


 戒の問いを笑顔だけで雑に誤魔化して、とよは福井を見る。


「先ほどの話ですが。今のような状態は、本来はいけないのです。私たち天津神あまつかみも、国津神も、それを曲げて今こうしているのです」


「やはり人のことは人が、ですか?」


「ええ。親離れのようなものです。いつまでも神が人のことに手出しするべきではないのです。……今の状態は、どちらかというと子離れができていないと言った方が正確なのですが。まあとにかくです。今の時代、神は人の上にあってすがられるものではありません。ただ隣にいて見守るものです。あの方もきっと分かっているはずなのですが」


「……まあ、憶えておきます」


 どこか突飛なとよの話に、福井は釈然としないながらもそう答える。


「ついでに、あなた方が淡島について何か掴んでいるということもね」


 そう付け加える福井。同時に、珍しくとよがしまったという顔になった。


 淡島新の正体をまだ実動祭祀部上層部しか知らない、というのを完全に忘れていたのだろう。加えて、先の福井の発言も、偶然とはいえ、淡島の正体が神の転生体であることを把握した上でのようにも聞こえるものだった。


「時が来たら教えてください。今はそれで結構です。正直なところ、先ほどのようなオカルトじみた話をされても、私含めて誰も理解できないでしょうから」


 どこの組織にも必ず隠し事はありますからね、と福井は眉尻を下げた。


「では、これで」


 福井が一礼し、足早に境内を後にしていった。


「あの様子でしたら、問題ないでしょう。日比谷や大野には黙っておきます、とよ様」


「すみません……」


 その背を見送ってから戒が声を掛けると、とよはムタで顔を隠していた。


「今から上がられることも、黙っていた方がよろしいですか?」


「……そういうことをわざわざ訊くのは嫌われますよ、戒さん」


 そして追い打ちの如く訊くと、今度はムタの後ろから膨れっ面を覗かせた。


 十中八九、駄目で元々のつもりで天へ紫月のことを訊きにいくつもりだったのだろう。『上がる』とは、とよが天津神の住まう地である高天原たかまがはらへ行くことを指す。戒など普通の人間からすれば、とよが本殿へ入ったと思ったらいつの間にか消えているようにしか見えないのだが、あれは高天原へと行っているらしい。


「……憶えておきましょう」


 どうにも、彼女もまた、子離れができない側の人間、もとい神であるようだった。




 都内某所、神々廻ししば議員邸宅、広々としたリビングにて。


「……へえ。殺してくれと来たか。俺が言うのもなんだけどな、本当にいいのか?」


「はい。あの子の呪縛は、そうでもしなければ解けない」


「俺は親から捨てられた身だからな。ついでに言えば、親に会ったこともない。だからそういうもんかと受け止めるしかないんだが……。殺した後、どうする」


「どう?」


「そうだ。その男を殺して、その後どうするんだ。自分が何から生まれたか知ってんだろ。あれは神産かみうみだ。神産みが乱れれば、その神もまた乱れ、荒魂あらみたまとなる。そうなったら、お前以外の誰かが鎮めなきゃいけない。それは誰だ?」


「まず。わたしは荒魂にはならないでしょう。確かにわたしはあの子の神ですが、あの子から生まれたわけではない。こうして勝手に動いているのが証拠です」


「だが神が人を鎮められるか? そんな話聞いたことないぜ」


「ええ。そもそも、あの子に必要なのは温もりです。身体の無いわたしでは鎮められない」


「なら、誰が?」


一色戒いっしきかい


「……ああ、そうか。そうだったかよ。やっと違和感の正体が判った。道理で経津主ふつぬしの気配がずっとしやがる。……はあ、それにしても、人心ってやつは分からねえ。人の身体からだに成っても分からねえ。未練とか執着とか、あるもんだって聞いたんだけどな。お前はなんで……あ、いや。今の無しで頼む。デリカシーがないと相方に怒られるところだった」


「……おい、戻ったぞ」


「お、噂をすればだな」


 玄関の方から声がして、リビングへスーツ姿の男が顔を覗かせる。家主である神々廻だ。


 リビングに入って来た彼は、すぐに驚きで目を見開いた。


 応接用のソファに、向かい合う形で座っている人影が二つ。一つは見知った相方だが、もう片方は見たことのない人物だ。


「珍しいな、淡島。客か」


「おう。俺だってやろうと思えば女を引っ掛けられるんだぜ」


「デリカシーのないことを言うなといつも言っているだろう」


 神々廻は、淡島の向かいに座っているその人物へ視線を向ける。


「相方が失礼を。私は議員の神々廻……いや、貴方あなたには大国主おおくにぬしと言った方がよろしいか」


 神々廻貴己ししばたかみ――大国主の転生体である男は、その人物の素性に勘付いて言い直す。


「さて。どうやら力あるつくがみとお見受けするが、名は?」


 その人物は、ゆっくりと口を開いた。


「夕、といいます」

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