第20話:華屋

「――以上が、上代紫月かみしろしづきさんの生い立ちです」


 そう言って、福井警視はクリアファイルに収めていた資料を畳の上に置いた。


 夏も深まった晴天の某日。


 日女ひめ神社本殿に居たのは、とよ、かい、日比谷、そしてなぜか警視庁捜査一課の福井警視だった。今しがた置かれた資料を囲うように四人とも正座している。


もっとも、私は捜査に加わっていませんし、確実な証言もなく、あくまで推測ですが」


 福井は、自身のことをあくまでおつかいだと自虐していた。


 実動祭祀部の前身のヤタガラスや、完全に人の姿をしたケガレビトである成りモノ同様、この場にいる廓場とよの存在も国家機密であり、警察機関においては警視以上の階級でなければ知ることはできない。


 加えて戒などは、実は福井と最近もまた顔を合わせていた、他でもない淡島あわしまの件である。静岡での禍言祓まがごとばらえで、戒や紫月は淡島と接触した。その件での諸々があったためである。


 そういった諸々が重なり、実動祭祀部への説明役を押し付けられたらしい。


 ――というか、そもそもなのだが。


「なぜ組織犯罪対策部が上代の素性を?」


 戒は、畳の上の資料に目を向けつつ訊く。


 そこに書かれているのは、紫月の生まれと育ちに関するほぼ全ての情報だった。そして、その資料を作成したのは、警視庁の組織犯罪対策部、通称マル暴だった。


 尚、結論から言ってしまえばその情報に間違いはなかった。警察が調べようのない『夕』に関することが全く記されてないこと以外は、という注釈付きではあるが。


「上代さんについて何らかの疑いが、という訳ではありません。ある捜査の中で、不意に上代さんの存在が浮かんできたのです」


 どうやら、以前SPが紫月にさとられないよう護衛に付いていたのは、これが理由らしい。意味は微妙にずれるだろうが、内偵といったところだったのだろう。


「そのことを大野部長に伝えたところ、調査の上で日比谷副長に報告してほしいと」


 視線を向けられた日比谷が頷く。この場に四人を集めたのは他でもない彼女だった。


「そーゆうこと。あのダイユウサク、面倒事ばかり私に投げてくるのよ」


 どうやら、以前に日比谷から紅茶を振る舞われたあの時、すでにその話が来ていたようだ。だからあそこで、生箭日女いくさひめたちの境遇の話をしたのだろう。


 因みに、ダイユウサクとは大野の渾名らしい。『大』野『優策』でダイユウサクだとか。


「それにどうやら、例の死体遺棄事件も繋がってるみたいでね」


 日比谷が目配せをすると、福井は居住まいを正した。


「ここ最近、マル暴は、薬物絡みで華屋はなやという犯罪組織を追っています。そして、その内の一人と目されているのが」


 福井は畳の上のクリアファイルから、一枚の写真を取り出す。古い銀塩写真の拡大コピーだった。どこかのオフィスで撮られたらしい、スーツ姿の社員たちの集合写真だ。


「今はもう倒産している信販会社で撮られた写真です。この中の」


 福井は写真の中の後方に写っている男を指差した。大柄だが、それ以外に特徴はあまりない。その背丈故に後ろに立っているようだ。


鏑木正孝かぶらぎまさたか。優秀だったそうですが、倒産前に見切りをつけて辞めていったようです」


「鏑木……?」


 呟いて、戒はとよの方を見る。とよも同じことを思ったのか戒の方を見ていた。


「もしかして、紫月さんの養父なのですか?」


「はい。といっても、厳密には鏑木は上代紫月の親ではありませんが。彼は児童福祉法に基づく里親でもなければ、養子縁組を行ったわけでもない。いやそもそも、誰であろうと上代紫月の親になることできないのです。なぜなら……」


「戸籍がないわけね」


 日比谷が先んじて答えを言う。


「ええ。恐らくですが誕生時に出生届が提出されていなかったのかと」


「しかし、学校には通っているようですが」


「はい。それはこちらでも確認済みです。無戸籍の児童の存在は以前から問題になっていましたし、無戸籍でも学校へ通えるよう、自治体などに便宜を図ってもらうことは可能です」


「その、戸籍というのを得ることはできないのですか?」


 とよが訊くと、福井は首を横に振った。


「上代さんの場合は、非常に難しいでしょう。無戸籍の人間が戸籍を取得する方法はいくつかありますが、何にしろ血縁者が必要となります。しかし彼女の肉親は母親のみで、その母親も……その、吉原事変よしはらじへんでしたか」


 ヤタガラス同様、吉原事変の存在も、警視以上の階級には開示されている。


「それで亡くしてしまっている。上代さんが母親と住んでいたアパートは吉原にあったようです。ただ、なぜ彼女は生き残り母親は死んだのか、そしてなぜヤタガラスと警察の捜査で見つからなかったのか、疑問はありますが」


 吉原事変の収束後、警察が死亡者の確認と生存者の捜索を行っている。あの時のことは戒はほとんど記憶になく、どういった事件や事故に偽装して隠蔽したのかは分からないが、少なくともその隠蔽は上手くいき、死亡した人間は身元を検められ、生存した人間は保護された上で穏便な手段で口封じもされたと聞いている。


「紫月さんの神が逃がしてくれていた、という線が濃厚でしょうね」


 とよがおとがいに手をあてつつ言う。


 また、福井の話した紫月の生い立ちを聞く限り、彼女は家からほとんど出されていなかったようだ。紫月の存在を唯一知っている母が落命している以上、直接紫月を発見しない限りはその存在には気づきようがない、というのもあるだろう。少なくとも、戒はそう推測した。


 ――真実としては、陽が紫月をケガレビトから護るように被せた毛布が原因で、混乱の中で捜索に当たっていた警官から見落とされていたのだが、その事実は今となっては誰も知る由がない。


 一方で、そのとよの呟きに、福井が眉間に皺を寄せていた。


「神……ですか?」


 とよの正体も警視以上の階級には明かしていい内容だが、福井には伝えられていない。とはいえ、明かしたところでこの警視は信じなさそうだったが。


「あ、いえ。こちらの話です」


 怪訝な顔をしつつ、福井は続ける。


「……ただ、戸籍の件は今は問題ではないのです。事情を説明し支援を受ければ、大なり小なり苦労はあるでしょうが、生きていくことはできます」


 事実、紫月は鏑木の元で学校に通えてもいる。


「ただ、ここで問題となるのが、鏑木という男と、彼が属していると思しき華屋です」


 福井はどこか怒りの籠った口調で続けた。


「華屋というのは売春斡旋組織です。対象となっているのは、アジア系の不法滞在者か、上代さんのような無戸籍や寄る辺のない女性と思われています」


「考えたものね。用済みになって処理しても、身元が分からない。あの事件もそういうことってわけ」


 日比谷が吐き捨てる。


「そう読んでいます。しかし、華屋を通じて売春を行っている女性が今話したような層の人間だというのも、例の死体遺棄事件が関わりがあるというのも、確たる証拠はないのが実情です。それだけ華屋という組織が狡猾かつ慎重ということなのでしょうが」


 福井はファイルの中の資料を一枚取り出す。


 人相の悪い男の顔写真と、河原かどこかで撮られたと思しき、ブルーシートを被せられた何かの写真、そして細々とした手書きのメモが添えられている。


「先の死体遺棄事件の実行犯と目されていた男です。つい先日、都内の川で死体が上がりました。死因は撲殺。殺された後に川へてられていたのが、偶然上がってきたようです。十中八九、蜥蜴とかげの尻尾切りでしょう。しかし他に手がかりはなく、この男の死亡で、埋められていた大量の死体の身元が完全に分からなくなった。……向こうの県警は、近いうちにこの事件を被疑者死亡で終わらせるそうで」


「死体の身元が、誰一人分からなかったと?」


 戒が訊くと、福井は頷く。


「そういうことです。DNA鑑定も行いましたが、合致するものはなかったようです。しかし逆に考えれば、判明しなかったということ自体が手掛かりになりえる。そしてあれだけの数の人間を殺しその死体を遺棄するなど、犯行自体もその動機も、組織的なものだと考えるのが妥当です。華屋は、その全てを満たしている」


 DNA鑑定と一口に言うも、その内実は照合だ。対象の死体のDNAと、他の誰かのDNAが合致するかを調べる。そしてその『他の誰か』とは二通りがある。警察庁のデータベースに登録されている前科者のものか、行方不明者が発生した際に提供されるその行方不明者の親族のものだ。


 しかし、そもそも行方不明者は、捜索願が出されなければ警察は把握できない。


 前科者でもなく、居なくなっても探されもしない人間。福井は埋められていた死体がそういった者たちだと読んでいるようだ。


 彼は、さらに複数枚の資料を畳の上に並べた。


「その華屋の一員と目されている鏑木正孝ですが」


 福井はその資料の内、どこかの店の入口の写真を指差す。いわゆる夜の店のようだ。


「以前の会社を辞めた後は、紆余曲折あった後に、このキャバクラの店長となっています。ここには上代さんの母親も務めていたようで、彼女を引き取ったのはその縁でしょう。また、そのキャバクラは吉原事変の発生区域外で特に被害もなく、今まで営業を続けています。また鏑木は、現在この店舗のオーナーにもなっている他、歌舞伎町などでも複数の店舗を所有している模様です」


「順調に夜の世界で出世してるわけね」


「ええ。ですが、違和感を感じる点もあります。確かに鏑木は頭のよく回る男だったようですが、元々そういった世界の人間ではなない。彼には後ろ盾がありませんし、高給取りだったとはいえ、辞めてしまった以上資金力も乏しいでしょう。調べうる限りで、彼は何度か事業に失敗して損害を出している。今判明している稼業だけで補填するのは難しいはずです。個人での投資という線もありますが、それも限度があります」


「それで、華屋の売春斡旋で稼ぎを得ていると?」


「現時点ではただの推測ですがね。それと……こちらの方が根拠としては大きいのですが」


 福井は別の資料を出した。幾つか並ぶマンションの写真だ。彼はその内の一つを示す。


「鏑木が居住しているとみられるマンションです。上代さんもここに住んでいるようです。そしてこれらのマンションには全て、鏑木が所有しているか借りている部屋があります。どれも高層階の部屋です」


「もしや、その部屋に女性を住まわせて、客を取らせている?」


「ええ、そうです。張り込みを行ったそうですが、鏑木と、他に不特定の男性が部屋に出入りしているのが確認されています。住んでいると思しき女性は確認できませんでしたが、鏑木が食料や日用品を携えていることがあったと。……ああそうだ、重要なことを忘れていました。鏑木と上代さんが住んでいる部屋のみは、その二人しか出入りしていないようです」


「新人ちゃんは無事ってわけね。まあ、そうでなければポン刀持ってそいつを殺しに行ってたけど」


「……また、鏑木と同様にマンション高層階の部屋を複数所有し、そこに不特定多数の男が出入りしているという人間が確認されています。その他にも細かな状況証拠はありますが、大まかには以上を持って、マル暴は鏑木正孝が何らかの犯罪行為を、もっと言えば華屋という犯罪組織で売春斡旋を行っていると踏んでいます」


 物騒なことを言い出した日比谷を福井はスルーし、そう締め括った。


 そして、戒たちにとってはここからが本題である。


「欲を言ってしまえば、その鏑木さんの嫌疑がはっきりするまで、紫月さんを家に帰らせたくないところですが」


 最初にそう切り出したのはとよだ。


「警察的にはどうなの。こっちが変な動きして警戒されるのは絶対に避けたいでしょうけど」


「正直なところ、おっしゃる通りですね」


 日比谷に話を振られ、福井は頷く。


「上代さんに事情は伝えないのは当然として、そちらには何も動いて欲しくない。鏑木は、我々に勘付けばすぐに尻尾を隠すでしょう」


「そうは言っても、何か起きてからでは遅いっていうのが私らの本音であるわけだけど」


 だが、その理屈を通すことができないのはこの場にいる全員が理解している。


 鏑木の疑いが真実だとして、もし紫月の保護に実動祭祀部が動き、それで鏑木を逃がし、新たな被害者をまたどこかで生んでしまったとしたら、その責任は取りようがない。


「警察という仕組みである以上、それに答えることは難しいでしょう。”俺たちの仕事は本質的にはいつも手おくれなんだ”という言葉があるくらいですから」


「あら知ってんの。確かパトレイバーよね」


 そんな脱線トークはともかく。


「……それで。さっきから黙っているナイトくんはどうなのよ」


「別に騎士ではないのですが」


 つっこみを入れつつ、戒はゆっくりと口を開く。


「警視の言うことは当然でしょうが、だからとってただ待つだけというのもいけないかと。実動祭祀部は警察ではないのですから、直接的に人を守る義務も、犯罪者の捜査を行う義務もない。ですが、手の届く場所にいる子供を守る義務は、全ての大人にあるはずです」


「というと?」


 福井が訊く。彼としては、実動祭祀部がどういう動きをするつもりか『おつかい』の依頼元である組織犯罪対策部へ報告しなければいけないのだ。


「上代にも鏑木にも気取られない程度のあらゆることをするべき、と考えています」


 戒はとよに視線を向ける。


「とよ様。天はこの類のことを教えてくれないのでしたか」


「……ええ、そうですね。人のことは人が、というのが基本方針ですから」


「祈祷課に頼んでみるのはどう?」


 日比谷が言った。


「加茂っちみたいに式を使う人間には、式とある程度間隔を共有できる人もいるらしいわよ。後は、おが上がりの、守り神が付いてる人間とか。天より精度は落ちるかもしれないけど、彼らも当然『視える』わけだし」


 淡島と出くわした祓で同行していた加茂は、日比谷から見ると歳の近い後輩で、未だに加茂っちなどと呼ばれているらしい。


「……あの、それは一体」


 一方で、理解が追い付いていないであろう福井は何とも言えない表情をしている。


 とはいえ、馬鹿正直に『実動祭祀部は鏑木に気付かれないように式を飛ばしたり未来視や遠隔視をしたりして上代紫月に危険が及ばないように動く』などと言ったところで信じてもらえるか怪しいため、戒も日比谷も深堀りはしなかった。


「取り敢えず、独自に動くと伝えてちょうだい。当然、新人ちゃんには何も言わないし、鏑木にも接触はしない。そこは強調してもらった上で」


「……はあ。まあ、伝えてはおきます」


 福井は釈然としない様子だったが、説明されたところで受け入れられるものでもないことは理解しているのか、それ以上深く訊くことはなく、資料を纏め始めた。


 これでお開きだった。

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